2009年11月 5日 (木)

見え方(6)、食堂

週に一回か多ければ2回程度外食をする。大抵は土曜日の昼食である。散歩に出てそのまま昼食、散歩を続けて適当なところで帰宅。

自分はいわゆるグルメじゃないので、と言うより多分味に鈍感なので、好き嫌いはあるけれど、或る一定以上の量が有れば余り不満はない。だからセットの食事にサラダバーとか有れば、それを頼む。普通の食べ物屋さんだと、量がたっぷりめのお店を贔屓にしている。

定食を食べる事が多い。付け合わせの漬物がちょっぴりだと、ガッカリする。みんな市場とか業○スーパーとかの漬物が大量でとても安く、味もまあまあと言うことを知って居るのだから、沢山出せば良いと思う。20円分も出せば小皿から溢れる。きっと食堂側に何かの誤解が有るのだと思う。塩分制御で漬物を食べない人が多いのかも知れないが、そんな事は客側の問題で、お店側は、来てくれたら利益が有る、じゃなくて又来てくれるように、が本筋だと思う。

お店が散らかっていたり、掃除がされていなかったりは駄目だ。幾ら未だお客が少ない時間でも、お客用のテーブルにキャベツだの肉だの卵だのが置かれているお店は、好きになれない。醤油さしだのその他調味料入れが幾つか空で、醤油ソースダラダラ、油ベタベタ。営業的には何とか成立していても、お客商売には向かない気がする。何かしら又行きたい所が必要だ。

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2009年11月 3日 (火)

見え方(5)、救急車

幸いなことに未だ救急車で搬送された事はない。幸いなことにか残念なことにか、付き添ったことも無い。職場で同僚が倒れて救急車で運ばれたのを、目撃したが、搬送先の病院を見つけて出発したときには、本人は意識が回復していた。全員とは言わないが、心配している風の人は少なかった。

救急車には救急車、ANBULANCEの文字が印刷されている。警察やタクシーにそれぞれ印刷されているのと同じ伝。但し大抵、車の前面は鏡文字に成っている。サイレンが聞こえなくとも、ルームミラーで後ろの車が救急車で有ることを直ぐに気付いて貰うため。もう相当昔からだと思うが、自分の同僚は知らなかった。その人は車で通勤している。何処見てんだか、あれは節穴か、と誰かが言っていた。

運転中、救急車のサイレンが聞こえれば、前方を見たりルームミラーを見たりして、回転赤色灯の気配で方向を探し、救急車が或る程度接近して道を譲るべき距離になったら、そうする人は多いと思う。ルールとしても惻隠の心としても当然の事だろう。

聞こえないのか見えないのか、ルールを知らないのか、それとも単純な自己中なのか、救急車に追い越されて、救急車が赤信号で右折したら、その後ろをクラクションを鳴らしながら追随するのを見た事が有る。

その人が、スクーターで電柱にぶつかり転倒し、頭と足に大怪我をした。激痛が走っているが幸いなことに気を失わなかった。残念なことに救急車は3分ほどで現場に到着。幸いなことに鎮痛剤を打たないで、暴れるその人をストレッチャーに括り付け、たらい回しにして、2時間ほどグラグラ揺れながら、街中をドライブ、気を失ったところで夢から覚めた、そんな空想が働いた場面だった。

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2009年10月30日 (金)

見え方(4)、サーミ

昔、サーミ(子供の頃はラップ人と呼んでいたが、最近は諸般の事情でラップ人とは言わないで、彼らの自称であるサーミと言う事になった)と一緒にトナカイを放牧しながら、北の大地を旅する日本人の体験記を読んだ事が有る。多分白夜の季節、それでも吹雪いたり、霙が降ったり厳しい天候だったと記憶する。その集団は何日かに1頭トナカイを屠りそれを食べる。血も肉も全てを利用する。有る一定の手順で屠るのだが、勿論トナカイは或る意味悶え苦しんで死ぬ。初めのうちは、その人は、残酷なことをしている気がして、気分が良くなかった。肉もやっと食べた。長く一緒に旅行して行く内に、トナカイが断末魔の痙攣をしているのを見て、又サーミが血を利用するために血を採りだしているのを見て、まあ早く言えば生唾を飲み込むように成った、と告白していた。

昔、友達が何かの用事で数ヶ月フィリピンに滞在していた。何か肉料理をご馳走になった。レバーの料理もあった。とっても美味しく頂いた。何かと訪ねたら、犬だったらしい。好きになってそれからその料理を何回も食べた。街で犬を見ると、「よだれが出た」と言っていた。フィリピンの犬は、そういえば「オドオドしていた」

彼曰くタイの犬は、何の警戒心もなく、路上でグダーとしている、なんの権利も無いけれど、義務も全くない。生きて行けるほどの餌は誰かが呉れる。日本の犬は、身の程知らずで自意識過剰、まあ飼い主の意識の反映だろうけれど。

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2009年10月26日 (月)

見え方(3)、平和部隊

ずっと昔、何かの本で読んだか、誰かから聞いた話。

平和部隊に入っている1人のアメリカの青年が、有るアフリカの国に赴任した。担当の村に行って、酋長以下長老を集めて熱く語った。『私が指導するように熱心に働けば、生活に余裕が出来て、その内1週間に1日休めるように成ります。それを続けてゆけば、もっと生活に余裕が出来て、1週間に2日休めるように成ります。それに向かって頑張って働きましょう』

1人の長老がおもむろに立ち上がって質問した。『休むって言うのはどう言う事か、もう少し解りやすく、教えて貰いてぇ』

青年が答えて曰く『諸氏は休むって事がよく分かっていないだろうから、少し具体的に言うと、友達と釣りに行ったり、家族でハイキングに行ったり、家で、ボヤーと過ごしてゴロゴロしたりすることです』

件の長老、左右の人達を首を振って何回も見てから『今毎日遣っている事とちっとも変わんねえでねえか』

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2009年10月22日 (木)

見え方(2)、靴

ずっと昔、何かの本で読んだか、誰かから聞いた話し。

2人のアメリカ人の靴のセールスマンがアフリカに出張した。2人は別々の場所だったが、どちらも目的の場所に辿り着いたら、住人は誰も靴を履いていなかった。

1人のセールスマンは次の様に報告した:『誰も靴を履いておりません、幾らでも売れます』

もう1人のセールスマンは次の様に報告した:『誰も靴を履いておりません。売れる見込みは有りません』

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2009年10月20日 (火)

見え方(1)、ゴルフ

昔、多分小学生の頃、学校で身体検査、ないしは健康診断みたいな物が有り、目の検査が有った。今で言う色覚検査。大多数の人が、見えている「模様」と違う様に見える人が居るらしい、と言うことがその時解った。自分は当時「異常なし」と言われて、安心したのは事実だけれども、異常とか正常とか言う問題では無いようだ。単に多数派少数派。多数派少数派が逆転しているところに行けば、正常異常は逆転する。片方しかいなければ、多数派少数派は勿論、正常異常も存在しない。

心の持ちようで見え方が違ってくると言う問題ではなく、時々、この人は自分と見え方が違っているんじゃないか、と思うことが有る。勿論同じ事が他人から自分向けにも発生しているとは思うけれど。

或る箱に何かを入れようとしている人が有り、自分から見たら、どう工夫したって、一瞬で入るはずがない、と見えるのに、何回も角度を変えたり上下を替えたり、組み合わせを替えたりしている、そんな情景。

箱が立方体で、入れようとしている物がそれより一回り大きな立方体だったら、誰も入れようとしたりはしないだろうけれども。身の回りに有る物は、単純に比較しにくい物が多い。

自分はゴルフをしたことが無いけれど、例えばパットが、メチャクチャ下手な人は、もしかしたら、比較的きつい左下がりの傾斜が緩い左下がりに見えて、緩い傾斜だと水平に見えて、もっと緩い場合は右下がりの傾斜に見えたりしているのかも知れない。度重なる経験でこれぐらいの傾斜はこう、これぐらいだったらこう、と打っているが、周りの景色にも影響されて、いつも実傾斜と違って見えている物だから、パットが入らない、てな事が発生しているのかも知れない。

でもそのように見えていることがおたがいに解らないので、如何ともし難い。

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2009年10月14日 (水)

鮒釣り(2)

当時釣り竿は、竹の延べ竿だった。子供の時は長いと思っていたが、多分3メートルは無かったと思う。それこそそれを担いで、網魚籠を持って、餌を持って行った。偶には自分で作った弁当を持って出掛けた。

餌はミミズで、前日、近所の農家の堆肥のために秋になれば藁を積み上げる場所の縁を掘った。10分も掘れば十分な量が確保できた。大抵は缶詰の空き缶に入れて持って行った。小学校の高学年に成って、手の利く祖父が木製の餌箱を作ってくれてからは、それを持っていった。蓋はスライド式になっていた。その餌箱は、それから長い間使った。

鮒は場所や天候で、釣れたり釣れなかったりしたが、釣れなくともそれなりに長い間釣り糸を垂れていた。山背が吹くと釣れないことが多かった。寄せ餌を撒いておけば良い、と言う話を聞けば、当日や前日、糠団子やおから団子を撒いた事もあるが、それ程効果が有ったようには思えなかった、但し、針掛かりしない小魚はそこら近辺に集まっている感じがした。春先は未だ比較的日が短く、薄暗くなるまで釣っていることも有った。

錘はナス型の多分23号、浮子はセルロイド製、今で言う胴突きの二本針。浮子を飛ばしてしまって、取り戻せない時は乾いた葦を適当な長さに切って、それを浮子にした。何回かやっている内に、これも外れてしまうことも有ったが、直ぐに作り直し。

浮子をジッと見つめていると、時間が飛ぶように過ぎる。引きが有って上げると手応えがあって鮒が釣れる。時には一荷で釣れる。静かに血がたぎる、時間は過ぎる。

ミミズを掴んで、鮒を掴んで、沼の水でサラッと洗っていた。手を嗅いでみると、かなり生臭かったが、ああ生臭い、と思っただけ。後年長じてからは、昔ビジネスホテルにあった小型の石鹸を持ち歩いて、手を洗った。

今度良い季節に田舎に帰れたら、角助堤に行って鮒釣りをしよう、子供の時のように。

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2009年10月 8日 (木)

鮒釣り(1)

小中学生の頃、春から初夏に掛けて近所の沼によく、鮒釣りに行った。

この沼は、角助堤と言って農業用水の為に、角助さんが多分17世紀の後半に作った。真夏は水位が下がって、底の土が見え、ハスがニョキニョキ生えていて花が咲き、浮島があちらこちらに出て、“沼”という感じだった。冬は高水位で結氷し、春先は水を満々と湛えて、青っぽくさえ見え、周りの景色からしても“湖”の様だった。

自分達が子供の頃は、その堤の内側は、つまり水が有る方は、コンクリートで補強されていた。外側はかなり傾斜のきつい法面で、緩い傾斜にした道路部分以外で登ったり降りたりはしなかった。その堤の幅は多分56メートル位、真ん中部分はちょっと轍が有った。オオバコやチカラシバがビッシリ生えていた。法面にはウツギの様な小木や各種の草がビッシリ生えていた。

春、未だ草が緑に成る前に、その土手の枯れ草の上に座って、コンクリート面に足をぶらつかせて、鮒釣りをした。岸辺には葦や蒲その他の水辺の草が生えていたと思うけれど、釣り糸を垂らす当たりには、殆ど障害物は無かった。ポカポカと暖かい日を浴びながら、鮒釣りをするのは楽しかった。友達と23人で行くことも有ったし、1人で行くことも多かった。少し離れて別の釣り人がいたりもしたが、特に気にすることは無かった。

土手にボンヤリと坐っていると、眠くなってウトウトし、時には枯れ草の上に仰向けで眠ることもあった。春の日の光を浴びて枯れ草の上に寝転んでいるのは、今にして思えば何と贅沢な少年時代だったのだろうと思う。

初夏に成って、草に緑が多くなると草丈が伸びて見ることはなかったが、枯れ草ばかりで、冬の間雪に押されて居たので、背が低くなっている頃は、草の中に時々野ねずみを見た。誰かヤチネズミと教えてくれた。78センチで薄い茶色か、灰色ぽかった。自分が坐っている直ぐ傍まで寄ってくることが度々あった。当時はいつもの事で特に気にも留めて無かった。多分、そこら中に居たのだと思う。

沼は、最近は昔より浅くなって、ハスや葦、蒲などが増えて、用水としては、以前より良くないらしい。沼を一周する遊歩道が造られて、田舎の人達が散歩をしているとの事。夏の早朝、ハスが力強く咲いている景色は、素晴らしい物だと思う。

作られてから300年余り経って、当時とは様子が違ってきたが、社会は豊かになって来たと言うことだろう。用水池としての寿命は尽きかけているかも知れないが、角助さんも許してくれるだろう。

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2009年10月 2日 (金)

ポストの投入口

昔から立っている丸いポストは、そのままで良いけれど、駅前や市役所前に有る四角いポストで、取り集め口が道路側に有る分は、投入口を増やして、3ヶ所にした方がよい。せめて、上り下り2ヶ所は付けて欲しい。

今有るのをワザワザ改造する必要は無いが、町を再開発してポストを一時的に移動するとか、新しくできたショッピングモールにポストを設置するときは、あちらこちらから投函できるようにすれば良い。

夕方バスを待っているバス停の向かいに四角いポストが有る。歩道側に投入口が有る、歩道を歩いている人は、不自由はしていないが、ベンチに坐って見ていると車を止めて、投函している人が居る。道路側に投入口が有れば、窓を開けて、手を伸ばせば投函できる。せめて歩道側のみ成らず、道路と並行して投入口が有れば、ガードレールを跨いで行かなくて良いから、便利だろうと思う。

朝、駅に行く道にポストが有る。駅側に投入口が向いている、駅から出て来た人は素直に入れられるが、駅に向かう人は入れにくそうだ、たまにバッティングしている。駅と反対側にも投入口が有れば便利なことだろう。

駅前の100メートルの間に、24時間営業のコンビニが3店舗有るのは便利だと思ったことは無いが、そこのポストに投入口が23個付いているのは便利だと思う。

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2009年9月27日 (日)

マテバシイの食べ方(2)

2年前に書いた“マテバシイの食べ方”に最近、予想外でアクセスが多かった。今年は豊作で、地面の落果が目立つからだろうと思う。残念ながら多分大部分の方は予想外の内容で落胆したと思う。それで少しだけご期待にお応えしたく、少しは実利的観点から再度同じタイトルで書いてみます。一部内容が被りますがご寛容にお願いします。

集果、保管:

集果は、木の下で良さそうなのを拾うか、樹上の熟した物をもぐ。充分集めたら湿ったタオルに包んでごしごしして綺麗にするか、水洗いして、乾いた布で拭いてから、風通しの良いところで暫く乾燥させる。均すと1個3g。

水洗いの場合、浮いているのは実の入りが悪い、沈んでいるが立っているのもやや実の入りが悪い。しっかり沈んで横たわっているのが、実が充実している。

保存は蓋の付いた煎餅などの空き缶に入れ湿気を吸収しないようにする。

10Kg位集めるのは簡単だ。9月10月に週末集果すれば、越冬に十分な100Kgだって集められる。

食べ方:

殻から出して渋皮を取ってそのまま食べる。炒ってから食べるともうちょっと美味しい。茹でて塩を振って食べる。荒く粉砕してお粥にして食べる、冷えてくると段々固まってくる。そのままでも充分食べられるが、塩、味噌、砂糖、醤油など、お好みで味付けして食べる。細かく粉砕して水で練り、トルティーヤのように焼いて食べる。落花糖のような砂糖まぶしも良い。クッキーも焼けるし、パンも焼ける。

公園や並木道で拾っていると、話し掛けられたり、別の拾っている人に遭遇したりする。仲間作りで積極的に対応する、適当にあしらう、逃げる、どう対応するかはあなたの考え次第。

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2009年9月25日 (金)

エスカレーターの速度

エスカレーターの大部分は普通の速度だ。駅の一部に高速のエスカレーターが有る。普通の速度(中速)の15倍程度に感じる。デパートやスーパーに低速のエスカレーターが有る。

高速は急ぐ人用、中速は普通の人用、低速は急がない人用ないしは急げない人用、と言うわけでもない。それぞれのお客に媚びを売っている、と言うわけでは無いだろうが、ちょっと抜け駆けの匂いがする。

モスクワの地下鉄のようにエスカレーターが、100メートル位有って、乗っている時間が3分もあれば、高速、中速、低速で人の移動に掛かる時間が及びその量を処理する時間が大幅に違ってきて、速度の調節はそれなりに意味があるだろうけれど。

そもそも日本のエスカレーターは距離が短いのだから、場所に因って速度を変えないで、概ね同じようにしておけば良いと思う。

スーパーの低速エスカレーターに乗り慣れた人が、高速か中速のエスカレーターに乗るのは結構大変な事だと思う。事故も起きやすいだろう。心理的にも緊張が高まるに違いない。

自分が乗降する駅では朝の比較的混んでいる時間でも、エスカレーターに2列で乗っている事は少ない。右側は歩く人の為に(?!)空けているが、詰まらんことだ。結果として輸送力が半分に成っている。狭いエスカレーターの片側を荷物を持った人がズンズン歩くのは全く危険である。遠回りでも広い階段を自由に歩いて欲しい。

提言:

日本全国エスカレーター内は歩行禁止。

速度は弱者優先で低速の一律に。

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2009年9月21日 (月)

ナツハゼの食べ方

田舎で過ごした子供時代、小さい頃は誰かに連れられて、その内連れ立って、また中学生ぐらいになると、誰かを連れて、里山を巡り歩いた。中秋から初冬の楽しみの1つは、ナツハゼの実を食べること。

自分達がよく歩いた里山には、数カ所にナツハゼの木が有って、そこを適当に巡り歩いた。或る木は、ナツハゼとしては、老木で子供にとって、それなりに大きな木だった。毎年の様に沢山実が生った。全ての木が毎年沢山実を付けるわけではなかったが、毎年十分に楽しめる量はいつも有った。

熟し初めは、未だ青い実が沢山あり、時々思い出しては巡り歩き、順次熟したものを群がって食べた。沢山食べると、口の中が葡萄色というか濃い紫色になる。舌に付いた紫色は暫く取れなかった。お腹の中で発酵するのか、お腹がキリキリした。きっと匂いもするのだろう、家に帰ってから家人に「口を開けてみろ」とか言われて、口を開けると、「コハジャを食べただろう」(田舎の方言でナツハゼの事はコハジャと言った。と言うより実感としてはコハジャの事を他の地域ではナツハゼと言うんだあ、と後年思った。)と断定的に言われた。ヤマブドウより甘い、種も無い。

中秋に何回か行くと、その内忘れて行かなくなる。初冬のたまに粉雪が舞う頃落葉したコハジャの木に辿り着くと、実がしわぶけては居るが、沢山木に残っていた。秋より甘く、酸味は弱くなっていた。それでもお腹がキリキリして、それ程たくさんは食べなかったが、みんな食べた。盛期と違って一房の粒は落果して数が少なかった。

当時集落の間に有った里山には、昔からの小路がついていた。真ん中の一尋ぐらいは土が剥き出しで平坦だった。我々が巡り歩く『子供路』も数十センチの幅で、土が剥き出しに成っていた。いつも歩くところは路に迷うことなく、里山の中を自在に歩けた。今は雑草や蔦に覆われて、路が無いらしい。ナツハゼも子供達に忘れ去られてしまっただろう。

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2009年9月17日 (木)

ペットの七五三

七五三(しちごさん)とは、7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う年中行事。子供の成長をその地の氏神に感謝しまた今後も健やかに成長するように祈願する行事だったのだろう。

子供は晴れ着を着せて貰って、神社にお参り。日頃ちょっとは感じているお母さんとお婆さんの不和もその日ばかりは感じず、お母さんの方のお婆さんやお爺さんまで現れて、その日は全くの主役でご機嫌。大人もその日は本来的な感謝や感慨はさておき、着飾って晴れがましくお上品に成る。

調べたら関東圏の地方行事だったらしい、それがいつの間にか、全国に伝播して今の盛事となった。

自分が生まれ育った地方は貧乏だった為かそれとも未だその習俗が今ほど多数の人に流行っていなかったのか、子供の時にそんな話を聞いた記憶は余りないし、勿論見たことは無かった。

派手になって形骸化したとしても、子供の成長をその地の氏神に報告して祈願することは、感謝の気持ちを現すことで、良いことだと思う。

最近はペット、つまり犬と猫ですな、の七五三を祝う人が現れて神前にペットを連れてゆく人が居るらしい。たわいない稚戯だろうが、自分がそこにお勤めする神様の末席を汚しているなら、そんな人が来たら、多分罰を与える優先順位をちょっと上げると思う。

人間の自分はそんなニュースを見て、少し目眩がした。

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2009年9月 9日 (水)

安楽座り

自分は時々ちょっとマイナーな路線を好んで旅行する。鉄道ファンとか鉄道マニアとは多分違う。駅舎には多少興味があるが、車輌そのものには、知識もないしトンと興味が湧かない。他人から見れば単なる時間と金の無駄遣い、物好きの類だろうと思う。

車窓から景色を見て、いい加減なところで降りて、そこら辺の在り来りの食堂に入って、A定食みたいな物を食べて、次の列車まで時間が有れば、辺りを見回して、森のある方向へ歩いて、運良く神社やお寺、若しくは小公園が有れば、そこで暫く時間を過ごす。事前に調べて資料館とか水族館の類若しくは史跡が有ればそれを目指すこともある。

先日、水戸線に乗った。筑波山も常磐線側から見るのとは、かなり感じが違っていた。自分としてはちょっとした発見だった。

車内には通学の人も居れば勤め人風の人もいる、旅行者風の人も居た。自分の様に特段の目的もなく、乗っている風の人も散見された。世の中には暇な人が多いのかも。

結構目立つのが、1人でボックス席に坐り自分の荷物を置いて、他人を排除している人。2人向かい合わせの座席の対面に荷物を置いて居る人。そう言う人達もとても混雑してくれば、他人が座れるようにはするけれど、近くに数人が立っている位だと、積極的にその人達が坐りやすいようにはしないことが多い。

まあ多分自分が安楽に座れる事が良いのだろう。2人向かい合わせだと、足を伸ばして、ゆっくりしたいのだろうと思う。肉体の安楽座り。

よく注意していると、パラパラと見られる人。ボックスシートで進行方向に向かって深く坐り、ピッタリ窓側について、デイバッグを膝の上に乗せて居る人。長いベンチ型だと、正しい1人分の位置にきっちり坐っている人。2人向かい合わせだと、荷物は膝の上か棚の上で、本を持っている。こういう人は肉体的にはゆっくり出来ないが、なるべく多くの人が遠慮無く座れて、自分の心が平安な、精神の安楽座り。

日常的にその列車に乗っている人も、ハレの日にその列車に乗っている人も、どちらも旅をしているのだから、心の平安を選んだらいいと思う。

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2009年9月 3日 (木)

イチジクの食べ方

子供の時、何回か同じ海水浴場に列車で行った。その最寄り駅の駅前広場に隣接するお宅に大きなイチジクの木が有った。強い日射しの下で、列車を降りると、熟した大きな夏果が塀越しに見えた。熟れて落果せんばかりで、取って食べればいいのに、勿体ない、出来るものなら取って食べたいと思った。

家の裏庭に、イチジクの木が有った。夏果が熟れると、姉と2人でもいで食べた。押してみて、蜜が出そうな柔らかい実を食べた。もぐと実の軸から白い樹液が滴った。少し割れた口から茶色の薄皮を剥いで食べた。1人数個食べると、充分満足できた。もうその時に熟しているのはお終い。又何日かすると幾つか食べられた。秋になると秋果が熟して食べられる様になったが、夏果のようには大きくないし、甘みも少なかった。但し、数が多いので、量は有った。みんな熟した頃に殆どをもいで、砂糖で煮て、保存したのを時々食べた。

東南アジアでは何回か現地のイチジクの木を見た。幹に直接実が生えているのが多く、最初はイチジクと気づかなかった。日本のものより小振りであった。熟すと表皮はかなり黒く、最初は抵抗が有ったが、慣れて食べるように成った。ちょっと下品な食べ物なのか、流通に向かないのか、市場で見かけた事はない。

中央アジアで会議の小休止の時、イチジクが出てきて、喜んで食べた。出した人は少しためらいがちに見えたが、自分が喜んで食べた後は、安心したように見えた。

原産地は南アラビアらしい。アラビアで見たことはないが、きっとそう言う目で探さなかったからだろう。日本には17世紀にオランダ人が長崎に持ち込み、それが全国に広まったらしい。

今でも自分はイチジクが好きだ。大した果物じゃない気がするが、重量当たりは結構高い。季節になれば、少し安くなった頃を見計らって、買って食べる。生食もするし。砂糖で煮て暫くの間、食後にデザートとして食べる。

その度に昔見た木や食べたときの事を、幾つか思い出す。

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2009年8月28日 (金)

駅前の蝉

自分が住んでいる街の駅前が再開発された、駅前にポツリと残された野原で、真夜中に老人達が、異様な熱気を帯びて「真夜中のゲートボール」をしている。

そこの野原は、土がはぐられて、幾らか有った樹木も、そこの地中に住んでいた蝉も全て根絶やしに成った。老人達の幾人かは木の精霊や蝉の鎮魂の為にその地でゲートボールをしている。

土がはぐられなかった所も全て舗装が成されて、その地中にいた蝉の幼虫も出口を失った、時季巡り地上に向かったが、そこには暗黒の壁が、彼の前に立ちはだかった。

駅前にはたった三本のメタセコイヤが残された。その狭い一画だけは、従前の如く、幾匹かの蝉が鳴いた。明りに照らされて、真夜中まで鳴く。

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2009年8月24日 (月)

選挙のご案内(2)

衆議院議員選挙のご案内が来た、前回の国政選挙である参議院議員選挙の時は葉書だった気がするが、その後の地方選挙当たりから封書で来るようになり今回の衆議院議員選挙も封書で来た。何か時代に逆行して要らぬ出費をしている気がする。

自分は割りと選挙に行くのが好きかも知れない。選挙が好きというのとはちょっと違う。選挙が好きなら、選挙を手伝うとかするだろうし、もしかしたら立候補したりするかも知れない、これは冗談。

自分の大した記憶じゃない記憶によると、選挙運動員は無報酬、ポスター貼りとか、葉書書きとか単純労働者は報酬を貰って良いらしい。因って運動員は利益を誘導される会社から派遣されたり、その他支持母体から送り込まれたりするんだろう。

選挙カーに乗っている人達は報酬を貰っては駄目らしいが、ウグイス嬢と運転手は良いらしい、報酬を貰って良い人達も、法律で余り高くない上限が決まっているらしい。弁当なんかも低い上限が決まっているとの事。でもまあ実際は色々あって、当選してしまえば、有耶無耶になって落選すれば厳しい官憲の追求が有るのかも。

頭の良い人が考えたんだろうけれど、そんな決まりは全部撤廃して、金も人も使いたい放題にして、有り体に極端に言えば、買収も供応も勝手次第という事、そんな国政選挙を20年ぐらいして、2代目3代目ばかりとなった議員の家産を使い果たさせ、金で議員の椅子を買う愚なる人のパターンを我々が学習し、出たい人より出したい人を押し出せるように、無償で選挙を手伝い、その手伝いが出来る社会体制を創って行く方が長い目で見れば日本の政治を浄化し国民の地味ながら健やかな人生を確実にする方じゃないか知らん。

選挙の度に、投票率を上げなければ、見たいな、真の民意は高い投票率から、見たいな話が有るけれど、与野党とも話が勝手すぎるし分かりにくい、それに候補者に魅力がない、等という議論は聞いたことがないが、そこら辺に原因が有るかも知れない。

悪乗りついでにいえば、投票率を上げたいのなら、3回連続行かなかったら選挙権永久剥奪、勿論被選挙権も剥奪、そうすれば有権者じゃ無くなるから、投票率は相対的に確実に上昇。ついでに選挙に行ったら、政府が出口で現金千円、所得税五千円減額、ついでに年金増額。そんなことをすれば病気で行きたくても行けない人の権利侵害、不平等、弱者虐めとか何とか囀る人が出るだろうけれど、そんな事は、矛盾に満ちて実行出来ないし、する気もない空手形、じゃない選挙公約を、がなりたてたり鵜呑みにしたりしている人に、言われたくない。

少し冷静に考えたら如何ですかという、ちょっとした冗談です。

蛇足:現金は出口で渡すより、候補者及びその運動員が入り口で渡す方が、より効果的かも知れない。イヤー、いろいろな人に怒られそう。

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2009年8月20日 (木)

夜の蝉

今年は去年より天候不順な気がする。梅雨が明けても、雨降り止まず。梅雨明け間近の様に強い雨が降ったり晴れたり、蒸し暑い日が続くけれど真夏の太陽が連日、と言う感じは無い。最近台風が近くを掠めて北東海上に去った。今度は少し真夏らしくなるのだろうか。

各種作物はやや不良とも言っていた。観光地も季節商品も期待はずれ。自分は夏はスイカとモモが大好物で、暑い夏なら連日のように食べるのだが、今年は今一、乗らない。味も少し落ちる気がする。

年収の可成りの部分を占める作物の価格が低いと、農家の厳しい1年。農家はサラリーマンより余程色々なことを考えると思う。単純に言えばサラリーマンの努力は報われることも多いけれど、農家の努力は、神の為せる技によって一顧だにもされずと言う事が今年は各地に多いだろう。勿論逆もある。日々作物を見て、天候を見ていれば、ものを考えずには居られないだろう。

田舎から野菜とメロンが送られてきた。今年は天候が悪く、作柄が悪いと。それでも例年の様に送ってくれる。有り難いことだ。

そんな季節になると、アブラゼミが夜、ギュギュと鳴く、ギュッキョ、ギュッキョギーと鳴く、ギュギュジージーと鳴く。たまにそれに反応してか、別の蝉が鳴く。起きて鳴いているのか。何か夢を見ているのだろうか、それともちょっと車のライトが当たって寝言を言ったか。

蝉は人間の豊作不作には関係なく、季節になれば、現れて鳴いて消えてゆく。

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2009年8月18日 (火)

長生きすれば

父方の祖父は長生きした。同じ屋根の下で暮らした。最後の20年ぐらいは別々に暮らした。偶に帰郷して昔の話や、その時の印象を聞かせて貰った。

亡くなる直前まで、普通に朝起きて、日中は新聞を読んだりテレビを見たりしていた。普通に夜寝ていた。睡眠時間は少なくて良いようで、夜よくラジオを聞いていた。心が安まると言っていた。自分も休日はNHKのラジオ放送を聞いている。良い番組が多い。

自分が未だ20代だった頃、帰省してじっくり祖父の話を聞いたことが有る。大部分は昔それなりに聞いたことの有る話であった。それでも少しずつ新しいことが有り、彼の過去の様子が付け加えられて学ぶことが多かった。

「長生きすると、段々友達が減っていき、最後は一人も居なくなって、寂しい」話す顔はいつも通りにこやかで有ったけれど、心の中は本当に寂しかったのだろうと思う。おたがいに衰えて、訪ねることは出来なくても、生きていれば心の中で、ああしているか、こうしているか、と考えられるが、亡くなってしまえば、思い出だけで、未来はもう無い。

「友達がいる内に死んだ方が良いのかも知れない」とも言っていた。自分は未だそんな年では無いけれど、友達は家族とは又違う心の拠り所。

家族は心遣いで、お爺さんを長年の友達若しくは畏友、先輩の葬式に出したがらない。寒かったり疲れたり、気が落ち込んだり、心配の種は尽きないけれど、本人が望んで家族が支援できるなら、世間体など気にせず、参加させてあげるのが、本当の孝行であり本人も生きた意味を確認できる残された数少ない機会では無いだろうか。

長生きの秘訣、某首相経験者の言葉…「転ぶな、風引くな、義理を欠け」:自分の考え方とは違う。

『高木』は家族が止めるのも聞かず、『井上』の厳冬の葬儀に出席した。それで体調を崩してそれが元で死んだ。家族は悔やんだだろうし、世間も家族を非難しただろうけれど、『高木』は故人を偲び、生きた意味を噛みしめて本望だった気がする。

自分にそんな刹那が巡ってくるや否や不明であるが、或る意味義理を欠く位図太い大政治家ではなく、生きる意味を噛みしめる機会を全うする生き方を選びたいと思っている。

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2009年8月 4日 (火)

電車でビール

昔或る知人が言った。「会社でワイン輸入しているから安く買って、毎日電車の中で飲みながら帰る」最寄り駅には奥さんが車で待っているとのこと。もう勝手にしろと思ったが、「いやあ、結構ですなあ」彼は東京駅から外房特急。

ちょっと旅に出て、夜各停でも快速でも比較的長距離走るボックスシートのある電車に乗っていると、必ず近くにビールを飲んでいる人が居る。会社員。ちょっと羨ましい。袋から何かつまみながら、飲んでいる。1人で黙りで飲んでいる。自分が先に降りてしまえば、何と言うこともないが、自分が遠くまでで、その人が、降りる駅に来て、鞄を持って、空き缶を持って、つまみの残りをポケットに入れて、ボックスシートの奥から声を掛けて降りてゆけば、「あのビール、美味しかったんだろうなあ」だけだけれど、空き缶をそのままにして、つまみの袋を座席の下に捨てて、声も掛けないで降りてゆけば「ゴミぐらい片付けろ」と心の中でだけ思う。自分も了見が狭い。

昔は夜遅く簡単に泊まれるところはサウナだった。今は漫画喫茶、その発展型のネットカフェも有る。今でも自分はサウナが好きだけれど。サウナ上がりに、ビールを一杯飲んで、寝るのは気持ちがよい、旅の途中、サウナで雑魚寝。電車に揺れながらビールを飲むより、好きかも知れない。

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2009年7月26日 (日)

98円家族

昔駅前に小さなスーパーが有った。必ずしも安いわけでは無かったけれど、自分はよく行った。夜78時頃結構混んでいた。当時としては珍しい1個売りが有った。タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、ナス、キュウリその他、大抵のものが1個でも買えた。ミカンも1個でも買えた。

当時自分はそれでも米は5キロ入りを買った。本当にお金が無いときでも、1キロ入りの米は買ったことがない。主食=民族の基本的食べ物、と言う程煮詰まって考えていたわけではないけれど。お金が無くて5キロ入りの米を買うのが躊躇われるとき、うどんやらパンやらラーメンやら食べて、「今はこれが食べたいから」のつもりでいた。このスーパーその内店を閉めて食べ物屋さんに成った。昔それなりにお世話になったので、今でもフラッと休日の昼食に立ち寄る事が有る。

それから暫くして、99円実際は104円で大抵の食料品が買える小型スーパーが出て来た。包みが小さくてこれも重宝して利用させて貰った。ビールもどきは大型のスーパーよりは少し高かった。そこに行くときのリストと大型スーパーに行くときとはリストが違う。

それから又、実質100円のお菓子類を売るお店等も出て来て、それなりに皆さん工夫努力が有って、ああ大変な事だと思ってしまう。感謝しております。

今は大型スーパーでも実質98円の品物が数多く陳列されている。厳密には比べられないけれど、見出し価格は安いわけだから、昔買っていたものと同じと思って、消費すれば確かに、全体的には出費が減る。

家はよく98円ものを利用させて貰っている。因って98円家族である。でも経済全体としては、ちょっと違う気がする。ものにはそれぞれの価格が有って、それぞれのおたがいに都合の良い入り数と言うものが有って、もっと全体として滑らかに、結果合理的で作り手、売り手はそれなりの利益、買い手はそれなりの満足が有る気がする。誰か経済の先生で、研究している方が有れば、そう言うこともお知らせいただきたい。テレビでは自分には解りにくいマクロ経済について話す人は多いけれど。

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2009年7月24日 (金)

英語が口から(2)

2年ほど夜間の英語学校に通っていたものだから、週末は疲れて余り活動しなかった。当時未だ土曜日は半日働いていた。偶に友達と街をふらついて、一緒に昼飯を食べるのは、楽しかった。新宿辺りを彷徨いて、バッティングセンターへ行ったり、映画を見に行ったり、今思えば暢気なものだった。

日曜日は特段の予定が無ければ、通常通り起きて、家事をこなし、買い物をして、ゴロゴロして本を読んだり、昼寝をしたり、そこら辺を散歩したり。宿題が有ればそれをした。

2年ほど行った後、学校を辞めた。暫くはボンヤリ、ひたすらボンヤリ過ごした。テレビを見ると言う習慣も無かったし、当時ビデオは高価で持っていなかったから、夜半の番組を予約して後で見ると言うこともなかった。結局本を読んでいることが多かった。やっぱり半分は英語の本。

学校を辞めてから暫くの間、全く夜は暇を持て余した。閑居しても不善を成す事は無かった。只ボンヤリ過ごしたが、不善は兎も角、何かしていたら、もう少し違う展開が有ったかも知れない。

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2009年7月20日 (月)

英語が口から(1)

自分は駆け出しの頃、昼働きながら、夜英語の学校へ行って、英語を勉強した。一日3時間、月曜から金曜まで週5日間、学生並みに春夏冬休みが有った。2年ほど通った。まあまあ出来るようになったけれど、使わないで居ると忘れる。単語は勿論、ちょっと難しい言い回しは、直ぐ忘れる。気の利いた文章なんかも主旨は記憶していても本文は忘れる。日本語だって使わないで居ると難しい単語は中々思い出せない位だから。

英語の勉強をしていた頃、英語に関する本か、英語で書かれた本以外は読まなかった。普通の本が読みたいと言う衝動を抑えていた。新聞も英語。電車の中で必死に読んでいたから、ちょっと目には、衒学的な嫌らしいサラリーマンに見えていたかも知れない。そうでないときは、教科書を見ながら英語の練習テープを聴いていた。テレビはバイリンガル放送の場合は英語の方を聞いていた。殆ど解らなかったけれど。

だもんだから、

聞き流すだけで英語がしゃべれる様になる見たいな、自分の好きな時間に少人数での会話クラス入れば、たちまちしゃべれるようになる見たいな、ちょっと勉強すれば口から英語がぽんぽん飛び出す見たいな、惹句を見ると、「うーん」と唸ってしまう。

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2009年7月14日 (火)

ブログの非公開

時々ひょんな事から、色々なブログを開いて見る機会が出来る。贔屓にしてお気に入りに登録するのもあれば、そうでないものも有る。読んでいてちょっと気になり、プロフィールを見る事が有る。それなりに感心する事が多い。金銭的余裕が有って色々自由に試してみた人を見ると、羨ましかったりする、それはそれなりに苦労は有るのだろうけれど。

それとは違って、当方から見るととても恵まれているのに、もっと恵まれているところが基準らしく、不満っぽかったりする、ちょっと違うなあ、と思いつつもそう言う人が多いことは認めざるを得ない。

自分が好きになれないのは、学校、年齢、住所その他、可成りの人が全然興味がないことをワザワザ取り上げて『非公開』としている人。黙っていればよい。にもかかわらず『性別:女性』、『国籍:日本』等と言うのだけ表示してあったりする。殆ど意味を成すとも思えないけれど、その人なりの拘りだろうけれど。

肝心な事が秘匿され若しくは表示されていなくて、どうでも良い、どちらかと言えばそれを提示している側にとって安易な若しくは有利な方だけ表示して居るのは宜しくない。

要するに売り物だったら値段を教えてくれ、と言う事。農作物は季節や等級で価格が変動するから、提示しにくいだろうけれど、その時の市場価格とか教えてくれないと、購買意欲も発生しない。1個¥5000のメロンだったら、殆ど自分の日常生活には関係ない。知識として関係するだけだ。それが1個¥500だったら、今度スーパーに行って、有ったら買って食べてみたい、と言うような動機付けが発生する。

もっと世の中解りやすくして、サッパリ生きて行けたら良いのにと思います。

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2009年7月 8日 (水)

コウモリ

最近コウモリとはとんとご無沙汰している。数年前に近くの遊歩道を薄暮に散歩すれば見られたから、今でも飛び交っているのが見えるだろう。

田舎に居た子供の頃は、夕方空に沢山飛び回っていた。何故かは知らないが、ゲタを投げると方向を失って落ちてくると信じられていた。夕方、ゲタを履いて出て、飛んできたらそれをなげつけたが、ヒラヒラと交わして、少しガッカリしたけれど、全く落ちてくる気配はなかった。何回も遣ってみたが結果は同じ。ゲタに特段の神通力は無かった。

飼ってみたいと思った。

近くに洞窟の心当たりは無いし、防空壕の残骸も知らないし、木の洞もそんなに無いし、と思いめぐらしていた。そんな時偶然近くの橋、『歌橋』と言います、良い名前でしょう、その橋の下側から飛び出した気がした。次の日、実況見分したが、橋の下に居る気配はないし、そもそもそんなところに居たら、その下でよく釣りをしたのだから気付いていたはずだ。観察したら、橋の路面の水を流す配水管が何本も出ている、何本かは詰まっていて、空中側からは開口しているのが解った。

棒を持ってその砂を掻き出していると1頭が飛び出した、子供だから不用意に作業をした結果。一旦家に帰り、釣りの網魚籠を持って帰り、それをソローリ、管の開口部に被せて、紐で結わいた。準備万端。ゆっくり砂を掻いて、突いたが、居なかった。残念。次の管。網魚籠を被せて紐で結わいて、管を棒で叩いたら、2頭が飛び出した。

急いで家に持ち帰り、ぶら下がり棒を設えた鳥かごに入れた。何だったか思い出せないが、黒っぽい布を被せて暗くした。

カトンボとかカゲロウとか沢山入れた。当時街灯の下に行けば、簡単に沢山採れた。水も入れた。その内食べるだろうと思ったが、食べない。何日かして1頭が死んだ。籠の下に落ちていた。掴んで良く見た。固くなっていた。汗臭い匂いがした。裏庭に埋めた。

もう1頭は、もう餌を食べるだろうと思ったが、食べなかった。4日目の夕方、籠から掴んで出して、夕闇迫る空へ放した。ヒラヒラと飛んでいった。それからコウモリを捕まえるのは止めて、見るだけにした。

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2009年7月 2日 (木)

エコポイント

地球温暖化対策や経済活性化を図るため省エネ効果の高い家電製品(エアコン・冷蔵庫・テレビ)の購入に対して付与される、様々な商品・サービスと交換可能なポイントのことである。

それからエコカー減税、これは環境性能に優れたエコカー(低公害車)に対して自動車重量税と自動車取得税の特例、則ち減税。テレビを見ていると補助金も出ているようだ。

環境改善に貢献して、不景気を吹っ飛ばしみんな幸せになろう、見たいな良いことずくめな話の様だけれど、ちょっと怪しい気がする。

結局は全て税金で補填されるだろうから、平等の様な気もするけれど、今そこそこ幸せで購買力もある比較的少数の人が新しいテレビを買い、車を買い換えて、益々幸せなり、それ以外の大部分のそれ程の購買力が無い人達は、環境を全体的に悪くして、その人達から薄く集められた税金が少数者に使われる。そんな臭いがする。結果として、貧乏人から集めた税金を金持ちが使う事に成っている気がする。そうでないなら、そうでない、そうならそうと与党でも野党でも評論家でも説明して欲しい。

車やテレビを作っている人達のグループの“陰謀”で“政治家”を動かした、そんな気がしないでもない。勝手な想像をすれば献金の臭いもする。

でもまあ貧乏人のやっかみで、片付けられそうだ。

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2009年6月28日 (日)

アダンの実の食べ方

ずっと昔、未だ学生の頃、みんなで沖縄旅行をした。フラフラ歩いていたらアダンがあった。沢山熟した実が生っていた。「あっ、パイナップルが生っている」確かにパイナップルのようだけれど。果物だから木に生っている!?その後でパイナップルの食べ放題に行った。「果樹園じゃないんだあ」とその人とっても不満げ。良く見ればさっきとは全く様子の違う状態でパイナップルが沢山、生えている。生っている、とは言い難い。ここで誤解の主は、真実を悟りました。こういう人って、自分は割りと好きかも知れない。

当時、熟したアダンの実が食べられる事を知らなかったので、試してみなかったけれど、知っていたら必ず試したと思う。何処にもゴロゴロ生っているし。

アダンもタコノキも同じタコノキ科。葉の緑が濃くて美しい。幹の途中から、太い気根が沢山出て居るから、タコの足の様でタコノキ科に成ったのだろう。単純で解りやすい。

今度沖縄か小笠原、もしかしたら八丈島にも有るかも、に行ったらアダンの実、タコノキの実を食べてやる。今は普通食べないようだから、それ程美味しい物ではない気がする。それでも食べるときっと何かを思う。昔の人はそれなりに食べていたらしいから。

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2009年6月26日 (金)

地獄覗き(後)

ちなみに、

自分の人生で一番の恐怖体験は、小学校5年ぐらいの時に起きた。いつものように1人で裏の山を散歩していた。そこは用水が、裾に沿って流れていた。そこにある道をいつも通り鼻歌交じりで歩いていると、何やら、右足に可成りの違和感、悪い予感がして下を見たら、とぐろを巻いたヘビを真上から踏んづけていた。ヘビは慌ててとぐろを解きながら逃げたし、こちらは右足が硬直してそこに突っ張り、左足には力がなくなり、回転するように用水に背中から落ちた。その上にそのヘビが降ってきた。そのヘビがニタッと笑ったような気がした。地獄も斯くばかりかと。山中に我が悲鳴がこだました。

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2009年6月22日 (月)

地獄覗き(前)

勿論、本当の地獄(!)を見たことは無い、見たくもないけれど。本当の地獄って何だって?お寺にある仏教の地獄。こちらは偽の地獄の話。温泉場の地獄谷、地獄の湯、食べ物の地獄ラーメン、ちょっと気の毒だけれど地獄焼きとかは結構好きな方かも知れない。

『地獄覗き』が有るのは

千葉県
の鋸山。標高330m。房州石の産地で江戸時代から昭和50年代まで建築資材としての石を切り出していた。素晴らしい眺望で東京湾一帯から伊豆大島まで見える。そんな中にひときわ見晴らしの良い所で直下に100m位切り立って、空中に突き出している。

数年前にそこに有る巨大石仏や羅漢などを見物した後、軽い気持ちで『地獄覗き』に接近。柵の先端までおそるおそる歩いた。自分の人生で2回目の大恐怖。もう少しでちびるところだった。景色どころではなく、震える足を両手で押さえて、やっと遊歩道に戻った。近々そのリベンジに行こうと思っている。今度はそこで記念撮影もしようと思っている。返り討ちに遭うか、雪辱なるか。

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2009年6月18日 (木)

コウイカの骨

子供の時に兄の自転車の後ろに乗って海に連れて行って貰ったことが有る。多分お尻が痛いので、座敷から座布団を持って、荷台に敷いた。初めて見る町を通って海に着いた。眩しい日の光を見ながら、ハマナスが小さな防砂林の様に一面に咲く砂地を歩いて、波打ち際に着いた。綺麗な貝殻や小さな丸みを帯びたガラス片を時々小走りになって拾った。

小波がザザザーと打ち寄せる、何となく心地よい。持参の布の袋に大分溜まって少し重くなってきた。「有った」伝説のイルカの舌、56センチから123センチのイルカの舌。注意して歩くと次々に見つかった。自分の分を数個確保して、クラスの友達に上げる分として探す、56個追加で見つけた。

それから暫くの間、そのイルカの舌で、鉛筆の芯を尖らせて、字を書いていた。友達も自分も鉛筆箱に入っている鉛筆の芯はいつも尖っていた。

その内無くしたり、壊したりして、使わなく成りすっかり忘れた。中学生に成ってから、それがコウイカの骨だと言う事が解ったが、何故小学生の頃イルカの舌だと思ったかは未だに不明である。

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2009年6月10日 (水)

マンゴーの食べ方(後)

パキスタンには日本製の車が溢れている。その他日本製の工業製品が数多くある。貿易は日本から大幅な出超である。パキスタンのアップルマンゴーが日本で安く買えたら、沢山買って食べたい。買って貰うばかりではなく、パキスタンから買えるものが有ったら買いたいものだ。マンゴーに関して言えば、日本産はパキスタン国内の価格の概ね100倍だ。検疫、輸送、利益など考えても、日本産の10分の1以下の価格で店頭に並ぶと思う。日本の生産農家と流通販売業者などが協力して、近くのスーパーに並ぶようになったら、気軽に食べたい。

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2009年6月 4日 (木)

マンゴーの食べ方(中)

マダガスカルではサイトの中に大きなマンゴーの木が何本も有った。ワーカー達が時々もいで食べていた。赤く色付き始めたのを、皮を全体的に少し押して、実の先から皮を剥いて食べていた。中には皮から実を十分に押して、中で半分ゲル状にしてから実の先端の皮を齧って穴を開けて、中身を吸い出している人も居た。

休みの日に近くの市場へ出掛けてマンゴーを買った。適当に選んで秤に乗せて、切りの良いところでお金を払う。適当にお金を出して、価格分をとって貰う。一回目は地元の人が払うのを見てからだったが、同じ価格だった。日によって価格が変動する。言っている数字が中々理解できなくて、いつもそれなりのお札を扇を広げるように出して、必要分を取って貰った。一回目の時、お金を払っても、一向に渡してくれない。周りを見ていると、地元の人は、肩から提げた袋に入れたり、着ているものの裾を巻くって入れたりしていた。自分は10個ぐらい買って居たので如何ともし難く、近くに居た篭屋さんで手籠を買ってそれに入れて持ち帰った。その後買い物にはその籠を持って出掛けた。重宝した。そのホテルを出るとき、いつも部屋を掃除してくれていたオバサンにその籠を上げた。

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2009年6月 2日 (火)

マンゴーの食べ方(前)

マンゴーはウルシ科マンゴー属の果樹の実である。原産地はインドからインドシナ半島近辺と推定されている。開花した花は悪臭を放つ。受粉の手助けはハエが行っている。日本のハウス栽培ではミツバチがしている。人によってはかぶれる事が有る。自分の知人は全身かぶれて入院した。

自分はマンゴーが好きである。日本では高価である。日本産は超高価である。勿論食べたことは無い。残念ながら実物を見たこともない。昔行ったことが有る旅先で現地に有れば、よく買って食べた。現地でも高い方の果実である。それでも日本の価格に比べれば、通貨の関係もあり安い物だ。

自覚的に始めて食べたのは、タイでマンゴーライス。甘く軟らかく煮た餅米の横に甘いマンゴーが添えられていた。デザートの様な3時のお八つの様な。タイでは熟したマンゴーも食べるが、青いリンゴの様なマンゴーを種に沿って細長く切り割ってトウガラシを混ぜた砂糖を付けて食べたりする。青臭さには直ぐに慣れて普通の食べ方の様に思える。歯ごたえが有って美味しい。

パキスタンでは最も暑く最も湿度が上がる季節にマンゴーが熟れる。アップルマンゴーが多い。道端で売っているのを23キロ買って、一日1個当て食べていれば、ビタミン不足の心配は無い。香り甘さ食べ心地とも申し分ない。日本産のマンゴーと見た感じはそっくりだ。

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2009年5月29日 (金)

小バエ男

昔永らく住んでいた市では、ゴミ袋引換券の配布が有った。45リッター程度の大きさだったように記憶する。ゴミを出すときには勿論重宝したが、生ゴミはそんなに量が出ないので、生ゴミで使った記憶はない。その他ゴミ出しにも利用したが、ノーエミッション、とまでは行かないが、比較的ゴミ出しの量が少ない生活をしていたので、配布のゴミ袋を、衣類等の整頓や保管に使った。

今住んでいる市は、ゴミ袋の配布は無い。数年前から生ゴミその他有料化で、専用のゴミ袋を買うように成った。黄色っぽい袋と青っぽい袋。それでゴミが減ったかどうかはハッキリしないが、世の流れだったら仕方ないとは思っているが、近隣他都市より税金が高いと言われているのに、ゴミ袋まで買うというのは、市の運営に改善点が有るようにも思う。

ゴミを捨てるには、それなりの量が溜まってから。生ゴミは冷凍庫に入れたり、バケツに入れたりして、その日のくるのを待っている。夏にはそのゴミバケツに蠅が群がって、ちょっと嫌な気になるときも有る。殺虫剤を撒くときが有る。彼らは彼らなりに存在意義が有るのだろうけれど、当方に取っては、邪魔なので、なるべく来ないように、気を遣っている。

聞くところに因ると、美人には身の程知らずの男が、その人が美人と言うだけで、群がるらしい。気の毒なことだ、どっちが?両方とも。気を引こうとして近づくお馬鹿丸出し(わしの事では有りません、念のため)の男を、小バエ男と言うらしい。誰が付けたか知らないが、分かり安い良い名前だ。美人の方は、丁度引き合うお馬鹿ちゃんだったら兎も角、普通は払っても、払っても、群がって来る小バエ男に結構うんざりする物の様だ。男の平均点が下がりすぎて、男と付き合う気もせず、と言うことに成る人も多いとのこと。

会社の人から聞いたのだけれど、彼の部署に、1人じゃ群がるとは言わないのだろうけれど、ゴミに集まる小バエのように、権力に群がる『小バエ』がいるとのこと、これは美人と小バエ男と違って、双方とも気付いていないらしい。それはそれで、かなりえぐい。

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2009年5月25日 (月)

ヒツジの目玉の食べ方

子供の時、誰からか教わったのだろうと思うが、キンキとか、タイを食べる機会があれば、目玉も食べた。最近は頭が良くなる() DHAとか美人になる ()コラーゲンとか高血圧を治しコレステロールを正常化する() EPAが、タップリ入っているマグロの目玉を食べている。勿論マグロを食べたついでに目玉を食べているわけではないけれど。

魚屋で目が合って、お金に少し余裕が有れば、買い求める。タップリ塩を塗して焼いて食べる。醤油ダレに漬けて焼いても上手い。煮て食べても中々美味しい、何せ大きいものだから結構食べるところが有る。DHAEPAは実感できないが、コラーゲンらしいものは実感できる、ドロッとして美味しい。目玉を動かす筋肉も美味しい。酒も進むし、飯も進む。気味が悪いとは思わない。小さい時にキンキやタイの目玉を食べ慣れていたお陰だ。

昔知り合った人に、ヒツジの目玉の食べ方() についてご教示頂いたことが有る。

中央アジアではヒツジの丸焼きが、最高のもてなし料理の1つだ。主人(主催者)は主賓に目玉を勧める。そんな時は、丁寧に礼を言ってから、目星を付けておいた、長老らしき人に、その権利を譲り、ふたつ目はその長老に一任するか、主人に譲ればよい。そんな主旨の話だった。

1個は長老に譲る事に吝かではないが、自分だったら、せっかく勧めて貰ったのなら、2個目は自分が頭蓋骨から抉り取って喜んで食べる。前の日からお腹を調整して置いて、ヒツジの他の部位も、他の料理もたくさん食べる。そして主催者はおろか仲間も驚かしてしまうだろう。

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2009年5月21日 (木)

夜の苦しい息

今家の中は変な音に満ちている。

各種電気製品が発するピーピーの電子音にはもうすっかり慣れてしまった。トースター、電気釜、洗濯機、湯船に湯が満たされた音。昔はどれにも音は無かったけれど、特段の不便は無かった。仕事が終われば静かになるだけ。音で知らせてくれれば、何かちょっと便利に成った気がするけれど、目が悪い人以外には、実際はそんな事もない気がする。洗濯をしていることや、ご飯を炊いていることを忘れていても思い出させてくれる、と言うのは又別の対策が必要だ。もう有るのかも知れないが「ご飯が炊けました」「洗濯が終わりました」と言って知らせてくれる電気製品は欲しくない。10数年前に「有難う御座いました」と言う自動販売機と公衆電話に遭遇したが、直ぐお目に掛からなくなったから、絶滅したかも知れない。良いことだ。設置した人々はそれなりの熱意が有ったのだろうけれど、大部分の人から支持されなくて、無くなったものと思う。

その内電気製品として電子レンジが加わって、これは初めから各社チン、と言う音。それでチンすると言う動詞が発生した。このチン、何かいわれが有りそうだ。何で『チン』になったか、ご存知の方が有ったら、お教示願いたい。

ピーピー鳴って、次の行動を起こすと言うのは或る意味合理的なようだけれど、自分で考えれば済むことを、外部刺激がなければ駄目になるように仕向けられているようで、好きになれない。ユーザーを馬鹿にする陰謀のような気がしないでもない。

家にある洗濯機の回転が一旦休止して、次の回転に入るとき、豚の断末魔を連想させる音を出す、切ないから止めて欲しい。また湯沸器が点火されているが給湯していないとき、大きな溜め息のような音を出す。夜遅いと、自分がこき使っているのを溜め息で応えている様で、これも又止めて欲しい。アイロンはスチームがよく出ない癖に時々、関係ないときに「シュー」という音を出す。電気釜は、保温の時に、「ギッ」という音を出す。

夜に苦しい息の様な音を聞かされると、器械から不平不満を言われているようで気分が優れない。

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2009年5月13日 (水)

母の日

母の日には何かしら送っている。食べ物が多い。でもまあ毎年それなりに悩む。悩めるだけ幸せなのだと思っている。着くと母達から嬉しそうな電話が来る。それぞれの常識的な役割をこなしているのかも知れないが、それはそれで良いと思っている。

ある時、母の日はいつから有るのだろうと思って調べたらそんなに古いことでは無かった。戦前は母の日を香淳皇后の誕生日とする団体が有った様だが、当日は別の意味の祝日であり、母の日は未だそれ程定着していなかった様だ。どう言う経緯かは知らないが、戦後数年経ってからアメリカに倣って5月の第二日曜日に成った。敗戦国だから仕方ない気もするし、日本では皇后の誕生日にするのは、色々軋轢が発生しそうだし。その国本来の由来は関係なく、その当時最も影響力の有った国、つまりアメリカに倣った。

将来真面目な子供に『母の日はどう言う由来でこの日になったのか』と聞かれたら、真面目な大人は返答に苦慮するかも知れない。

でもまあ当面日付を変更するきっかけも無いだろうし、由来は兎も角行事としては、それなりに定着もしたので、このままで行くんだろう。自分としては調べて反って釈然としなくなった。由来が違うのに現象が似ているからと言って表面だけ倣っていては説得力に欠ける気がする。でもその内もっともらしいいわれが創作されてそれが定着するだろう。

ハロウィーンに仮装し、バレンタインに職場の女性が男性達に義理チョコを送り、1ヶ月後に男性が義理キャンディーをお返しし、クリスマスを祝い大騒ぎしているのに比べたら、母の日の由来ぐらいどうって事ないか。

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2009年5月 7日 (木)

転車台

昔田舎にいて高校に通学していた頃、乗換駅に転車台が有った。当時未だ蒸気機関車が走ってはいたが、あ蒸気機関車だと言うぐらいに珍しかったから、殆ど使うことは無かったと思う。通常の乗換では機関車が転車台の上にいて方向転換する光景を見ることは出来なかったが、何かの拍子で、汽車が大幅に遅れて、その駅に長い間居るときが有って、何回か見たことが有る。

蒸気機関車やヂーゼル機関車があっさり転車台に入っていって、比較的簡単に短時間で半回転して、又あっさり来た線路を戻った。整備するのか、暫く次を待つためなのか、4分の1回転して、車庫に入ることも有った。

乗換駅と言えば、当時その駅しか知らなかったので、それぐらいの駅にはみんな転車台が有るように錯覚していたが、実際は比較的少ないものの様だ。

あの転車台今でも有るのだろうか。田舎に帰る機会が有ったら、一遍あの乗換駅に行って確かめて見たいと思う。

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2009年5月 1日 (金)

ガードマンの帽子

駅前のバス乗り場へ主要道路から入る辺りにガードマンがいつも2人居る。ご苦労様な事だ。雨の日も風の日もカンカン照りの日も。服装は少し変わるけれど、帽子は変わらず。気の毒に思う。

雨の日はヒラブナ釣りのオジサンが被っているような、菅笠か傘を小さくしたような帽子にすればいい。カンカン照りの日は麦わら帽子。寒いときは防寒帽子。一日中立って、一日中誘導灯を振り回して居るのだからせめて帽子は気候に合ったものを。

雨の日に合羽を着て居るのは良いとしても、人も殆ど歩いていない、バスも来ない時は、ちょっとした屋根のある所を用意してやれば良いのに、カンカン照りや雨ざらしの中に佇んでいる。

大部分の通行人はそこまで期待していないと思う、少なくとも自分はそうは思っていない。まるで修行をしているようだ。服装が気候に合っていれば、もっと仕事に集中して効率が上がるだろうに、そもそも、バスの通行の安全を図るオジサンが、お巡りさんもどきの制服を着る意味なんて有ると思えない。もっと派手で、気候に合って、動きやすい服装が良いと思う。

街を彷徨いていると何か少しイラッとする事が多い。もうちょっと実情に合った事をしたら良いと思う。

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2009年4月24日 (金)

干鱈の食べ方

芭蕉の句に「躑躅生けてその陰に干鱈割く女」と言うのが有る。

自分が子供の頃、干鱈を塩抜きして甘辛く煮たおかずが時々出て来た。甘辛いので1回煮ると何回か食べられた。自分は好きだったから良かったけれど。

お八つが欲しくなって、戸棚に有る干鱈を引っ張り出し横槌で叩いて、適当に割いて、炙って食ったこともある。自分は美味しいと思って食べた。最近見なくなったが、半生のしょっぱい鱈のつまみも好きでフラフラ旅に出るときは、一袋鞄に入っていた。

芭蕉の頃も自分がガキの頃も、干鱈は、安い物で、貧乏人の食い物だった。今鱈は高級食材になってしまった。漁師が潤っているなら、まあ仕方ないけれど。自然現象で獲れない波に成っているのなら残念なことだ。資源が枯渇して無いというなら益々残念だ。又昔の様に豊富に出回らんかなあと思う。

その内、戸棚から干鱈を出して、横槌で叩く、適当に割いて、七輪の上の金網に乗せて炙る、近所の自分に負けず劣らず老人力の付いた友達と昔話をしながら、秋の夕方4時頃から茶碗酒をチビチビ遣れば、楽しいだろうなあ。

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2009年4月20日 (月)

カスベの食べ方

自分の家以外で食べたことが無いものを何となく郷土料理の様に思っていたが、そうでもないらしい。確かにキリタンポは郷土料理だけれども、干しカスベの煮付けは郷土料理っぽいけれど、結構広い範囲で食べられているようだ。郷土料理から出世して広い範囲で食べられ様になったと言う事だろう。

子供の時は、どちらかというとハレの日の料理だった。身も好きだったしナンコツもカリカリと食べるのが好きだった。翌日になれば煮こごりに成って、益々好きであった。煮て湯気が上がって居るときは、異臭に近い。醤油その他を入れて味を調えると、それなりに食べ物の様な匂いに成る。当時生のカスベを煮て食べたことは無かった。傷みやすいので、乾燥させて流通していたのだろう。

当時同じものだとは知らなかったけれど、小さな漁港辺りにはカスベが乾されていた。かなりいい加減な大きさに切られて紐に掛けられていた。干したてのものには、血が付いているものあった。色も悪いし、ボロ雑巾の様にダラーとしていた。今時はきっちり長方形に切られて小綺麗に包装、地域の直売所で売っている。

食べていた地域以外からの人は、余り買わないと思う、干しカスベそのものは食欲をそそる見てくれではない。名前だってカスベ、カスですよ。べですよ。自分は小さいときから食べていたので、見付けると買う。偶には、田舎に頼んでついでの時に、一袋送ってもらっている。昔は安価なものだったが、今はそれなりに高価なものに成ってしまった。

昔行ったことが有るインド洋の島のレストランでエイの煮魚があると聞いて注文した。生カスベの煮付け。干しカスベより少しトロッとしていた。美味しかった。大きな切り身で、食べ応えも充分だった。味付けも自分のお袋が作ったのではないかと勘違いするほどで、郷土料理っぽかった。何人かと一緒に食事をしていたのだが、心は暫しふるさとに飛んでしまった。何十年も前のハレの食卓の光景を思い出した。

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2009年4月16日 (木)

逃げ足

逃げ足がやたら速い奴が居る。大抵こういう連中は、梯子を外すのも上手い。無定見な輩が多い。それで居て見てくれも悪くなく、家柄も良かったりする。勿論学歴も良い。論理の展開は正しいのだけれど、出発点の現状認識が歪んでいる物だから、手段が適切ではない。因って殆ど結果は惨憺たるもの。大抵は、即断即決短慮であるが、頭脳明晰と勘違いしていることが多い。人徳は無い。

その失敗は自分に起因しないで他人に起因すると思っているから、めげることが無い。部下の手柄は無論平気で横取りをする。本人にその自覚は無い。自分の失敗は、他人の努力不足にしか見えない。それでも、決定的に自分の立場が不味くなると、本能で感じて、やたら早い逃げ足の才能を発揮する。時に強弁して恬として恥じない。希に観念して従容として運命に従うこともある。

私はそう言う者になりたい、なんてね。

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2009年4月14日 (火)

毛皮

昔家に毛皮が有った。一枚は熊、もう一枚は多分カモシカ。何も加工されていなかった。獣を真ん中で割いて身を取ってそのまま延ばして鞣しただけ。裏はゴワゴワしていた。

冬に爺さんが敷いた熊の毛皮に坐っていた。カモシカの毛皮はチャンチャンコの様にして着ていた。こう言うと鉄砲打ちの猟師かまたぎの家みたいだが、そんな事は無い。鄙びた農村の鄙びた農家。見たのが小さなガキの頃だったのでうろ覚え。高校生の頃まで有ればきっと、爺さんに言ってゆずって貰ったと思う。もう聞く人も居ないので、どうゆう来歴かはもう知ることが出来ない。

これら毛皮の主は、人間に肉も胆嚢も、全てを捧げた。そして皮を残した。未だ毛皮が有った頃、腹痛の時は、熊の胆を一欠けを飲まされた。とても苦かった。嫌々でも飲んだと言うことは、きっと効いたと思う。

電車の中で久方ぶりに毛皮を見た。60代後半の女性が着ていたロングコート。毛皮用に飼育された動物の物だろう。あの動物の肉はどうなってしまったのだろうか。加工されて多分何かの動物の餌か、肥料に成ったのだろう。

今の風潮が続けば、動物の毛皮を見る機会は益々少なくなるだろう。その一方で、処分されるペットだった犬猫の数は30年前の約3分の1とは言え、未だに年間数十万頭である。焼却される。皮も残さない。

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2009年4月 8日 (水)

カブトガニの食べ方

日本の何カ所かでは天然記念物に指定されている。だからきっと食べてはいけない物だと思う。指定されていないところでも、多分食べないと思う。表から見ると兜に長い尻尾が付いているだけれど、引っ繰り返してみると、まるでエイリアンの手足の様で、とっても食い物には思えない。又殻ばっかりで食うところが有るとも思えない。

ずっと昔、東南アジアのデルタの奥へ行った事が有る。そこでお昼をご馳走になった。海鮮料理だった。美味しく頂いた。その中にカブトガニが居た。これは美味しく頂けなかった。人生最初で最後、今のところ。食べたのは身ではなく、卵。引っ繰り返されて出て来た。お腹に卵が沢山付いていた。塩ゆでしたのか、それともちょっと味付けしてあったのかはよく分からなかった。兎も角自分の好みの味ではなかった。卵はバリバリと固く、味は食べたことはないが、泥のようで。厚意だけ受け取って、ご辞退申し上げたかったのだけれど、まあいつもの調子で、死にはしないと覚悟を決め、一掬い食べた。どうだ、と聞くから、「不味い」とも言えず、気が弱いものだから、「卵だね、始めて食べました」と言ったら、何がどう理解されたのか、ドンドン勧められて、かなり食べた。特段お腹が痛くなったりしなかったから、毒では無いと思うけれど。2度目は体が抵抗して、結構食べられないかも知れない。

後で調べたら、このカブトガニ、5億年ぐらい前から化石が有って、2億年前からは殆ど形状を変えていないとのこと。あの格好というのは、ああ言う所に住むには理想的な格好なのかも知れない。我々の大先輩であり、尊敬に値する物の様だ。それに比べたら、我々人類はせいぜい5600万年前に、多めに見積もっても、700万年前にチンパンジーやボノボと共通の祖先から別れた新参者。

オスは季節になると、メスに掴まって縦列で一緒に行動する。夫唱婦随の逆。これはこれで良い気がする。中には掴まる相手を間違って亀に掴まったり、大きな魚に掴まったりして、その気になっているのも居るらしい。間抜けと言えば間抜けだけれど、何となく好きだ。「ホレテマウヤロウ」とはちと違うけれど。そんなお間抜けちゃんなことを、2億年も全く同じ格好で遣って来たとすれば凄い。暢気に暮らしているのだろう。ちょっと調べたら2億年以上前から今の亀の様な格好をした亀が居たらしい。と言うことは二人して、2億年前から、お間抜けちゃんなことを遣っていたかも知れない。2億年×2億年暢気。

おら達は小さいことで苛ついたり、頭に血が上ったりしているけれど、彼らの爪の垢でも煎じて飲んだ方が良いのかも知れない。

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2009年4月 2日 (木)

柱時計

子供だからと言っても眠れぬ夜もある。自分が病んでいる時もあれば父母か、兄弟が病んでいるときもある。嵐で怯えていた時も有った。長い夜時計の音を聞いて過ごす。静かな夜、特に冬の夜はボーンと鳴る前に、ウーッと言うような低い音が聞こえる。何となく感に堪えない、とでも言いたげな、そんな風に聞こえた。

正時にはその数だけボーン、ボーンとなる、30分ごとに1回ボーンと鳴る。12時には12回鳴ったはずだが、そんな時は数えている内に意識が別の所に行って数えた数字と余韻を足して時間が解った。

中学生になって腕時計を買って貰った。それまでは唯一の時間を知る柱時計。長い間、数日に1回ゼンマイを回すのは自分の役目だった。仏壇の側に置いてあった踏み台を使ってゼンマイを回す。鉤を穴に差し込んでゼンマイを回すと、最後は少し固くなってギーギーという音がした。回し終わったら、溜め息をついて、鉤を振り子の下に置いて、踏み台を元に戻して、薄暗い座敷を通ってその場を離れた。当時の子供は忙しいと言うことは無かったから、忘れると言うことも無かった。

高校生の時、冬休みに友達の家に遊びに行って、泊めて貰った事が有る。 雪の深いところだった。夕食が終わって、雑談して深夜になった。大きな座敷に布団が1つ。布団の中に入って、ウトウトしたら、ボーンと柱時計が鳴った。「あ、柱時計だ」暫くして寝入った。

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2009年3月19日 (木)

ほっけの食べ方

今ほっけと言えば、居酒屋で食べるホッケの開き。身離れが良くて食べやすい。店によっては両身に背骨が付いている。最初に対面したときは、少し混乱した。さっき穿って食べた方に背骨が有ったのに、こちら側にも背骨がある。自分の勘違いか、テープが少し巻き戻し再生された?よく見ると反対側にもちゃんと背骨がある。何で?既に少し酔っていたので、暫くドンヨリした。少し経ってハタと分かった。冷凍している物を真ん中で切ったのである。氷のように固い物を人間の手で切れるわけはないから、機械仕掛けの刃物で切ったのだ。これとは違って、お年寄り用に全て骨を抜いたほっけも有るらしい。便利は便利だろうけれど、自分はそのお世話にはなりたくない物だ。

子供の時、母からお使いを頼まれて、時々魚屋へ行った。夕方お金を握りしめて、記憶はないが多分100円位、反対の手には竹で編んだ籠を持って。買うのは大抵ロウソクボッケ。お金を渡すと魚屋の小父さんが氷っているのをトンカチで叩き割って、新聞紙にくるんで籠に入れてくれた。煮て食べた。大きなネボッケは焼いて食べたことも有るかも知れない。当時干物は余り食べた記憶がない。ロウソクボッケは貧乏人の食べ物だったのだろうけれど、自分は好きであった。なんせ身離れが良いし、骨も簡単に取れる。

かなり前に日本海に有る島に遊びに行った事が有る。周囲10キロ余り、人口300人程度。渡りの野鳥の中継地である。半日もあれば島の道路は全て踏破できる。探鳥会の人達が三々五々島の各所に居た。

漁港の辺りを彷徨いた。風が吹いていた。小母ちゃんがほっけを捌いていた。プラスチックの網コンテナに入っていた。その小母ちゃんが、ちょっと離れて見ていた自分達に不意に「ほっけは要らんかね」目が点になって暫くジッとしていると、「ほしければたんと上げようと思って」益々意味が分からない。ちょっと興味が湧いて旅行中だから貰えないけれど、どうしてか聞いたら「船が帰ってきてワカメを遣るからほっけはええ」見ている内に、網のコンテナを岸壁の縁まで引き摺って行って、倒して残っていたほっけを全て海に捨ててしまった。数十匹は干されたが、残りの数十匹は海に戻った、静かに底に沈んでしまったけれど。

岸壁から澄んだ底を見て歩いたら、何カ所かにほっけが固まって捨てられていた。その時期はワカメ優先、ほっけは合間の仕事。

あの時貰っても処置無しだけれど、何となく引っ掛かって、今でも岸壁から底を見ると人の良さげな小母さんと海の底に沈んでいたほっけを思い出す。

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2009年3月11日 (水)

公園のキジ、ウズラ

いつも散歩する公園の端に藪が広がっている。鬱蒼とした藪はそのままであるがその裾の草地は年に何回か草刈りをする。少し離れた所に歩道が有る。そこのベンチに坐って、刈ったばかりの草地を注意深く見ていると、時々キジやウズラが採餌しているのが見られる。昆虫や草の実を食べているようだ。

キジは繁殖の季節はオスメスが番で居ることが有る。絵のようだ。大抵オスは単独で、メスは23羽で、若しくは68羽の雛を連れている。

ウズラはオスメスがよく分からないが、数羽で居るのを見かけることが多い。雛を従えて行進しているのは、残念ながら見たことが無い。

藪の奥は道路に面している。最近道路の拡幅なのか何か施設を作るのか、かなり大きな面積を掘り返している。キジやウズラの生息地が無くなるのではないかと心配している。

キジは国鳥であるし、キジにまつわる色々な言い伝えや物語、諺が有り我々に馴染みの深い鳥だ。春先の繁殖期には頻繁に二声の鳴き声が聞こえて、姿が見えずとも居ることが確認できて季節の到来を知らせてくれる。

ずっと昔田舎に住んでいた頃、初夏、里山を歩いていると、67羽の雛を連れたメスのキジと時々出くわした。危害をくわえるつもりは無いが、走って近づくと、親鳥はちょっと遠くまで逃げて見えなくなるが、雛たちは、遠くまで逃げた様子は全くないのに、近辺に融け込んで隠れて全く見えなくなった。離れて暫く見ていると、親鳥がどこからともなく現れて、そこら辺の草地から沸くように雛が現れた。そして何事も無かったかのように、親鳥を先頭にして雛がチョコチョコと付いていった。

ウズラは小柄で地味であるが、鳴き声が『ご吉兆』で好まれた鳥だ。これらの鳥が繁殖地を失うのは残念な事だ。もしかしたら広い公園の事だから何処かに生き延びて、ベンチに坐って景色を見る我々の前に現れてくれるかも知れないが。

自分にとっては、各種スポーツ施設や駐車場等の構造物が出来るより、本来そこに有った自然がそのままで、野生の鳥や動物その他の生物が、そのままで居られることが望ましいのだが、多分駄目だろう。

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2009年3月 5日 (木)

棒杭の代わり

2週間ほど前、近くの大きな公園に散歩に行った。正面入り口から入った。梅祭りだった。その日は陽気が良かった。たくさんの人出。最近よく見かけるストリートパフォーマーが何組か居た。子供達がたくさん見て居るところもあるし、大人が多いところもある。時々歓声や拍手がおこる。我々も足を止めて見た。一段落するまで見ると、ああ腰が痛い、と言うことだが面白い。野点が行われていた。屋台が賑わっていた。梅林の中をゆっくり歩くと、強い香がした。

我々は公園を半周した。北東側の出入り口から出た。予定していた食堂に入って昼食を取った。入ったのは始めて。美味しく量も多く満足してそこを出た。同じ所から入って、残りの半分を回った。日当たりの良いベンチで休んだ。散歩の親子ずれやジョギングの人達が通る。

最初に公園に入ってから3時間ぐらい経って正面入り口から出た。入るときに居た若い人が未だ入り口の所にいた。朝から夕方まで居るのかも知れない。70cm角ぐらいの看板を持っている。それには一本棒が付いている。下を地面に置いて、上の方を手で持っていた。看板は彼の顔の辺りにある。入る時に下を向いていた。出るときも下を向いていた。アルバイトの学生で、同じ事をしている人が何人か居るのだろう。看板には『~~の戸建て、モデルハウス公開中、~~ホーム』等と書かれて矢印が付いていた。

自分も幾つもアルバイトをしたけれど、棒杭の代わりのアルバイトはしたことが無い。

看板を公園の地面に刺しておけないから、彼が持っていたのだろう。棒杭は人間の代わりが出来ないけれど人間は棒杭の代わりが出来る。

何となく悲しくなって黙りして家に帰った。

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2009年3月 3日 (火)

タケノコの食べ方

数年前いつもの通り夜外房の田舎道を歩いていた。道路の真ん中に筍が数本落ちていた。可成りの大物。拾いたい気もしたが、結局そのままにして通り過ぎた。菜園の小屋に着いて一休みしてつらつら考えた。あれは筍農家が、翌日に直販所等に出荷するために、自宅に軽トラで運んでいるときに、道路に落とした物だったに違いない。きっと無駄になることなく誰かが拾って食べただろう。

同じ頃、秩父にハイキングに行った。道端の野草を摘みながら峠道を上った。或る集落を通過していると、80歳台の老人から声を掛けられた。彼は通路を清掃していた。法面を片付けたり、石ころをよせたり、邪魔な竹を切ったりして、何本かの筍を掘ったとの事。偶々通りかかった我々に声を掛けて、筍を二本くれた。数分立ち話をした。大分腰が曲がっていた。歯も少なかった。皺だらけの顔で笑った。

「元気で長生きしてください」道が曲がって見えなくなるときに、振り返って、手を振った。彼も笑って手を振った。

外房でも秩父でも春先にほっつき歩いていると竹藪に巡り逢って、12本掘ることが有る。大抵はアク抜きしても思った以上にえぐい。折角だから工夫してどうにか食べるけれども。食べられる部分の何倍ものゴミが出る。八百屋の店先でアク抜きタケノコを見ると、剥かれた皮の量が頭に浮かぶ。

年に1回ぐらいは外房の郷土料理を出すお店で筍料理を食べる。美味しいとは思うが、タケノコが余り好きではない。ここ数年自分は、筍づくしではなく、一品ぐらい入った別のセットメニューを頼んでいる。筍を食べ過ぎるとお腹も不調になるし。

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2009年2月27日 (金)

木曜日の夜の食べ方

ムスリムの人々にヒジュラ暦第9月、ラマダーンと言うものが有る。日本では断食月と訳されているようだ。誤解してラマダーンの事を断食のことだと思っている人も居るようだけれど。また別の誤解でその間(つまりは1ヶ月と言うことになるのだが)、断食をしている敬虔なイスラム教徒がいる、と言うのも有る。これは物理的に無理だと言うことが、ちょっと考えると直ぐ解ると思うけれど。悪意が有れば、陰で食べているに違いない。つまり本音と建前の乖離が大きい。だから・・・信頼できない、見たいな話になると、こういう人はもうかなり処置無し。自分の無知を顧みず悪意を以て他者を見る、自戒。

断食の由来は兎も角、これは食料を節約するためではなく、宗教的な試練として行う物だ。日中の飲食が禁じられている。妊婦、子供、老人、旅行者などは免除。その他の人でも日没から夜明けまでは食べて良い。試練だから、食べる物は昔はかなり地味な物だったと思うが、今は贅沢な物になっているようだ。自分の友達は、お祭りのように夜ご馳走を食べることが多いから、太ると言っていた。統計でも食料消費量が増えると言っていた。ヒジュラ暦は純粋な太陰暦で、閏月の調整が無いから1年に11日ずつ太陽暦からづれ33年ほどで元に戻る。因ってラマダーンは日の長い暑い真夏もあれば、日の短い寒い冬もある。ラマダーンの季節が2回転すれば、もうその人の人生も晩年だ。

自分はこれとは本当は全然関係ないのだけれど、粗食日という日を設けてある。実施は木曜日の夜、一食だけだけれど。1年は52週だから、日数だけ見れば、ラマダーンより多い。

他の人が我が家の食事を見れば、普段から粗食じゃねえの、と言いそうだが、木曜の夜は一汁一菜かパンにマーガリン、牛乳か水というような食事になる、量も少ない。論語で言えば疏食。

それで節約したと見なす一週\500を貯めて1年で\26,000気が向けば少し足して寄付している。寄付先は世界の貧困地帯で生活援助、医療、教育などの活動をしているまともな団体。

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2009年2月23日 (月)

色々な物の食べ方

我々は毎日何かを食べて暮らしている。ミルクだけの赤ちゃんも、点滴だけの病人も広い意味で言えば何かを食べて生きている。私はサプリだけよとか、何かの特殊なダイエットに夢中な人、方向が違う気がするけれど、やはり何かを食べて生きている。

お茶漬けを食べて「ああ美味しい、日本人に生まれて良かった」いつも贅沢なものを食べて、特段感動もないのに、ひょんな事からお茶漬けを食べて、そんな感想を述べるのは、美味しい物を食べる方法として、お勧めできない。

各種贅沢な物を食べる機会が多ければ多いほど、食べ物を自然から取る現場や食べ物を生産する現場から遠ざかる。その苦労も楽しみも知ることもなく、無機質に金で購う。

自分は自給自足的な(!)生活に憧れが有る。自分で食べる物を自分で作る、取る。何と良い響き。しかし諸般の事情で、暫く無理だろう。出来そうな頃には体力が、不足しそうだ。

節約して在り来りの材料で工夫して楽しく美味しく食べる。時には家族で買い出しに出掛ける。いつもより少し高価な材料を買う。みんなで協力して調理して、楽しく美味しく食べる。年に何回かは、家族みんなで、ちょっと贅沢なレストランに行って、家族みんなすこし気分が高揚し、楽しく食べる。そして「ああ美味しい」というのが本当の美味しい物の食べ方だと思う。これらは後に繰り返し家族の話題に上り、家族に共通の思い出として家族の絆を作る元の1つになるだろう。

一人暮らしの暗いアパートで、田舎から送られた食べ物を夜遅く1人で食べる、田舎の事や父母のことが思い出される。懐かしく美味しく明日への勇気が湧いて来た、そんな事も有った。

食べる物が無くて死んでしまうのは、全く気の毒で何とかしてもう少し助けて遣りたいけれど、「食べ方」なので今は通り過ぎる。

食べて美味しいなあ、と思うことは比較的多いが、自分は美味しい物が有る、と言うよりも美味しい時が有ると感じている。幾ら美味しいあのオヤジの味噌ラーメンでも彼女にホッペタをバシッと遣られて、もう二度と会えないと言う昼下がり、1人で2人の思い出のラーメンを食べたって美味しくはない。オヤジだって、こちらの顔を見てどう応対したらいいか迷うだろう。

子供達を連れて、子供達がかねて行きたかったビュッフェに行って、お父さんとお母さんはビールも飲んで、次々に料理を食べて、みんな何回もお代わりを取りに行って、美味しくて楽しくてお腹が一杯になる。料理が美味しいと言うより、みんなに巡ってきた美味しい時。

11つは些事だけれども、人生はそんなものの積み重ね。どんな食べ物でも食べられるまでには、長い道のり。

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2009年2月17日 (火)

お茶・ショートケーキ

会社で緑茶を出してくれる。ほうじ茶も出してくれる。見ていると全く同じ入れ方だ。熱湯を入れたかと思うと、直ぐピッチャーというのかサーバーというのか、に入れて、それからそれぞれの湯飲みに入れる。

入れてくれるのには感謝するけれどどちらも美味しくない。

大分前にこんな感じで入れると美味しいと思うよ、って言ってお茶屋さんのHPに有るような入れ方で、入れて出したら、「美味しい」とも言ったし「本格的なんだあ」とかも言っていたが、次にお茶を入れてくれたときには、いつものように熱湯を入れて直ぐ注ぎだした。勿論美味しくない。こりゃ駄目だと思って、それ以降説明したことはない。入れてくれたら欠かさず「ありがとう」とは言うけれど、修行が足りないのか、さすがに美味しいとは言えない。

お茶を入れて貰うと、リラックスしないで反対にストレスが溜まる。

いつも思うのは、折角入れてくれるなら、それなりの美味しい入れ方が有るのだから、少し気を遣って入れれば良いのにと思う。そりゃ忙しいかも知れないが、そうしたらこちらで入れるから、お義理で入れてくれなくとも良いのに。

ショートケーキをグチャグチャにしてイチゴを下の逆さに出されて「はい、どーぞ」って言われたって、食う気がしない。(陰の声:味は一緒だろう。)そう味が一緒のショートケーキだって、出し方が悪ければ食う気がしないのだから。

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2009年1月30日 (金)

宗教的な(5)

普段の我々の生活にはその宗教の教義の奥義は、余り関係が無い。そもそも理解できる物ではない。その教団に属している人々の普段の活動と生活が見えれば、少しはその教団の事が理解できる。社会に貢献しようとしているのか、社会から金を吸い上げようとしているのかで、判断している人が多いと思う。

無住の小さなお寺でもその本堂に坐っていれば、確かに心が落ち着く。森閑とした境内で、ベンチに坐って黙っていても心が落ち着く。教義は知らなくとも、長く我々の生活に隣接したそう言う場所にいると、心が落ち着くことが多い。自分はそれより先に進むことは無いけれど、もう少し年がいって、年金生活になったら、仏教の世界観について大般若経や大日経、法華経について網羅的な説教を聞きたい気がする。笑いと涙の生臭説教は願い下げ。

と言う事でもしかしたら、自分は宗教的なのかも知れない。

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2009年1月26日 (月)

宗教的な(4)

住んでいる集合住宅の行事で知り合ったオジサンが、彼の属する教団関連の新聞を1ヶ月入れてくれたことが有った。その間普通の新聞を読む程度に読んだ。ええ、こんな事を毎日読んでいるんだ。独自の世界で生きていてそれはそれで面白かった。彼はその後購入して貰おうと望んだのだろうけれど。

一般紙もその新聞もニュースは流してくれるけれど、三面記事は別にして、自分が知らせたい事が一面を飾る。背景を知らせてくれないし、分析も無いから意味が不分明な事が多い。特に宗教新聞では、信者に有らざる身においては、不思議な記事が多い。新聞を入れてくれたオジサンは熱心さでは宗教的だったが、当方は信者的な活動が多いと感じた。

他人が熱心に祈っていることに、違和感は無い。東南アジアの上座部仏教の人達。アジアのムスリム。他の人が居ても、普通に祈っている。自分なんかは、少し羨ましい感じがするときも有る。

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2009年1月22日 (木)

宗教的な(3)

暫く前に散歩を兼ねて昼飯に出たら、なんの変哲もないところで、比較的若い女性に話し掛けられた。最初言っていることが分からなかったが、聞き直してみると『スピリチュアルボランティア』と宣った。何をどうしたいのか意味が分からなくて、ボンヤリしてしまったが、ちょっと興味を惹いたので、暫く黙って聞いていた。いっこうに本題に入らない。精神を救うには、見たいな話になってきて、ある種の宗教の勧誘らしいと解った。興味も失せて、少し疲れも感じたので、残念ながらそこでご遠慮申し上げて、食事に向かった。あの人は宗教的なのだろうか。

暫く歩いて行ったら、10メートル位先で、オバサンが転んで、横座りの様になった。近づいていっても、一向に立ち上がらない、仕方がないので、手を差し伸べて「どうしました、何処か打ちましたか」その人答えて曰く「神が罰を与えたもうたのです」。さっきの人と巡り逢えば良かったのに。

今の自分なら「へ、へ、兎も角立ち上がって」とか「何か罰が下される事をしたんですか」ぐらいの事は、言うだろうけれど。その時は、目が点になって「お大事に」を言うのが精一杯だった。あの人も宗教的なのだろうか。

ずっと昔公園の芝生やベンチで寝転んで本を読んでいると、2人組の若いアメリカ人男性に比較的上手な日本語で話し掛けられたことが何回か有った。宗教の勧誘っぽくはなかったが、休日に教会に来ないかとか、無料の英会話が出来るとかの言葉が有ったから、まあ勧誘だったんだろうと思う。でも宗教的な感じはしなかった。

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2009年1月20日 (火)

宗教的な(2)

他の人がどう言う願いをしているのか、聞くわけにも行かないので、自分の願いが普通なのか、突拍子もないのか判断できないが、少なくとも他人には害が無いわけだから、身勝手なのは、許して貰いたい。

新年になって神社に行くと、絵馬が奉納して有って、ちょいと覗いてみると、合格祈願があり、聞いたことのない学校名だなあ、と思いつつも、暫く見ていると、不思議な当て字だったりして楽しめる。慶応大学は、まだれにそれぞれKOが書いてあって直ぐ理解できた。一番の傑作は福田大学が、どうも早稲田大学を意味するらしい事を判読したとき、内心モヤモヤが解けた気がした。考えるに幸福(シアワセ;幸=シア、福=ワセ)と勘違いしていたのかなあ。書いた本人も字面が合わなくて、しっくり行かなかったと思う。でも多分こういう人が、その希望の大学に入って、オヤジの会社を継いでシアワセになるのだろう。

就職先の希望を書いてあるのもあった。「サッカー選手」とかは子供だろうから、まあ微笑ましいものだ。具体的に立派な企業名が書いてあるのは、洒落なのか本気なのか、こちらがちょっと悩んでしまった。

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2009年1月14日 (水)

宗教的な(1)

自分が宗教的なのか非宗教的なのかは、余りハッキリしない。反宗教的ではないと思う。一心に神仏の加護を願ったことは無いかも知れないが、散歩の目標を杜のある社寺にすることは多い。境内に入って一休みする。参道を通って本殿に参拝することもある。少しは喜捨もする。初詣に行けば、少額で色々祈願もするしお神籤も買う。だから宗教的かなあと言えばそんな気はしない。

大体お願いすることは、殆どいつも同じで、世界平和と世界の子供達みんながちゃんとご飯を食べられますようにが一番、次に自分を含め家族友人知人が健康で有りますように、3番目が宝くじが当たりますように。一応念のために申し上げますが、第一志望○○大学、第二志望△△大学、やぶれかぶれで第三志望□□予備校と言うことは一度も祈念したことが無い、神仏に誓って。

お願いしている第一は当面叶えられそうにない、経済の悪化で寧ろ悪い方に推移しそうだ。第二は大体叶っているが、漏れる方が時々ある、自分も時々漏れて、初詣の帰りに腹痛になったりする。第三は今のところ擦りもしない。

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2009年1月 8日 (木)

プリンスメロンの食べ方

自分が小学生の頃、プリンスメロンが爆発的に流行した。

真夏の午後、いつものたまり場に数人でいると、1つ学年が上のいつものあそび仲間が現れた。

「プリンスメロンを食べに行こう、家の畑にあるのが熟した」

何回か食べたことがある。甘くて美味しいプリンスメロン。我々は意気込んで出発した。子供の足には野を越え山越え小一時間掛かって彼の家の畑に着いた。まん丸の大きなプリンスメロン。匂いを嗅いで、お尻の方を検査して、2個選び出した。肥後の守で蔓を切って、近くの水場で洗った。いよいよ割って、タネを刮げ取って、それぞれ食べた。おいしいプリンスメロン。あんなに美味しいプリンスメロンとそれ以降出会った事はない。

今はもう網目系のメロンに取って代わられてしまった。プリンスメロンとも殆ど出会うことはなくなった。マクワウリも滅び去ってしまったのか見ることはない。食べれば連想で当時の事を思い出させてくれるマクワウリやプリンスメロンがもう少し市場に出回れば良いのになあ。それを食べれば、忘れていた当時のことが、味と共に色々思い出されるだろう。

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2009年1月 6日 (火)

鴨の食べ方

初冬にシベリア方面から冬鳥が渡ってきた。近くの用水沼には何種類もの水鳥がいた。もう少し南に渡るまで暫しの休憩、真冬に減少し沼の氷が緩んでくる早春には、北へ帰る冬鳥達が又増えた。

我々は相変わらず外で遊んでいる。数人ずつ対抗してゲーム姓のある遊びをした。走り回っているので寒いと言うことは無かった。風が冷たいので、時々鼻水を垂らした。服の袖口で拭った。我々は特に気にも留めていなかったが、袖口がピカピカしていたらしい。後年親から言われて、そうだったかも知れないと思うばかり。

天気は連日曇りがちで、風が強く、灰色の空から粉雪が舞う。もう落葉樹の葉は全て落ちている。そんな時に鴨猟が解禁になる。遠くから鉄砲の音が聞こえた。そんな日が何日か過ぎると、何軒かのお店屋さんの店先に鴨がぶら下がって売られるようになる。特に気の毒だと思ったことはない。

そんな或る日、夕方薄暗くなって家に帰ると、我が家でも年に1回か2回の鴨かやき(鴨肉を使った鍋料理)。だまこもち(潰したご飯を直径3センチほどに丸めた物)を入れたりうどんを入れたりして、たくさん食べた。それこそいつもの倍も食べた気がする。醤油味でそれはそれは美味しい物であった。銀座に有る高級フランス料理店の番号の付いた鴨とはちょっと違うと思うけれど。

当時家の主室は蛍光灯が点いていた、他の殆どの部屋は60Wの裸電球であった。今から比べるととても暗かった。爺さん婆さんがいて、兄弟も多くみんな一緒にご飯を食べるのが常であったから、美味しい鴨かやきは、益々美味しく今でもその光景を鮮明に思い出す。その時のメンバーの半分はもう他界した。

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2008年12月28日 (日)

お焦げご飯の食べ方

小学生の頃毎日学校が終わると、小走りで家に帰り、鞄を放り出して外に遊びに行った。春もそうだった。夏もそうだった。秋もそうだった。冬もそうだった。毎日忙しく続きで遊んでいた。今考えるとそんなに遣ることが有ったのかなあと思うが有ったのだ。雨の日は、家の土間で同時流行っていた子供の遊びをしていた。学校の体育館で放課後ずっと遊んでいることも多かった。

時々はずっこけたり、ぶつかったり、木から落ちたり、小さな怪我捻挫は頻繁に起きたが、大きな事は幸いにも一度も起きなかった。

稲刈りが終わると、日は急激に短くなり、帰宅する時間が毎日早まってゆく。誰も薄暗くなり始めると家に帰った。

お腹がペコペコで、家に帰ると、偶々母がツバ釜で炊いたご飯を櫃に移しているときが有る。そんな時は、釜の底に着いたお焦げご飯の白い方に味噌を塗って丸めて、つまり蒲鉾状にしたのを手渡しで貰って食べた。縁側に坐って足をブラブラさせながら食べた。この上もなく美味しかった。

室内で1人ゲームをしながら、ポテトチップスを食べてコーラを飲む、と言うのは当時全く知られていなかったけれども、今はきっとそう言う時代なのだろう。

自分は外で遊び回って、味噌塗りお焦げご飯を食べて、その日に有ったことを母や父に話して聞かせた時代を経験したことを、幸運だったと思う。

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2008年12月22日 (月)

ハグラウリの食べ方

千葉に行くと必ず、ハグラウリを食べる。スーパーで漬物コーナーに行ってハグラウリの鉄砲漬けを探す。感じの良いのが有るとご購入!で籠に入れる。

農家直販店で生の瓜を買って、自分で漬物にする事も有る。午後に買って夕方に漬ければ夕食の時に食べられる。1個全部漬ければ、滞在中ずっと食べられる。スープや炒め物でも普通に食べられるが、漬物が一番気に入っている。単なる塩漬けは今一だけれど、トウガラシやオオバを入れると美味しい。バジルやミントで味付けしても乙かも知れない。

数年前に苗を一本買って菜園に植えた。23週間したら相当伸びていた。それから1ヶ月後に行ったら、20cmぐらいの食べ頃の物と40cm位の巨大化したのが生っていた。地べたにゴロンとしているのを見たときには、冬瓜と思ったぐらいだ。大きい方は皮が少し固かったが、普通に食べられた、但し、飽きた。今度千切りにしてサラダ、刺身のツマ、酢の物で試してみよう。ソムタム風も良いかも知れない。

来年は時期に苗を見つけて買って植えるぞ。適宜食べて、1個は究極の大きさを確認したい、最後の色も確認したい。

ハグラウリは外房と茨木には何処にでも有るようだが、他では殆ど見かけた事が無い。多用途の野菜だし、栽培も簡単そうだからもっと普及しても良さそうなのに、ちょっと不思議な感じがする。

でもまあきっと、これは広い意味でキュウリの仲間だから、それぞれ好みのキュウリがその地方に有って、地元の人に愛されて居るのだろう。それはそれで結構な気がする。これも1つの道で、アンチグローバリゼイションの小さな実践のようで嬉しい気がする。

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2008年12月16日 (火)

ニガウリの食べ方

学生の時、夏休みに1人フラフラ旅に出た。泊まった民宿で瓜の漬物が出た。持ってきたオバサンが、『こちらの食べ物でちょっと苦いかも』みたいなことを言った。実際食べると、メチャクチャ苦かった。『平気ですから』と言った手前、全部食べたけれど、こんな物を恒常的に食べているって、味覚が狂って居ると思った。

後年沖縄に行って、ニガウリを何回か食べている内に平気になった。暫く食べていないと、フッと思い出す野菜の1つ。トウフ、卵入りのゴーヤチャンプルは、好物である。

以前住んでいた借家には小さな畑が有った。ニガウリを植えた。沢山生った。夜蛾が受粉を行っているようだった。花に悪臭ではないが特徴的な匂いが有った。ドンドン蔓が伸びて、花芽が着いて、実が大きくなり始めると、たちまち大きくなる。取っては食べ取っては食べた。時々忘れると、濃い緑色が薄くなって行き、黄色っぽくなり、オレンジになり赤くなって4裂ぐらいしてタネがむき出しになる、それが地面に落ちて翌年、勝手に芽が出て来て又実を付ける。良い野菜だ。

食べたことは無いが、むき出しに成ったタネを包むちょっとネバネバしたところは甘みが有るようだ。鳥が食べて遠くにタネを運んで貰う可能性が高まるのだろう。

盛夏が終わり、暑さも緩むとボチボチニガウリも飽きてきて、もぐ回数が減る。実は熟して赤化して弾ける。薄い緑の葉の中に黄色、オレンジ、赤の実が生って居るのは美しい光景だ。昼下がり畳に寝転んで濡れ縁越しに、蝉の音を聞きながら、ニガウリの網棚を見るのは、南国で休暇を愉しんでいるようで、心が安まる。

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2008年12月 4日 (木)

ハヤトウリの食べ方

世の中に有ることは相当前から知っていた。地方の六斉市や軒先販売に有るのを見ていた。美味しそうじゃないし、食べ方知らないし。手に取ってみるとズッシリ重い。白っぽい物と黄緑色の物が有る。白っぽい方がやや大粒の気がする。

調べてみたら、一本の蔓で100個以上生る、偉い物だ。日本には最初に鹿児島に渡って来たので隼人の瓜でハヤトウリ、全然信じられないけれど。

数年前に職場で知り合ったオジサンに貰った。お勧めに従ってみそ漬けにして食べた。美味しい、方だと思う。ハヤトウリ自体に殆ど味は無い、味噌の味とパリパリとした歯触りが良い。炒めて食べても美味しい。やはり特に味はない。他の物を引き立てる増量剤の様な感じがするが、シャキシャキした歯触りが良い。スープの具にした。他に入れた物は豚肉と調味料だけ。特に味は無いが美味しい。他の瓜類と同じく、半透明で柔らかくなる。

その年は何回もそのオジサンから貰って食べた。冬の内幾つかは芽が出たので育てた。蔓が伸びて面白がっていたら、ちょっと旅行している内に寒さで死んでしまった。

いつも貰って食べている。たくさん生るから家庭菜園に向いているらしい。今年も2箇所から貰った。一方は白っぽい大きいの、片方は黄緑色のやや小振りの。最近道の駅とか直売所とかでよく見かけるが買ったことは一度もない。

ハヤトウリは今のところ貰って食べる物。何かちょっと寂しい。

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2008年12月 2日 (火)

ゴミの捨て方

カラハリ砂漠の上空を飛んでいた小型飛行機のパイロットが飲み終わったコ○・コーラのビンを外に捨てた。空き瓶はゴミだろうけれど、拾ったブッシュマンには「便利な道具」、これで争いが起きた。ニカウさんは、集落を代表して旅立ち、ビンを地の果てに捨てた。

昔のことは良く覚えていないが、きっと自分がガキの頃は、捨てるゴミが有れば何処へでも捨てていたんだろうなあと思う。今と違って、ペットボトルの飲物もないし、缶コーラもなかったから捨てなかっただけだ。裏山に遊びに行くときに手ぶらが多かったけれど、せいぜい持って行ったのは、リンゴかトウモロコシぐらい。食べた後芯をそこら辺にポイしたと思う。喉が渇くこともあったが、飲める水の場所は知っていたから、その湧き水を飲んだ。水筒を持って歩いた記憶はない。

貝塚って多分縄文時代の人のゴミ捨て場、怪我したり不衛生に成ったりしないように、集落の外れに捨てていたのだろう。再現の集落に行っても便所はないけれど、きっと便所だって有ったに違いない。靴を履いていて犬の糞を踏んづけたって相当気分が悪いのに、裸足で他人の糞を踏んづけたら幾ら昔の人が寛大でも不愉快だったろう。経験的に病気の原因に成ることが有るのも知っていただろう。

他人のマンションやコンビニのゴミ箱に生ゴミを捨てる人や、ポストの上や、自転車の籠に缶コーヒーの空き缶を捨てる人は、自分にとって村の外れに捨てているつもり。そんな人は狭い自分の村にしか興味がない。そう言うのを見ると平均点が下がった気がして気分が悪い。『之を道くに徳を以てし、之を斉ふるに礼を以てする』のは相当困難だろうから、捨てた人は罰として道路や公園のゴミ拾い。

その内高濃度核廃棄物を他国に捨てる輩が出るだろう。高濃度核廃棄物をこっそり捨てる場所を提供して貰って、各種援助をすると言う形式だろうけれど。その祖国を売った高官はタップリ金を持って、家族で高濃度核廃棄物を出した国に移住。捨てた方は人類の生存に対して挑戦。どちらも罰として地獄の業火でBBQってとこかな。

自分も無自覚で、強者側に立っているかも知れないから、少しは考えて見ようと思う。

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2008年11月30日 (日)

剪定

昔リンゴその他の果樹の剪定を手伝った。晩秋から真冬にかけて行う。寒いところでの作業だ。最初の内、手や顔が冷たい。暫くすれば、力の入る仕事だから、寒いと言うことはない。剪定した枝は、時々穴に集めて、燃やす。

剪定は微妙な所が有って、何年も経過を観察しないといけないから、上手になる為には年期が居るけれども、それなりに8割ぐらいでよければ、勘のいい人ならそれ程難しいことではない。上手い人から少し習って、教本を読んで、思った7掛けぐらいで切るのを止めれば大過はない。切らないでおけば、必要なら後で切れば良いけれど、切った枝を元に返すには何年か掛かる。

街を歩いていると、公園や遊歩道の植え込みや樹木に手が入れられている。これらは果樹ではないが、見た目は兎も角せっかくの物が台無しになっていることが散見される。勿論予算の都合だろうけれど、もう少し何とか成らない物だろうか。花が咲かないサツキやドウダンツツジを見るのは辛い。植えっぱなしの芝生を見るのは辛い。雑草だらけの小川を見るのは辛い。

テレビには、乗っている枝や掴んでいる枝を切り落としているのじゃないか、と言うような事をシラッと言っている人が居る。バランス感覚が悪いとしか思えない。評論家や政治家には向いているかも知れないが、少なくとも植木屋と果樹農家には向かない。

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2008年11月28日 (金)

12,000円が貰えたら

金持ちのお坊ちゃまが某国の首相になって、景気対策で消費拡大を目指す「定額給付金」を国民全員に支給するらしい。予算は2兆円。昔有った地域振興券と同工異曲だけれど金額は約3倍。政策の是非、景気に対する効果はさておき、もし12,000円が貰えたら、どうするかと言う話。

一応自分としては、外食を23回する、本を23冊買う、博物館に23回行く等と言うことは絶対しない。勿論貯金もしない。

花瓶とか置物とか半永久的に残って眼の前に置く物を買う。それに札をぶら下げて定額給付金で之を購入、~年~月~日、金~円、首相は~。この政策が善政か衆愚政策か悪政かを長い間考えられるようにしておく、と言うのは冗談。

実際は自分にとっては悪銭同様、どうせ身に付かないのだから高い価値を持った使い方をしたい、と言うことで有効な所に寄付をする。寄付先は途上国の子供達に教育支援、食糧支援、健康支援などを行っているまともなNGO

自分にとっては、何日分かの生活費だとしても、まあ有り体に言えばたった12,000円、されど、途上国の子供達とっては人生を左右するかも知れない12,000円。

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2008年11月18日 (火)

冬の鳥、ツバメ

昔、東南アジアで働いたことが有る。仕事からの帰り、街を歩いていた。地上は暗くなり始めていた。空は未だ明るい。何気なく上を見ると、夕日に照らされている高層ビル。黒い点のような小鳥が沢山飛び回っていた。数十羽から数百羽の群れ。数日間は特に気にも留めないで居た。

郊外から車で街のホテルに戻るとき、注意してみると高い空に例の鳥と同じと思われる鳥が数十羽群れて飛んでいた。その内、気になって現地の人に聞いた。最初は小鳥、つまりコウモリではないと言う意味、もう少し突っ込んで聞いたら、ツバメだと言うことが分かった。

日中は目立たないから、夕暮れ時だけ集団で居るかも知れないし、塒に帰る時に大きな群れになるのかも知れない。ここではツバメは冬の鳥。冬と言っても日本の9月か10月の気候。日本などの温帯で1~2回の繁殖が終わって子供達を引き連れて故郷に帰り、冬を越しているのだ。産まれたところが故郷なら、日本などの温帯が故郷で熱帯は旅先なんだろうけれど。

自分達は連日多忙で疲れ気味、ツバメはヒラヒラと空高く飛び回っている。春に5000キロ飛んで温帯アジアで繁殖し、秋に又5000キロ飛んで、冬を熱帯で越す。

「空の鳥を見よ、蒔かず、刈らず、倉に収めず。されど、天の父は、これを養い給う」

翻って、我々は、あくせく働いて、色々考えてやっと生きてゆく。

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2008年11月12日 (水)

星のかけら

中学生の時、流れ星というか隕石というか星のかけらを作った。作り方は至って簡単。塩の塊に飯粒を適当に押しつけて、それに少し土を塗って、薪ストーブの上で焼きながら、みかんの皮の汁を垂らし、焦げさせなから焼結。大きさは親指の半分ほど。

それを学校に持って行って、友達に良い物が有るからと言ってこっそり見せて、実は昨日夜外で立ちションをしていたら、流れ星が家の庭に落ちた。よく探したら、少し土に埋まって居たが、煙が出ていたので発見できた。幸運だった。友達がほしそうな目をしたので、(予想通りの反応)ちょっと勿体を付けて、漫画もたまに貸して貰っているし、友達だから上げる、と言って上げた。但し他の人が欲しがるといけないから、誰にも言わないように、と口止めをしておいた。それ以来、彼とはその星のかけらについて話したことは無い。

普通で行けば、星のかけらでは無いけれど、地球が星で、そのかけらという意味なら、まあ無理矢理星のかけらでないこともない。

我々も星の上にあった材料で出来ているから、そう言う意味では星のかけらだ。星の材料でこの世に生まれ出でて、暫くその格好でいて、又星のかけらというか材料に戻ってゆく。

生老病死、必死こいて働いて、愛したり、挫折したり、一夜友人と歓談痛飲。今の格好ってホンの仮の姿、本当は星のどうでも良いかけらなのに、ついつい忘れて、必死こいてしまう馬鹿な私って所かな。

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2008年11月 4日 (火)

ウシロベゴ

自分の田舎には皆さんの地方に居ない物が居る。その名はウシロベゴ(このゴは鼻濁音で発音しないで文頭にあるゴと同じ発音)、別名スナベコ(こちらはコでもゴでも良い、濁音での発音は同じ)。皆さんの所に居るのは、似て非なるアリジゴク、則ちウスバカゲロウの幼虫ですね。

雨の当たらない崖下や、大木の根元、土蔵の軒下、社寺の縁の下などに居る。自分と趣味が合いそうだ。乾いたサラサラの土地ですり鉢状の穴を掘ってその下に生息している。

蟻やダンゴムシが落ちかけると砂を飛ばして足下を掬い落ちてきたところを、齧って体液を吸って殻になったら、穴の外に放り出す。人間の追いはぎとちょっと似ている。穴の回りには、カラカラの残骸が幾つも転がっている。

何でウシロベゴと言うのか、こいつは後ろ向きにしか歩けない。自分も後ろ向きだけれど、歩くのは前向き、こいつは前向きだけれど歩くのは後ろ向き。何十匹も実験したけれど、前に歩いたのは一匹も居なかった。ベコ(ベゴ)というのは牛の事です。この虫には立派な角が生えて、体がズングリしているからベコと言う、多分。

中学生の時に、友達にこう言った。「この前、~~山へ遊びに行ったら、山頂近くに社がいくつか並んでいた。その軒下にこんな(両手で直径20センチぐらいの輪を作って)大きなアリジゴクがいっぱい有った。きっとこれぐらいの(親指と人差し指で卵ぐらいの輪を作って)ウシロベゴが居るに違いない。小枝でかまったら、砂をバンバン飛ばされ、大きな角がチラチラ見えた。捕まえてきても飼えないので、取っては来なかった」

友達の目がランランと輝いた。社への路を教えた。彼が巨大なウシロベゴを念願通り入手出来たかどうかは不明、多分駄目だったろうけれど。

このウシロベゴは不思議な生態である。23年の幼虫期間には糞をしない。変態して成虫に成ってから、一度に放出するらしい。23日の便秘の後の便通でも相当スッキリするのだから、それはもうこの世の天国、かどうかは知らないけれど、その苦しみからの解放を味わってみたい気がする。この虫、この後がまた変わっている。清く美しく水だけ飲んで23週間で死んでしまう。

極悪非道の人生を歩んできた人が、死ぬ直前に翻然と悟って文字通り体から汚れたものを全て出し切って、最後は清らかに生きた、みたいなそんな虫が我が故郷には居ます。

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2008年10月26日 (日)

大盛の食べ方

先日、昼食を兼ねて散歩に出た。近くの散歩道、野川綠道を下った。広い道路との平面交差の少ない良い散歩道だ。日射しを浴びたいときは、川の北側の遊歩道を、日陰を歩きたいときは南側の遊歩道を歩く。

その日は暑く小一時間も歩くと喉が渇いてきたが、ドリンクバーの為に我慢。喉がカラカラとなって、少し咳き込んだ。持参の飴を嘗めて凌ぐ。その日朝はいつもより軽く朝食を済ませていたので、かなり空腹を感じた。

目的のファミレスに着いて日替わりランチとサラダバー、クーポンを持ってきたドリンクバーを注文。「ランチは同じ価格でご飯が大盛に出来ます」直ぐ大盛に変更。注文の料理が来るまで、喉の渇きを癒し次々に飲物を持ってくる。サラダバーではお腹に溜まる方の食べ物を取る。そうこうしている内に料理が来る。スープもお代わり自由で、用意してある3種類を次々に貰う。料理を食べ始めると思ったよりご飯が多く、サラダバーからおかずになりそうなものにドレッシングを多めにかけて持ってくる。ご飯が喉に突っかかりそうになると、全然合わない感じの飲物で流し込む。みそ汁が有ればよいのだけれど、スープは洋食っぽい物だけ。それでもまあ食べることは楽しい。ちょっと多かったなあと思っても結局は全部平らげた。後はゆっくり飲物を飲む。

斜め横の席に3人の家族連れが来た。両親と20代後半の娘。サッサと食事をして、自分達より早く帰ってしまった。何気なしに見るとメインのおかずも残っていたが、付け合わせはそれぞれかなり残っていた。ご飯に至っては、1人は殆ど手を付けて居なかった。1人は半分ほど残っていた。1人は三分の一ほど残っていた。あーあ。

食事を終わって来た道を帰った。ドリンクバーで沢山飲んだのに、家に着くなり、コーラをコップ一杯飲んだ。ドリンクバーでもう一杯コーラを飲んだからと言ったって、これは避けられないんだよね。ファミレスで最後はちょっとイラッと来たけれど、自分達に取ってはちょっと贅沢な楽しい昼食であった。

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2008年10月24日 (金)

フルーツの食べ方

トロピカルフルーツ:

白い砂浜

アンダマン海に沈む夕日

椰子の木陰

二人は雑談を楽しむ

白いテーブルと白い椅子

テーブルの横には大きな日傘

爽やかな風

低い波の音

遠くから風に乗って微かなけだるい地元の音楽

大きな器にたくさんの氷

綺麗に剥かれた熱帯の果物

マンゴー、マンゴスチン、パパイヤ、ライチ

温帯の果物:

紅葉の燃えるような高原

遠くの山脈に沈む夕日

四季咲きの薔薇

二人は雑談を楽しむ

ログハウスのウッドデッキ

幾つかの四阿

冷たい風

鳥のさえずり

広々とした景色

セーターを着た二人

ガラスの器に盛られた温帯の果物

リンゴ、カキ、キウイ、イチゴ

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2008年10月20日 (月)

トマトの食べ方

トマトが好きだ。季節の内は毎日のように食べている。どう言う加減かは知らないが、ある時期になると味がしなくなるので、そんなことが数回続けば、自分にとってその年のトマトのシーズンはお終い、値段も高くなるし。

今はミニトマト系の種類が多い。大きい系のトマトは珍しくなった。外房の直売を見て回ると時々大きいのが売っている。喜んで買う。ヘタの方がギザギザでかなり青っぽい。今主流の桃太郎より原始的な味だ。昔の事が思い出される。

小中学生の頃、よく1人で23キロの道のりを歩いて、家の畑に行った。自動車が通れる道、リヤカーが通れそうな道、歩けるだけの道、田圃の畦道。時間や天候、何かヘビが出そうな日。その日の気分でそれらを組み合わせて通った。

開けた草原を歩いていると荒野にぽつねんと1人の感。林の中の小路を歩いて人に会うことは殆ど無かった。

木陰の路や林の中を好んで歩いた。それでも額に汗をかいた。畑に着く頃には喉が乾いた。トマトの畝に行って適当な物を1個取って食べた。続けて23個食べることも有った。時には家の誰かが、取って井戸水に浮かせてある冷たい物を食べられることもあった。真夏のトマト。

外房でトマトを食べると、そんな昔の事を思い出すことが有る。今田舎の子供達も、家の畑に行ってトマトを食べるなんて事が有るのだろうか。

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2008年10月16日 (木)

たこ焼きの食べ方(4)

たこ焼きって日本の食い物と言うより大阪の食い物という感じだ。噂では関西の方では晩飯の代わりに食っているらしい。ご飯とたこ焼きとみそ汁の定食も有るらしい。それはそれでいい気がする。

ご飯は多分国産だろうけれど、後は輸入品っぽい材料が多い。たこ焼きの小麦は北米、具のタコはアフリカ近辺の海、味噌の大豆は北米と中国、紅生姜も中国っぽい。マヨネーズの卵と鰹節は国産の気がする。それでも卵を生むニワトリの餌は北米や南米産っぽいし、カツオを捕る船の燃料は中東だし。斯くして日本の食糧自給率は40%。

自分は粗食なので、自給率が向上して結果として日本全体が粗食に成っても何ら不満はない。美食家の人達は、買って食べられるなら、受給率を上げる意味は無いと思って居るだろう。

勿論、たこ焼きも中国製で冷凍のものが売られている。原材料の原産国は中国?所で輸出国の中国での食糧自給率は?飢えている人は居ないのだろうか、ちょっと気になるなあ。日本は戦前飢餓輸出していたと言うし。

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2008年10月14日 (火)

たこ焼きの食べ方(3)

田舎に居たときに見たことも無かったのに、こちらに出て来て学園祭の時に、同好会でたこ焼きの屋台を開くことになった。どう言う風の吹き回しでそうなったかは覚えていない。飛ぶように売れた。最後はタコを小さく切ってナントカ凌いだ。売る方も買う方も、学生特有のまあ一種のヒステリー状態。タコが小さくなってからも味見したけれど、とても美味しかった。

予想よりたくさん売れた。たこ焼きには楊枝を付けないで、割り箸を付けていた。途中で割り箸が不足してきた。何時も食事に行っている学校の近所の食べ物屋に行って、オジサンに割り箸を数百本分けて貰った。友達と2人で交渉に行った。快く分けてくれた。アレッと思うほど安かった。

祭りが終わって道具を返して清算したら、これ又予想以上の利益が出た。同好会で発行していた文集の制作費に充てた。

何年か前に母校の近くを散策し、割り箸のオジサンの店が有った辺りも探してみたが、全く様子が変わっていた。ご存命なら相当のジイサマになっているはず。息子さんが跡を継いで、偶には店に出て来て学生と話をしていると良いけれど。

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2008年10月 8日 (水)

たこ焼きの食べ方(2)

この間お好み焼きを家で焼いて食べた。たこ焼きの粉もあったし、タコも有ったのでついでにお好み焼きの鉄板で材料だけたこ焼きという物を作って食べた。

なんと言ったら良いんだろうか。当たり前だけど味はまあまあたこ焼き、食感は全くお好み焼き、不味くは無いけれど、たこ焼きを食った気はしなかった。たこ焼きはあの丸い格好でないとあの味は出ないと実感した。たこ焼きにとって形は味の内。

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2008年10月 2日 (木)

たこ焼きの食べ方(1)

田舎に居た頃は、たこ焼きという物を知ってはいたけれど、現物を見たことはなかった。こちらに出て来たら、縁日にあるのは勿論、そう言う物を食べさせてくれる店が有るし、お祭りには付きものって感じ。街中に有るのは大きさが、昔のままの様な気がするけれど、祭りで見られるものは、ここ10年ばかりで巨大に成ってしまった。とても一口で食える品物ではない。たこ焼きは一口でそれも楊枝で刺して食えるのが眼目の1つだったと思うがなあ。

何でもそうだけれど、有るものが進化し始めると、当然の帰結なのかそれとも異常な方向なのか解らないけれど、本来の主旨とは関係なく、大発達というか大進化を遂げる事がある。

ポケットベル(本来は登録商標らしいが普通名詞化した)は暫く地味に利用されていたが、大発展を遂げて、多分本来の目的とは違う子供のオモチャになってそれから滅んでしまった。

その前後に出て来た携帯電話は滅んでしまったりはしないだろうけれど、昔は事務所から離れた比較的お偉いさんと連絡を付けるための物だったけれど今は小学生でも持っている。多機能化し携帯「電話」という名前はもう相応しくない。「携帯電話で改札を通る、携帯電話でキオスクの支払いをする」こんな日本語で意味がチャンと通じるって変だと思う。

たこ焼きは大発展して、滅んだりしないで、ちょっと空腹な時のお手軽食べ物で残っていてほしい。

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2008年9月28日 (日)

カワウソ

ナントカトカゲだの、マングースだの日本に居なかった動物は、沢山連れてこられて野生化している。日本相撲協会ではかなり前から、日本に居なかった・・・主題と関係ないか。

日本のカワウソは約30年前に高知で目撃されたのが最後。もう絶滅していると思われるが、最後の目撃から50年経っていないと言うことで、「絶滅危惧」種らしい。何か釈然としない。絶滅していれば何もする事は無いけれど、「絶滅危惧」なら未だ何となく救える可能性が有るみたいではないか。いっその事、南米にタップリ居るカワウソを連れてきて放して見たら、等と考える連中は居ないのだろうか。

そんなことをしたら生態系が乱れるとか仰る人も居るだろうけれど、朱鷺は中国から輸入、増殖させてつい先日、その何羽かを自然に放した(解き放した=朱鷺放した)。日本中何処にもいた朱鷺がもう種を維持できる常識的な数から相当減ってから、増殖しようとして結局失敗の言い訳のように、遺伝子的には日本の朱鷺と殆ど変わらないと言っていた。

朱鷺がよければ、カワウソだっていい気がする。日本相撲協会だって・・・。遺伝子的に言ったらどれもこれも似たようなものだろう。インド、スリランカ当たりに住んでいるワカケホンセイインコが野生化するのは黙認で、北米大陸に住んでいるカミツキガメは駄目って言うのも、いい加減な話に思える。

カワウソは多分毛皮目的で乱獲された。開発で営巣、生活地が少なくなった。河川の汚染が進んだ。それで結局は絶滅危惧種に成ったのだろう。

ずっと昔、田舎にいた頃祖父と雑談していたら、彼が子供の頃、つまり明治の末年、未だカワウソが地元の川に居たとの事。川の中でジャバジャバ泳いで魚を捕り食べて居たらしい。はたと気付いたら田舎では絶滅していた。

今だったら田舎の川も、一頃より綺麗になったし、人口減少で自然への圧力が減ってきたから、南米当たりから連れてきたら生きていける気がする。

そうすれば、田舎で話題が増える。

「この間、揚水機小屋の下でバシャバシャしているのを見た」

「一本松の土手を歩いているのを見た」と言うことに成るかも知れない。

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2008年9月26日 (金)

モミジガサの食べ方

毎年数回里山をほっつき歩いて山菜を採る。モミジガサは郷里ではシドケと言って、山菜では比較的上位の方に有ると思う。大量に採れないためか、保存が難しいのか、料理屋でも季節外れではお目にかかったことが無い。

毎年23食分は簡単に採れるが、昔の様に近所に分けて上げられるほど採れることはなくなってしまった。もし来年少し余計目に採れたら、駄目元で一般的な保存方法である塩蔵で保存が利くか試してみようと思っている。

塩蔵はザッと洗って琺瑯容器に入れて落とし蓋をする、その上に重しを置き、濃いめの塩水をひたひたに掛ける。後は冷暗所に置いておくだけ。真夏に出して塩抜きをして、茹でて食べられたら楽しみが1つ増える。

十数年前にいつもより多く採れたときがあり、茹でて冷凍したことがあった。自然解凍して食べた。香りは満足の行く物だったが、歯触りがザクザクと繊維質に成った。まあ食える範囲だったけれど、それ以降に冷凍保存を試したことはない。

シドケは茎に緑系、褐色系及びその中間と有る様だけれど、味に違いはない気がする。1回食べたら記憶に残る独特の香が有る。程よい苦みがある。シャキシャキと歯触りがよい。おひたしなら、茹でて少し水に晒せば食べられる。茹でてから汁や鍋物に入れても上手い。テンプラも独特の香りが生きて自分の好みだ。春菊に似ているかも知れない。

こちらに出て来て、季節に八百屋でシドケを見つけた。食べたかったけれど、とっても高価だった。それで里山に取りに行った。特に当ては無かったが、沢筋を見て回ったら見つかった。今と違って一箇所に沢山生えていた。見つけてしまえば沢山採れた。秩父や多摩の沢筋や水気のあるどちらかと言えば北斜面で多く採れた。

毎年楽しみに何カ所か知っている所に行って採っていた。先を越されることも多かったけれど(群落に折り痕が有って直ぐに解る)、全体的に多かったから気にしなかった。その内倒木が放置されたり、山の手入れが無くなったりして、様子が変わり、年ごとに採れなくなった。荒れて近づけなくなったところも多い。

色々難しい問題は有るだろうけれど、長い間守られてきた山が荒れてゆくのを見るのは辛いことだ。沢の水は涸れるし、シドケは採れなくなるし。

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2008年6月27日 (金)

ウグイの食べ方

「つきば」と言っていたが、多分「付き場」という意味だったと思う。自分が生まれ育った田舎を流れている全長数十キロの小河川に作った人工の産卵床。砂利が川原から河床まで万遍なく敷き詰めていて、水の深さは数十センチ。そんなところに木の柵を川下に向かってハの字型に作って川の流れを速くして、そこに砂利を上手い具合に敷いてそこに魚を誘引する。

何日かに1回河床を直していた。長い木の柄の先に丈夫な鉄枠に囲まれた金網が付いている、金魚すくいの親玉みたいな奴、名前が有ったのだろうけれど記憶に無い。

父親が産卵床を作ったり直したりする時には、特長と言っていたが、胸まで一体となっている長靴を履いていた。付いていって川原の日陰に座って、ジッと見ていたものだ。河床から砂利をすくい上げて、適当なところにザーと撒いていた。大人になってから相当な重労働だったろうなあ、と想像できた。

飽きればそこらを彷徨いてイタドリを食べた事も有った。当時は余り活発でなかったから、興味が引かれるままに遠くまで行ってしまうと言うことは無かった。

夜になると「行くか」と言うことで投網、懐中電灯、叉手網などを持って出掛ける。家から出て間もなく川の土手に出てそこにある小路を歩いて行く、暗いところは電灯を使うが、晴れていれば星明かりや月明かりで十分に歩けた。15分ぐらい歩いて付き場の土手に着いた。少し前から電灯を消して、静かに川原に降りる。そろりそろりと水際に近づいて、エイヤーと投網を投げる。ちょっと風を切る音がして、大きな鉛の連なりが水に落ちる音がする。

もう電灯は付けて良いのだが、全体が見えなくなるので付けなかった。投網をゆっくり引っぱり、徐々に窄めていって、魚を袋網の中に入れてゆくようにする。大漁の時は魚が投網の手元側の細くなっている方まで、登り上がってきて直ぐ分かった。

魚がばたつく投網を川原に持ってきて魚を網から外す。小さいのはヒヤレ、30cmより多きいのはナカト、若しくはナカド、40cm以上のはヒゴロと言ったと思う。どれも婚姻色で赤黒の線が鮮やかだった。叉手網に集めて、適当な量になれば、木で作った大きな生け簀に入れた。1回に560匹も捕れることもあった。魚が夢中に成っていて、一回目の投網で逃げなく、もう一度投網を打つこともあった。そう言うときは大漁で楽しかった。

大部分は売った。時々食べた。

大きいのは焼いてから、鍋物の出汁兼具として、小骨の多い魚だったけれど、骨離れは良く自分は好きであった。みそ味で豆腐ネギ、時にはジュンサイなどを入れた。塩焼きでも食べた、淡泊な味。

小さいのは甘露煮、長期保存が利くので1回作れば暫く食べられた。頭も背骨も皆食べられた。小学校から帰ってきて家に誰も居なければ、自分でご飯を装って、中ぐらいの魚を一匹その上に乗せて、朝の残りのみそ汁もお椀にとって、1人で食べた。昼食が終わって、水瓶から柄杓で水をゴクゴクと飲んで、遊びに出掛けた。

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2008年5月22日 (木)

キリタンポ鍋の食べ方

高校を卒業して働いている時、友達を連れて実家に帰った。秋田の人だったけれど、キリタンポを食べたことが無い、と言うことで真夏に特別に作ってもらって、実家の座敷で二人差し向かいで七輪の上のキリタンポ鍋を食べた。美味しいと言って準備したものを殆ど全て食べた。多分1泊して一緒に帰ったのだと思うが、一日何をしたのか記憶がハッキリしない。

また学生になって帰省している時、友達から電話が有った。遊びに来て貰った。東京から夜行の急行で来た。自分が当時毎度利用していた列車。寝台車も連結されていたけれど、何時も座席。昔風の木の枠で出来た、クッションの真ん中がプックリふくれている伝統的なボックス席。彼もそれで来た。駅に迎えに行った。

夜は、これ又キリタンポ鍋。幾ら秋田でも真夏はそれなりに暑い。座敷で二人差し向かいで七輪の上のキリタンポ鍋を食べた。ビールも飲んで夜は虫の音を聞いて寝た。

彼は23泊した。釣りに行って大きなのが釣れたのだけれど、糸が切れたり、放りだして置いた竿が魚に引っぱられて沖に行ってしまったり、小事件が起きて楽しかった。釣り以外にも何かしたのだろうけれど余り覚えていない。

働き始めて23年経って友達を連れて帰省した。勿論真夏。またまた暑い座敷で二人差し向かいで七輪の上のキリタンポ鍋を食べた。地元の温泉に行った。楽しかったのはハッキリしているが、他の時間は何をしていたのか余り覚えていない。

子供の頃は、1年に数回の大変なご馳走であった。今でもご馳走であるけれど、当時は普段が今より余程地味だったから、飛び抜けたご馳走だった。鍋に鶏ガラ団子が入っていて、子供は骨が丈夫に成るからと言って、23個食べさせられた。今でも晩秋に田舎から送られてくるセットにはその鶏ガラ団子が入っている。慣れている者に取っては懐かしい舌触り。キリタンポ鍋は何時も美味しく有り難く食べている。友達を呼んで一緒に食べることも有る。

肉も出汁も野菜も勿論キリタンポも全て田舎の物、あまりの美味しさに普段より多く食べる。子供の時の事や、高校を卒業して働いたときの事や、学生の時の事や、働き始めてからの事や、色々な時に食べたキリタンポ鍋の事が思い出される、そんな有り難い郷土料理キリタンポ鍋。

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2008年5月 8日 (木)

シナチクの食べ方

今はメンマとも言う様だが、自分がシナチクと付き合うようになった頃には、シナチクとは言った気がするが、メンマと言う言葉は余り流布していなかったように記憶する。

シナチクというのは日本側からの呼び名で、メンマというのは中国での呼び名の日本語読みかも知れない。(追記: ネットを見ていたら、“日本でメンマという呼称が広まったのは昭和40年代で、メンマの名付け親は食品商社の会長との事。麺類に入れる麻竹であることからメンマ(麺麻)と名付けた。似た名前の商標がり商標登録が出来ず、それゆえ誰でもこのメンマと言う名称を使うことができ広まった。”何かちょっと予定調和みたいな話だなあ)

自分はシナチクが好きである。と言ってもラーメンのトッピングで増量して貰うと言うことはない。一緒に食べに行った人のシナチクを取るだけである(嘘)。

ずっと昔、昼食で時々行っていた店があった。今はそちら方面に行くことが無いので、消息は不明である。その内、気が向いたら行ってみようと思う、ついでに店が有ったら、昼食を取ろうと思う(思いつき)。

その店に入ってカンターに座ると、中年のオジサン達が数人働いていているのを見ることが出来た。当時自分は未だ若かった(オニイサン)。オジサンのウェイターは明るい感じの人だった。中の人達は、生真面目そうに働いていた。その中の1人で、見た目がちょっと恐いオジサンが大きなフライパンで良くシナチクを調理していた。そこで食べたシナチクで自分はシナチクが好きになった。余りに美味しいので、麺類以外を食べるときは、頼んで小皿に貰って食べていた(ご飯のおかず)。その内正式メニューになって掲示された。それで何かを食べるとき、「~~とシナチク一皿」と注文が出来るようになった。メニューに載ったら頼む人が多くなって前より多く作るように成ったらしい。きっと美味しいから、自分の様に頼んで小皿に貰う人が多かったのだろう。

未だにあそこのシナチクより美味しいシナチクに巡り逢った事がない。あのシナチクオヤジはどうしているかなあ、普通で言えばもう引退して暢気に暮らしているだろうなあ。

今でもスーパーに買い物に行って、袋詰めのシナチクを見ると、ジッと見てしまう。高いから滅多に買わないけれど。安売り店に行くと大袋で調理したシナチクが売っている。食べきる前に腐ってしまうから、大袋は買わないけれど、小袋は良く買って食べる。ご飯の上にザザッと掛けて、醤油を少し垂らしてシナチクご飯。納豆が好きな人が納豆ご飯を食べるノリだ。食前にちょっと飲むときも肴にシナチクが嬉しい。弁当にも56本シナチク。

事ほど左様に、シナチクは好きだけれど、筍はそれ程でもない(並)、でも筍掘りは好きだ、それも人里離れた急斜面に有る奴(危ない)。

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2008年5月 6日 (火)

バランス鳥

世の中は自分では気付かない色々な力が働いていると思う。まあ当たり前と言えば当たり前だけれど。

昔住んでいた所の隣人で23年は、会えば挨拶をする程度だったのだけれど、ちょっとしたきっかけで、結構仲良しになり、それ以来引っ越ししてからもそれ成りに交際している方が有る。先方が年上だから普通で行けば先方が順序よく亡くなり、こっちが順序よく亡くなり、そんな交際が有ったことはみんな忘れ去られるのだろうけれど、まあ普通ですよね。昔の貴族じゃないのだから、何かの形で手紙や日記が後世に伝わる心配も無いし。

何年も職場の近くで見かける人が居た。勿論挨拶もしないし、興味もないけれど、時々見るからお互いに顔を知ってしまう。そんな中、滅多に行かない近所のスーパーで買い物をしていたら、レジの所でバッタリ会って、近所の人だと知って挨拶をする。誰にもこんな事は有るだろうと思う。何かの力が働いたのだろう。

街の中を歩いている色々なカップルが居る。美女と野獣みたいなのが居るかと思うと、美男とどう贔屓目に見てもオカチ○ンコの組み合わせ。美男美女の組み合わせもあるし、その逆の組み合わせもある。まあ大抵はそれなり同士の組み合わせで結構だけれど。

「ナンデ?何で?なんで?」見たいな組み合わせって結構あるように思う。多分一時的な気の迷いか、美的センスの絶妙なる配合からか、眼の付け所が他人からは忖度できない所にあるとか、理由は色々あるのだろうけれど。何か平均化するバランスを取りたがる力が働くのだろう。つまりバランス鳥がその二人を掴んで一緒にしたのだろう。

美男はオカチ○ンコを目指し、美女はブサ○クを目指す。間違って美男美女の組み合わせだのに子供はそうでも無かったりする、バランス鳥。

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2008年5月 2日 (金)

即席麺の食べ方(2)

出張編

ずっと昔パキスタンでは持参のカップ麺を食べた。24個入れ一箱を持参した。滞在が短ければこれで十分だけれども、長いと無くなってから長い。無くなってしまえばもう入手する手だては全くないから、食べたいとも思わない。長くいると段々食べ物はどうでも良くなって行くのが分かる。贅沢な人は知らないけれど、疲れ切って空腹なら、食べやすく単純な味なら大抵美味しく食べられる。土地の人が長い間食べているものは、大抵比較的早く慣れてそれなりに食べられる物だ。自分が食べる物は日本での生活を基準としてこうでなければ成らない、と思っている人は違うだろうけれど。

ホテルで朝食を食べる気がしない時に、サイトに行ってからお湯を沸かして朝食として食べた。偶には夕方食べた。巡り合わせで昼食を取られなかったときには重宝した。1人で薄暗い部屋でフォークでズルズルッと食べた。侘びしい気もしたが、食べて空腹が満たされれば、さっきの暗い気分は飛んでそれなりに満足した。

サウジアラビアではアメリカ風のスーパーに何十種類もの袋麺やカップ麺が有った。1個か2個買ってきては味を試して結局は23種類に収束して、食べる物が決まった。1週間に45個の割合で食べた。勿論卵もネギも何も入れないで食べた。多分卵は売っていただろうけれど、ネギが売っていたかどうかは覚えていない。休みの日に疲れてベッドの上でボンヤリしていてもお腹は減る。お湯を沸かしてカップ麺を食べる。少し足りない分は、買い置きのビスケットとコーラかミルクを飲みながら食べた。それでその日の食事はお終い、という事も有った。夜中に空腹を感じても面倒くさくて、チョコが有れば少し食べてそのまま寝た。

普段編

未だに即席麺はよく食べる。朝パンを一枚食べて少し足りないなあ、と思えば、袋麺を半分に割って、あり合わせの野菜を少し切り入れて煮て、ズルズルッと、体も温まり良い。

スーパーにあれだけ並んでいると言うことは、何処のお宅でもそれなりに食べているのだろう。日本の大発明の1つだと感心する。

即席麺が自分にとって疏食なのか、贅沢食と言うことは無いだろうけれど、普通食なのかはさておいて、この何十年もお世話になってこれからもお世話に成るのは確実だ。

初心忘るべからず、感謝して美味しく食べよう、そんな大袈裟な事でもない。好きなだけである。

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2008年4月27日 (日)

即席麺の食べ方(1)

小中学校編

小学校高学年の頃、我が田舎にも即席ラーメンなるものが下ってきた。時々食べた、美味しかった。中学生になる頃、我が家では30個入り一箱を買って置くように成った。ラーメンは街に親が買い物に行くときに同伴できれば、食べさせて貰える事もあるご馳走であったら、ちょっとお金持ちに成ったように内心喜んだ。

当時もう給食があったので、お八つか、土曜日か日曜日の昼食。学校から帰ってきて1人でラーメンを1つ取り出してきて、キャベツを刻んで一緒に煮て食べた。小中学生の時に相当量食べたが飽きると言うことが無かった。

未だラーメンライスという魔法の味を知らなかった。気付いたのはずっと後年。

熱いラーメンとご飯に漬物か振りかけご飯。ウルトラCは熱いラーメンと醤油ご飯。醤油ご飯って、要するにご飯に醤油を少し掛けた奴です、ご存知無いかも知れませんけれど。

高校生編

修行のため食べなかった、と言うのは嘘だけれど、殆ど食べた記憶がない。時々友達同士がお互いの家に泊まって居たので、そんな時には食べたのかも知れない。

大学編

即席ラーメンを毎日のように食べた。入れるものはキャベツばかりではない。ネギだったりもした。それに魚肉ソーセージも良く入れて食べた。それに卵も良く入れた。一緒に牛乳を飲んだ。自分では栄養のバランスが取れていると思っていた。今でも思っているけれど。

即席テンプラそばも時々食べた。同じじゃ無いかと言われそうだけれど、これは中華ではなく和食。知る限り一種類しか無かったと思う。これにはネギと卵を入れて食べた。同封の乾燥しているテンプラも食べるときに麺の上に乗せる。直ぐグジャグジャに成るが中々乙。

即席冷やし中華もよく食べた。夏にも食べたが冬にも食べた。キュウリの千切りと魚肉そうセージの千切りと卵焼きの千切り?を掛けて食べた。去年の夏に思い出して、行きつけのスーパーで探したが、発見できなかった、残念。

ラーメンが切れていて、これをラーメンの様に食べたことも有るが、ちょっと酸っぱくて咽せた。

即席うどんも食べた。他の麺より少し量が多くて、晩飯に十分成った。ネギをタップリ入れて、卵も黄身の表面が固くなり始める頃に煮上がるように調整して入れた。他の麺と違って、少し煮すぎた方がしんなりして美味しかった。これにも相当お世話に成った。

小さな部屋の小さな台所の食べ物を入れる段ボール箱には即席麺、キャベツ、ネギ、キュウリ、魚肉ソーセージ、卵が入っていた。

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2008年4月21日 (月)

かき氷の食べ方

小学生の頃、真夏に1回か2回、かき氷の出前を頼んで家族みんなで食べた。あんな美味しいかき氷を食べる機会ってもう無いと思う。

かき氷は近くの菓子舗のオジサンが出前をしてくれた。大きな岡持に入れて持ってきた。足の付いたガラス製の入れ物、昔はかき氷と言えば必ずその容器に入っていたと思う。スプーンは金属製。「冷たい」「甘い」「頭が痛い」「美味しい」だのと言いながら食べた。食べ終わって暫くすると、持ってきてくれたオジサンが静かに来て、母か父と少し話をして、容器を持ち帰った。

多分食べたのはイチゴかメロンにミルクが掛かっていた。何であんなに美味しかったのだろうか。食べる前にも、食べた後にも、かき氷の話題は無し。話題にすると後こんな機会が訪れないような気がして。まあ一種の言霊。

大人達は、それから又仕事、自分達は外へ遊びに行ったか、風通しの良いところで昼寝をした。アブラゼミが鳴いていた。夕方になって、薄暗くなり始めて、少し涼しくなるとヒグラシが鳴いた。

かき氷はどんな値段だったかは知らないけれど、とっても贅沢な食べ物だった。子供の頃、あれが食べたいこれが食べたいと何か要求した記憶は無い。そんな事はお金持ちの話だろう。自分達は、突然の幸運でかき氷を食べた。

高校生ぐらいになると、少しは小遣いが有り、夜特に暑いときは、かき氷を食べに行ったことも有る。それも菓子舗だったけれど、出前をしてくれた所とは違うところ。その菓子舗は夏になると、敷地に簾で蔽ったかき氷を食べる所を設えた。ブラブラ蒸し暑い薄暗い街を歩いて、小柄で頭の禿げたにこやかなオジサンが気さくに注文を聞いて、手で回すかき氷器でシャーシャーかき氷を作った。夜はもう秋の虫が鳴いていた。

崩れないようにスプーンで慎重に押さえながら、少し溶けている下のシロップがタップリの所にスプーンを差し込んで少しずつ食べた。きっと真剣な顔をしていたんだろうと思う。段々涼しくなって行き、食べ終わる頃はもう少し寒かったりする。最後は例のコップを持ち上げて最後の冷たい甘い水が多いかき氷を飲み干した。

ブラブラ歩いて家に帰る。夜寝てからお腹が冷えて、痛くなり、便所へ行ったことも有る。ああなんて贅沢で暢気な生活だったんだろう。

今?良い思い出がぶち壊れそうで、言霊のせいで?もう何十年もかき氷は食べていない。