2008年9月18日 (木)

貧すれば

諸般の事情で可処分所得が減った。今までの行動様式から少し変わった。つまり貧乏くさくなった。清貧と行きたいところだけれど、自分の場合全然修行が成っていない。

サウナ、スーパー銭湯へ行く回数が減った。靴をロッカーへ仕舞う時と出す時に、他のロッカーをチラッとみてしまう。何故って?最初に入れた100円硬貨を回収忘れが有りそうで、昔は自分がしょっちゅう忘れていた。自分のロッカーも良く見なかった、他人のロッカーを見るわけがない。

自動販売機から買っても価格が変わらないもの、つまりタバコは買うけれど、値段が変わるものは、つまり飲物は近くの自動販売機を素通りして、コンビニを素通りして、スーパーに入って買う。その間ずっと喉が渇いていて益々貧乏顔に成る。この間、スーパーの柱に貼りつけてある鏡で偶然自分の顔が見えてゾッとした。

箱のテッシュペーパーは買わない。繁華街、駅前で配っているポケットテッシュを積極的に貰う。不足してきたら往復貰う、貧乏暇有り。

ワイシャツは自分で洗濯して自分でアイロンを掛ける。ジーンズをクリーニングに出すと言うことはもうない。

紙パック入りの100%、1リットルジュースを水割りで50%にして飲む。味の不足分は砂糖を追加して飲む。第3のビールはウオッカを足して飲む。スーパーの試食試飲はさり気なく近づく。勧められるままに飲んだりつまんだり、コメントを言わずニッコリして立ち去る。

タダか、100円ぐらいであれば積極的に大盛を利用する。ドリンクバーは最低5回お代わりをする。昼は殆ど吉○屋、スタ○ナ亭になった。貧すれば丼する。

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2008年9月10日 (水)

CBで轢き逃げ

最近2回続けて轢き逃げにあった。幸いどちらもちょっと痛いだけの軽傷で済んだが全く危険だ。近づかないようにしているのだが、後ろから来て轢き逃げされると、彼らは逃げ足も速いし、人混みで大きな声を出すほどの事でもないし、尤もなんと言って文句を言ったらいいのか見当も付かない。

「轢き逃げですよ」(日本語になっていない)

「痛い、気をつけてください」(全く迫力がない)

「死にそうだ、どうしてくれる」(強請、たかりじゃ有るまいし)

どれもこれもしっくり来ない。何方か良い言い方ご存知なら、ご教示お願いします。

今駅の構内を大小様々なキャリーバッグ(CB)を引き摺って歩く手合いが多い。自分はサッサと人を掻き分けて進んで、キャリーバッグの引き手は目一杯後ろに伸ばして、蛇行する。右に左に内輪差が起きて、轢かれる者が続出する、危ない。キャリーバッグが反転しても、ジロッと睨んであんたボヤッとしないでチャンと転がってきなさい、見たいな目で見ている、とても普通の人達の理解の範囲にいるとは思えない。

小さな子供が轢かれて転倒して、キョトンとして起き上がって見たときにはもうそのネエサンは遠くに。大抵は利き手に携帯電話反対の手にキャリーバッグ。殆ど凶器を両手に持って人混みの中をスピード違反しながら進行している様なものだ。

そう言う手合いに復讐する機会を待った。休みの日に立川のコンコースで大きなキャリーバッグを持って待機した。居た、居た。携帯で誰かと話しながら、キャリーバッグを持ってズンズン歩いている若い女を見つけた。腰の曲がった小柄なお婆ちゃんが犠牲の第1号で轢かれた。お婆ちゃんがよろけた。轢いた本人をジッと見ていたがその目は涙目であった。暫く行って今度は5才ぐらいの男の子を轢いた。その子はソフトクリームを食べていた。哀れソフトクリームは地べたにへばり付いた。ジッと見ていたがその目は涙目であった。

追跡していた自分がやっと追いついて、その若い女を追い越し直ぐ曲がって、でっかいスーツケースの角でその女の膝を直撃して遣った。

「痛い」膝に激痛を感じて夢から覚めた。

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2008年8月19日 (火)

場所取り

昼頃段ボールとブルーシートを持って会社を出る。サクラの木の下で同僚と持参の弁当を食いながら、夕方を待つ。サクラの木の下だから日は当たらない。冷たい風が吹くと寒い。夕方まで待つだけ。寝転んで本を読んでいると、背中に段ボールの暖かさを感じる。これで給料が、貰えるなんてサラリーマンって暢気な商売だと思った。雨がジャジャ降りだと中止。

21世紀になると、場所取りをするのは、サラリーマンばかりではなく、商店の人も工場の人も関係なくなり誰でも勝手に何処でも、何時でも取るように成った。特に多いのが爺婆含みの家族連れ、ヤンキーの混じった若者、分別盛りのオッサン連中、厚化粧しても追いつかないオバサン連中、幾らでも居る。

大抵は歩道や広場の適当なところにガムテープを貼って、場所を確保する。地面にダンボウールを置いて、その四周をガムテープで念入りに止める。芝生の上も、お手洗いの前もお構いなしに何処でも自分が好きなところに好きなだけ貼る。植え込みだって邪魔となれば地面で切られて段ボールの餌食になる。それは花火を見る場所だったり、祭りを見る場所だったり、各種イベントの場所だったり、兎も角何でもいい、人が集まる所なら、行って貼る。

中には1人で何カ所も貼って、夕方になるとそこら辺を彷徨いているグループに声を掛けて、場所を売る連中まで出没する。見回って客が帰ればそこを再確保して又売る剛の者まで現れる。斯くして花火はより一層熱が入り、祭りや花見は夜遅くまで盛り上がる。

終わった後は、誰も片付けない。空ビン、空き缶、弁当のからやら食べ残しやら、そこら中に満ち溢れる。哀れブルーシートと段ボールを貼られた芝生は蒸れて息絶える。歩道も広場も段ボールとブルーシートのパッチワーク状態。

色々啓蒙したが、事態の改善は全くない。

お巡りさんとイベント主催者、市の職員が1つのグループとなり集金して回っている。新財源アンド清掃代。何時の間に作ったんだろうという精密な場所取り地図。一等地は概ね\1000/m2。大抵のグループは1万円位徴収されている。抵抗するだけならまだしも暴行する連中も未だに散見される、直ぐに逮捕連行されている。

どっちが良いかは分からないが、時代は変わる。

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2008年7月17日 (木)

ペットの世話

何時も散歩している綠道にベンチが南向きに5台並んでいるところが有る。目の前は遊水池。春のある日、その内の1台に寝転んだ。他には誰も居なかった。帽子を顔の上に乗せて、ジッとしているとポカポカして気持ちが良い。遠くに鳥の鳴き声が聞こえる。心が安まる。そよ風が吹いている。何か気持ちよく眠ってしまった。

夫婦連れが「この子」連れて来て、ベンチの1つに座った。この子は二人に挟まれて真ん中に坐った。奥さんがその子にブラシをかけている。抜けた毛は無造作に掴んで風に飛ばしている。塊の幾つかが、ベンチで寝ている人に付いた。奥さんは時々幼児語でその子に話し掛けながら、ブラシをかけている。その子は何も言わない。

「原材料は天然木100%だから安心よねえ。パインウッドの高い抗菌力が長い間腐敗臭の発生を抑えるのよねえ。粒の大きさも丁度良いし、適度な重さで足場もしっかりするし、足にも付きにくいし、汚くなったところを散歩のついでに時々捨てれば良いのよ。土から生まれて土に帰り、環境の保護と再生に貢献して居るんだわ」

確かにさっき、遊歩道の植え込みの中にレジ袋を逆さにして何かを捨てていた。そのレジ袋も丸めてちょっと離れたところに捨てていた。

「ふやかして与えて下さい、と言うことでお皿に入れてから、熱湯を表面まで注ぎ、230分したら、スプーンで少しかき混ぜると、この子が食べてくれるのよね。最初の内はそれに粉ミルクを混ぜて、スプーンで混ぜて、抱っこしながら、少しずつ与えたのよね。食事の後は、口の周りを、濡れたタオルで丁寧に優しく拭いてあげるの」

「もう家に来てから、8年目。最近は殆ど動かないし、じゃれつくこともなくなってきたし、時々粗相をするし、目には目脂が沢山付いて、歯も半分以上ないし。毛の本数も半分ぐらいに減ってしまったわ」

「この子が居ると心が安まり、癒されるわ。従順だし。しっかり最後まで、心をもめて世話をするわ」

「歳月が経つのは早いわねえ。この子が来てから、早8年、、、、そう言えばこの子が来てから、1回もお義母さんのお見舞いに行っていないわねえ」

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2008年6月29日 (日)

家族同然のペット

119番「ハイ119番、消防本部です、どうなさいました」

主婦「119番ですか、直ぐ来て頂戴、直ぐに」(???)

119番「火事ですか、救急ですか」

主婦「救急に決まっているでしょう、家の子が急病なんです」(そりゃあんたは知っているだろうけれど)

119番「意識は有りますか」

主婦「グッタリしています」(意識が有るかどうか聞いてんのよ)

119番「呼吸は有りますか」

主婦「時々唸ります」(怪しい回答)

119番「住所を教えて下さい」

主婦「本町の本多です」(地元じゃ有名人らしい)

119番「正式な住所を教えて下さい」

主婦「市役所の裏の大邸宅の本多よ、知らないの」(自分の家を大邸宅と言うのも怪しいし、

横柄な態度だから市長の後援会長かも知れない)

119番「こちらは消防本部なので正式な市から言っていただかないと分かりません」

主婦「消防署から真っ直ぐ来て市役所の交差点を曲がれば直ぐだわよ」(困ったもんだ)

119番「何市ですか」

トンチンカンな問答が暫く続いて、やっと住所を確定した。出動できる最寄りの消防署から救急車が出発した。電話が有ってから6分後には現場に着いた。

出動した救急隊員は少し身構えた。署内で色々な噂が有る家だ。しかし救急に差別は無い。一刻も早く救急患者を搬送すべく、車から降りた。

広いお屋敷は森閑としている。門灯は点いているが門扉は閉じられている。やむなく呼び鈴を押した。ちょっとオドオドした中年の女性が出た。手伝いさんらしい。

「只今門扉を開けますから、静かに入って来てください」

無人の庭の門扉が開いた。救急車は静かに進入して車寄せで止まった。間もなく大きな玄関ドアが開いた。ストレッチャーを出して準備する傍ら、救命救急士とリーダーが患者の部屋に急いだ。大きな応接室に通された。

豚の様に太った中年のオバサンがお菓子を食べていた。一瞬呆気にとられてキョロキョロすると、少し離れたところに大きなソファーがあり、豚の子の様な太った犬が一匹居て時々唸っていた。

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2008年6月17日 (火)

問責決議

A:衆を頼んで衆議院で再可決するなんて、多数派の横暴だす。

B:立法府の参院で多数派が衆院の議決が怪しからんと言って、行政府の長たる首相に法的拘束力のない問責決議案を採決可決するなんて、国費の無駄遣い、党利党略のパフォーマンスにしか見えませんどすえ。

C:お店で展示して有るのは良くも悪くも、実際どんなものか分かるっぴ、カタログ販売だとお店にあるのよりずっと安くて良さそうに見えても、買って届いたらガッカリって事多いっぴ。

D:真面目にやれー、税金ドロボウ!

A:「もっと深刻に受け止めるべきだ。総辞職か解散を行う覚悟でなければ、恥ずかしいだす」

B:「恥ずかしいのは、何方どす」

C:主語と述語をハッキリさせておかない方が、後で逃げやすいっぴ。

D:ハッキリ分かりやすく言えー、特別職国家公務員!

A:国民の為にもっと真剣にやるだす。

B:衆院で多数派に投票した人は、国民じゃないみたいどす。

C:自分の都合の良いときだけ国民を使うなっぴ。

D:俺も国民だぞー、選良。

直近の民意って上手い事を言うが、参院だから投票した人も居るだろうし、ちゃんとしたことは衆院でって人も多い。

何か負け犬の遠吠えみたいで真面目に取り合う気もない、大体金切り声で絶叫する人に国政を運営して貰いたくない。

問責って、サボったり嘘をついたりして、される物の気がするけれど、自分の政策と違うからと言ってするものじゃ無いと思う。

野党参院多数で、念願適って首相の問責決議案を可決しちゃったけれど、伝家の宝刀だと思ったのに、錆びたなまくらで、と言うことになったら、誰が責任取るのだろうかねえ。

問責決議を受けた「史上初の不名誉な首相」って思い込みだと思う。名誉って事も無いけれど、首相の名誉不名誉は施策の実行で後世の判断だろう。

そんなこんな議論が、深夜の居酒屋で、ろれつの回らない酔っぱらい連中がしていた、或る意味国会と似ているかも知れない。聞いていた俺も同じ酔っぱらいだから最後はどうでも良くなって、勘定払って帰って寝た。

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2008年5月26日 (月)

杞憂

2008519日付けのニュース:日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)で今年の夏に看護師、介護福祉士が500人程度日本に来ることが決定した。

2008523日付けのニュース:日本側の仲介機関「国際厚生事業団」が23日、病院や介護施設を対象にした説明会を開いた。参加者は予想を大幅に上回った。

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その内マレーシア、フィリピン、タイなどからも多数来日するだろう。

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私は大変申し訳ないことをしたと心から思っております。私が死なせてしまった斉藤さんには大変申し訳ないことをしたと心から悔やんでおります。何故かはよく分かりませんが、私は長い間斉藤さんから虐めに遭っていました。何時も私に対して見下した事を言っていました。私だけのことなら兎も角、家族の事や、国の事など色々言われました。それも二人きりの時だけです。他の人が居るときは、何時も良くやってくれている、みたいなことを話しているのです。裏と表では大違いです。

だからといって、人工呼吸器の管が外れているのを発見しながら、10分も放置したことは、良くないこと、いえ、悪いことだとは充分分かっています。

3年前に私は看護師として来日しました。最初の半年は日本語研修、日本の習慣などを勉強しました。自分の国とは大きく違うと思うこともあるし、人は基本的には全く同じと思うこともありました。勉強も仕事も大変でした。でも毎日が充実していて、楽しくやっていました。友達も出来たし、良い上司にも恵まれたし、あと少しで日本の国家試験を受けるところでした。日本人の上司はきっと受かるから、毎日しっかり頑張りなさいと励ましてくれました。勉強の指導もして頂きました。尊敬しておりました。彼の期待を裏切り、迷惑を掛けることになって大変申し訳ないと思っております。

今は留置されています。私がしたので当然の報いだと思っています。でも私の問題が私個人の問題から離れて、この制度そのものの問題だとか、外国人に大変な仕事である看護や介護の仕事を押しつけるのは間違いだとか、能力が低いいい加減な人達に日本での仕事は無理だとか、とんでもない方向に議論が沸騰してゆくのを見るのはとても辛いです。

又、日本と私の国との間で私個人の問題が民族的対立や経済的摩擦に発展しつつあり、とても悲しいです。お互いに補完しあって双方とも良いところを出しながら助け合うという原点を忘れて、感情的な対立をするのは間違っていると思います。看護される人や介護される人を置き去りにして、自分の利益を計るという意図を隠匿したまま、他人を攻撃したりお為ごかしなことをしたりするのは、折角軌道に乗りかけたこの試みをぶち壊して、患者さんや介護を必要としている人を犠牲にする悪い人だと思います。

近隣諸国がお互い補完しながら助け合ってもっと有意義な人生が送れるように成れば良いと思います。

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2008年5月14日 (水)

エンジのトレーナー

高校生の時、或る夕方学校から20Km位離れた田舎の観光地をフラフラ歩いていた。何かちょっと暗い気分だった。帰ろうと思って駅方面に向かっていた。狭い道路で自分を追い越した車がちょっと先で止まった。窓を開けて顔を出した。自分より10才ぐらい上と思われた。当時は結構なオジサンに見えた。奥さんらしい人が横に乗っていた。

「何処まで帰るんだ?」

「○○まで」

「そばを通るから、乗ってゆかないか」

一瞬躊躇した。危険を感じたからではなく、話し掛けられるのも何となく面倒だし、1人で列車に乗って、外の景色を見ながら何となく憂鬱な気分で居る方が良い気がした。思い直して乗せてもらった。

「何しに来たんだ」

「ちょっとフラフラと」

後は会話らしい会話は無かった。彼はそれ以上は何も聞かなかった。主要道路から外れて、集落の道路に入る時、道案内をしただけ。その人は奥さんとは時々小さな声で話をしていた。特段の内容ではなかった。こちらには話し掛けなかった。家から少し離れたところで降ろして貰い後は歩いて帰った。

それから1ヶ月ぐらい経ってから、県庁所在地に有る球場に行った。夏の甲子園野球大会の県予選の準々決勝の応援。自動販売機で買った飲物を飲みながら歩いていていると、その人と会った。全く驚いた。曖昧な笑みでお辞儀をした。

「元気でやっているか」

「はい」

「今日勝と良いがなあ」

「はい」

「俺も応援に来た」

それ以来何十年も全く会っていない。名前も知らない。当時の顔も全く記憶から消えた。彼も自分の顔は覚えていないだろう。

彼に会った時、自分は2回とも学校のエンジのトレーナーを着ていた。左胸には校章が印刷されている。大きく学校名が入っているわけではないけれど、学校の色のエンジ。

彼はあらぬ時間に寂しい観光地を歩いている後輩にちょっと手を差し伸べた。

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2008年4月15日 (火)

夕闇の白い杖

昨日は遠距離散歩をした。夕方から曇った。予定通りだったが辺りは薄暗くなっていた。調子よく歩いた。速度は余り落ちていなかった。そこからの帰路は浅間山公園から多磨霊園を突っ切るのが、1番の近道だ。迷わず雑木林の小路に踏み込んだ。霊園の外周にある小さな杜だ。一旦寂しいバス通りに出る。

1人の若い女性がチラチラと視界に入った。白っぽい服を着ている。このまま歩けば、数十メートルで交叉しそうで躊躇した。辺りは薄暗い狭隘路だ。ゆっくり歩いて時間を稼いだが、何となくしっくりいかない。脇にある無人の児童公園のベンチが目に入り、入って座った。そこで十分やり過ごしてから、通れば良い。ベンチに坐った。花の香りがした。タバコに火を付けた。タバコが違和感を減らしてくれる。ゆっくり吸った。もうタバコの火が赤く見えているに違いない。ペットボトルの水を飲んだ。時間が止まったようにゆっくり流れる。吐いたタバコの煙が無風の大気に拡散する。

彼女はゆっくり歩いている。先ほどより近づいた。先ほどよりハッキリ見えてきた。ぎこちない足取りである。白い杖を突いていた。片側は斜面で、幅は狭い。道路側にはガードレール。向こう側に曲がることを期待したが、こちら側に曲がった。もしかしたらバス停に向かっているのかも知れない。ここのバスは2系統が止まる。本数は少ない。少し焦燥感が胸に沸く。

二本続けてタバコを吸うことは無いのだけれど、思わずタバコの箱を取り出してしまった。ちょっと思いとどまって。又水を飲んだ。

杖の女性が来た方向から又1人の女性が早足で歩いてきた。杖の女性より年配の様に見えた。その女性は見る間に近づいて来た。追い越すのかと思っていたら、杖の女性の直ぐ近くに来てからゆっくり歩いて話し掛けた。切れ切れにしか聞こえないが、内容は分かった。

杖の女性に行き先を尋ねて、バス停を教えて、腕を貸して、にこやかな顔で話ながらバス停で立ち止まった。女性は知っている風だったが、時刻表をチラッと見た。間もなく目的のバスが来た。彼女は杖の女性に話し掛けながら、手を貸してバスに乗り込んだ。二人は同じ席に並んで座った。自分の前を通るときに杖の女性の顔が見えた。安心感と感謝の気持ちが溢れていた。話し掛けた女性は親しい人と話すような、いつもの感じのように見受けられた。

バスをやり過ごして、ベンチから立ち上がった。自分は安心して多磨霊園の中に入って、帰宅を少し急いだ。

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2007年11月21日 (水)

丸くて黒い物

昔、昔、太郎が未だ小学生の低学年の頃の話。当時自分は未だ大学生だったような気がする。何故ってその事が発生したのは冬休みだった。田舎に帰って正月を過ごそうと思って帰省していた。

実家には畑と果樹園が有って帰省の度に遊びに行った。その日は何人かで遊びに行っていた。自分の父親が果樹の剪定をしていた。太郎にしてみれば外祖父、有り体に言えばお祖父ちゃん。我々は遅く採れるリンゴの残りを取って食べて後は手伝うようなそのあたりを彷徨くような事をしていた。葉っぱが落ちた果樹園は明るく、夏とは全く感じが違う。もうかなり寒くなっていて、地面は乾燥と寒気で固くなっていた。

その内太郎が指先で摘んで丸くて黒い豆のような物を持ってきて、自分に見せた。たくさん落ちているという。

「何だと思う?」

「分かんない」

「まあ、いいからそこに置け、取りはせんから。それはね、それは、それは、ウサギの糞」

可愛い甥っ子だもの、ちょっと食って見ろとは言わない。

「ワー、騙された、キッタネー」(陰の声;誰に騙されたんだ?)

つい先日家人がバジルの種を捨てた、折角拾い集めていたのに、中に幾つか青虫の糞が混じっていたことが判明したからだ。自分は気にすることは無いと思うが。

外見は似ているが出自が違う物が世の中には多い。

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2007年11月17日 (土)

携帯VSペースメーカー

実際に事故が起きているかは不明だが、電車の優先席付近で携帯電話を使っている人が居る。そこでは電源を切るように車内放送しているが、あまり効果は無いようだ。多分これからも放送は続くだろうし、携帯電話を使う人は居るだろう。

きっとペースメーカーを付けて居る人は、近くで携帯電話を使っている人が居ると、胸騒ぎがしているだろう。使って居る人が数人になれば、多分相当嫌な感じに成っていると思う。でもその時に特段の異常が無ければ苦情も言いにくいし、ペースメーカーを使っていることを話すことも躊躇されるし。

1ヶ月ほど前に航空機内で携帯電話の電源を切らない人が居て、その電波が原因と思われる障害で航空機の通信が各系統不通になったことが有った。

ペースメーカーもそれなりの防御をしていると思われるが、その日、何か特別要因が加わって、携帯電話の電波の為に付けている人が重大な影響を受ける事も有るかも知れない。

光子は最近忙しくて疲れ気味で有った。いつもの当駅始発の優先席に乗り会社に向かった。もうすぐ停年である。その日は電車がいつもより混んでいた。三つ目の駅から麻美がそこへ乗ってきた。彼女は短大の1年生である。遅れたので友達にイーメイルを送った。彼女は次の乗換駅で降りた。反対側に坐っていた光子は急に苦しくなりその乗換駅に着いたときはもうグッタリしてしまった。誰も異常には気付かなかった。

電車はそこで又たくさんの人を乗せて出発した。

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2007年11月 4日 (日)

ヤヨワゲメヨ

誰でも勘違いや無知から間違って記憶している事が有ると思う。自分はきっと平均を大幅に上回っている気がする。

昔はこの場合、江戸時代とか、には藩校とか寺子屋で論語何ぞを習っていたらしい。今とはちょっと読み方は違うだろうけれど、当時の話し言葉に引きずられた読み下しをしていたのだろう。解説も有っただろうけれど、それも大部分は為政者、若しくは権力の有るものに都合の良いものが多かったに違いない、まあ現代と大して変わらない。

意味も分からず丸暗記して大人になってからその意味を知るように成る人も多かったらろうし、ハッキリ知ることもなく、頭の中に仕舞われたまま二度と外に出てくることもない人も多かっただろう。たまには翻然と理解すると言うことも有ったかも知れない。

昔の人も賢さ加減、馬鹿さ加減は今の我々と大した違いは無いだろうから、間違って覚えて正す機会に恵まれずに、そのまま間違って覚えたり、意味も分からず覚えていたりする事だって、結構有っただろうと思う。

江戸時代の大部分の人達は世界地図は不要だったし、日本の歴史だって多分殆ど知らなかっただろう。今の様に旅行が盛んな訳ではないから地方のことは、関心も無かったし知らなかったと思う。そう言う意味じゃ暢気で良い時代だったかも知れない。

我々は何が必要で何が不要かもよく考えないで、成り行きと時代の変遷の間に揺れ動いて生活している。自分が小学生の頃とは今は相当違っている気がする。自分は小学校の時は相当ボンヤリしていたが、(陰の声:今でもボンヤリしているぜ、と言われそうだが)卒業式の時だけ歌う“仰げば尊し”は部分的に相当誤解して覚えていた。当時はなんにも考えないで、不思議とも思わなかったけれど。

仰げば尊し、我が師の恩 → 扇げば尊し、和菓子の恩。

身をたて名をあげ、やよはげめよ → 箕を立て菜を上げ、ヤヨワゲメヨ

他の所は兎も角、ヤヨワゲメヨって全く何のこった。主語ヤヨワ、動詞ゲメヨ。全く訳分からんけれど、特段の不都合もなく、楽しい小学校生活だった。

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2007年11月 2日 (金)

階違い

誰でも勘違いと言うことは、有ると思う。自分は多いのか普通なのか少ないのか不分明であるけれども、普通の範囲内だと期待している。

電車の乗り換えで逆の方向へ乗り込んでしまう事は滅多にないけれど、1駅ぐらい乗り越すことは多いし、住んでいる集合住宅で、自分の階を通り越して、1階上に行ってしまう事もある。

今まで1回しかないけれど、自分が住む階を通り越して行き、廊下を歩いているときにも気付かず、自分の部屋の位置でカギを差し込みドアを開けようとした事が有る。幸い全く違うタイプの鍵で差し込めなかったから、変だなあと思って表札を見たら、見慣れない表札で一瞬トリップした。

自分には本のちょっとした時間であったにも拘わらず、自分が住んでいた時空では長い年月が経って自分の家族は自分を諦めて、何処かへ引っ越ししてしまった???自分はその間何していたんだろう??それとも自分はそっくりの異次元に入り込んだのでは無いか?普通そんな事は滅多に起きない。モザイク行動の様にちょっと振り返ると何かいつもと景色が違う、木の高さが違うようだし、ものが見える角度が違うようだ。1階余計に上がってしまった。すごすごと帰りながら、万が一何かの偶然でドアが開いて中の人に見咎められたら、それはそれで面倒な事に成っただろう。ああ良かった。又あらあなたお帰りなさい、とか言われて記憶と違う所に入っていったら、これはこれで結構な酩酊状態に成りそう、後で醒めたらID失うなあ。

やっと自分の階に戻って、ドアの鍵を開けようとしたら、又別の表札。この時は本当に血の気が引いた。オイオイ、時空が錯綜したか。安直なテレビドラマじゃないんだから。ちょっと振り返ると何かいつもと景色が違う、木の高さが違うようだし、ものが見える角度が違う様だ。1階余計に下がってしまった。ちょっと上気しながら今来た階段を引き返した。今度は途中で方向を間違った。下ばかり向いていて、踊り場で反対に曲がって壁に直撃。ずっこけて尻もちをついてそのまま転んで後頭部まで打ってしまった。

ココで悪夢からは醒めたが、気を失って階段をズルズル滑り落ちた。

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2007年10月31日 (水)

雨のホームレス

10日ほど前の雨の土曜日、茂明は床屋に行った。いつも通り9時の開店を目指して家を出た。少し歩くと本通りに出る。そこから街の商店街が始まる。近隣では比較的名の通った道路が二つ交差している。そこから駅方面はアーケードが始まる。

そのアーケードの端に、初めて見るホームレスが居た。特に詳しいわけではないが、街は小さくいつも見る人は数人しか居ないので直ぐ分かった。茂明と同じぐらいの年頃であった。体は立派で背丈は茂明より高かった。白いレジ袋を4つ持っていた。

アーケードの端であちらこちらを見ながら、何となく少し落ち着きがない。何か約束でも有るような感じ。待ち合わせをして、時間が少し過ぎた、雨だし、どうしたかなあ、と思って、時間を潰す場所も無いし、近くにお茶を飲める所も無いし、しょうがない、多分来るであろう方向を時々見るような、そんな感じ。

アーケードに入って傘を畳んで駅方面へ。いつもの床屋へ。30年ぐらい通っている。お店に入って、少し待ってから茂明の番になった。いつも通りに調髪して貰って店を出た。雨が少し強くなっていた。同じビルの中にある100円ショップを覗いてから、朝来た道を戻った。

先ほど居たホームレスが未だ先ほどの様な感じで居た。

家に帰って奥さんに話した。

「可哀相だね、どうしたんだろうね、傘上げようか」

「何か食べるものは無いの」

「ご飯類はないんだよねえ」

「何かある」

100円ショップの花林糖ならある、飲物と一緒に」

奥さんが直ぐ出掛けた。10分ほどで帰ると思ったが、20分ほど帰らなかった。もう居なかったと言う。暫く交差点の当たりを探したけれど居なかったという。

茂明がそこを通り過ぎてから直ぐ、商店会の見回りの人が交差点の近くの店の人から通報を受けて、追い出した後だった。言葉は丁寧だが、その人に店の前でウロウロしないように注意した。

雨の日のホームレスは、生きる勇気をちょっぴり貰えるチャンスを失い、茂明たちは、喜捨するチャンスを失った。ホームレスは雨の中を歩き去った。

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2007年10月27日 (土)

銀行口座解約

可奈子は和彦の気まぐれな送金は当てにはして居なかったけれど、何かの拍子に思い出して暫く物思いに耽る事が有る。別れてから4年が経った。つい最近のような気もするし、もうずっと昔の様な気もする。自分の事ではない気がするときもある。

あの時より子供も大きくなって毎日夜有った事の報告を子供達から聞くのに忙しい。毎日同じ様でもあり毎日新鮮でもあり、日々が風の様に飛んで行く。

可奈子の意志としては別に記帳しなくても良いのだと思っているが、新宿に行くとどうしても引っ掛かり心の中は葛藤している。公園に行くのだからと言い訳をして口座の有る銀行の方へ歩く。その銀行の玄関まで来ると、ここまで来たのだから、本のついでにと銀行に入りATMコーナーで記帳した。詰まり家を出るとき通帳を鞄に入れて出たのだ。その時だってどうせ記帳しないのだけれど、もし成り行きで傍まで行ったら、ついでなのだから記帳した方が良い、本当は別にしなくても良いのだけれど、と。

試すように今まで何回か電話してそれとなく無心した。大抵はそれから1ヶ月ほどしてから、頼んだ金額より少し多めに送金してくれた。最初はちょっと苦しいときだったが、使わなかった。今まで一度も使っていない。

気まぐれだけれど7月か12月に送ってくれることが多かった。今まで10回ぐらい送金してくれた。お互いの未練なのか。

記帳して振り込みが有ると一瞬ほっとする。暫くすると自分にちょっと苛立った。繋がりを求める自分に呆れた。

出会ったときから何となくボンヤリした予感が有った。はね除ければ予感は、はね除けられたのか知れないが、結局は予感通りの事をしてしまった。

淡い期待で