2009年9月15日 (火)

マーゴジラ

マーライオン、頭がライオンで、体が人魚、と言っても手も無いし有り体に言えば魚、口から水を吐く真っ白の奴です。シンガポールに行ったことのある方か、南房パラダイスに行ったことのある方は、みんなご存知だと思います。マーメイドつまり人魚とシンガポールの名前の由来であるライオンの合成語として、多分水族館の館長さんが門前に飾るために芸術家に作製を依頼したらしい。

自分は長い間、中国語と英語の合体語で水を吐くライオン魚という意味かと思っていた。

昔、仕事で嫌々ながら(多分)、アラビアの国へ何回か行ったことがあります。好きこのんで行くのは自分から見れば、相当変わったものが好きな人としか見せません。

アラビアには砂漠が多い。体調が良くて、それなりに過ごせば砂漠もそれなりに快適です。砂漠の真ん中の大きな木の下で、ビーチベッドに寝そべって、風の音を聴いて、冷たい水を飲みながら23時間居るのは、暫しストレスから解放された気になりました。

後砂漠の良いところは乾燥していることです、汗は全くかきません。水分はドンドンからだから抜けて行きますが、汗はかきません。潮が吹いて体が粉っぽくなるのが少々難点ですが。

アラビアの砂漠の町に居ると、仕事以外は全くやることが無いと言うか楽しみがないので、23週間に1回あちらこちらの砂漠へ行って木の下におりました。いつも一緒に行っていた運転手は自分の事を、それ以外では普通に思っていたでしょうが、その事については馬鹿だと思っていたこと請け合いです。彼は只仕事だから、お金が貰えるし、面倒なことも言わないし、自分は涼しい車の中で待っていれば良いだけですから。

そんなある時、ホテルに帰る道路のそばに石油施設が有りました。皆さんも霞んだ砂漠の中の石油施設の大きな煙突の先端から炎が揺らぎながら勢いよく出ている光景をテレビで見たことが有るでしょう。そんな感じでは有ったのですが、その煙突がゴジラでその口から絶え間なく炎が吐き出されておりました。

おおおっ、マーゴジラだ。

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2009年9月 1日 (火)

蝶の道(後)

蝶が有る方向に向かって数羽ずつ群れを成して飛んで行くのが見えた。偶然では無いようだ。暫く見ていた、線のように途切れることなく飛んで行く。

地元の人に聞いてみると、今の季節、或る所に蝶が集結するらしい。水場があって広い森林。埃っぽい乾期にあって、湧水が有り、清流が有り、瑞々しい広大な森林。そこに各地から集まった蝶が乱舞する。

近くのコテージに泊まって、毎日早朝から夕刻まで、その蝶の森に時を過ごす。青い空、可憐な蝶、舞うもの有り、止まるもの有り。せせらぎの音、風の音。仕事?そんなものはどうでも良い遠いところの話。心も体も涼しい木陰の下ですっかり清められる。空想が破られて、勘定を払ってストレスの多い仕事に戻る。

その日は、5時前に仕事を切り上げて、2人でホテルへ向かう。埃っぽい街をひた走り、途中何回か渋滞に巻き込まれた。都心に入る前に2人で夕食を食べた。軽くビールを飲んだ。雑談をしながらゆっくり食べた。1時間程居た。ホテルに着いたのは夜11時過ぎ。疲れていたが、寝付かれなかった。妙に蝶の楽園の事が頭から離れなかった。仕事を投げ出して、暫く近くのリゾートに泊まって、誰とも口をきかないでゆっくりしたいものだ、と思っても、実際は毎日忙しい、ストレスの多い、ものを考えることも無い、時間に追われる仕事をしている。蝶の道と自分の道がちょっと交叉した。未だ出張の期間は半分以上残っていた。

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2009年8月30日 (日)

蝶の道(前)

ホテルのダイニングでコーヒーを飲んでいた。駐車場に現地の同僚の車が見えた。最後の一口を飲んで席を立った。小さなロビーを通って、朝からムッとする暑さの外に出て車に乗った。駐車場を出て、暫くソイ(主要道路に繫がる小路)を走る。道端にジャスミンの花輪売りが支度をしている。小さな屋台も朝食のお客を待っている。

その日は、車で日帰りの地方出張。未だ朝6時少し前、道は未だそんなに混んではいない。埃っぽい街路を抜けて高速道路に入った。都内は高速道を走る。昔に比べて便利に成った。暫くして郊外に出て高速道路はお終い。

東南アジアの熱い日射しに照らされた自宅兼店舗の通りが暫く続く、首都から遠くなってくると、道路から大きく下がって、小さな集落が点在する。道路の脇には大きな木が生えている。枝を大きく張って日陰をつくっている。良い景色だ。自分の好きな景色だ。

幹線道路から、肋骨のように横に伸びる、一見して格落ちの道路を何本も通過する。赤いラテライトの道路が遠くまで見通せる事がある。土埃を立ててオートバイが走っているのが見える。オートバイにリアカーを付けたような乗り物に数人うずくまって坐っているのが見える。車の中は強い冷房が効いているが、窓ガラスから差し込む日射しは強く熱い。幾つも町を越えて、9時過ぎに現場に着いた。

仕事をして昼になった。流れで当方2人、相手数人で昼食に行く。屋根がニッパ椰子で葺かれているレストラン、壁はない。道路とレストランの間には幅数メートルの湿地がある。レストランの駐車場にはその湿地に土管を通して土が盛ってある道路を渡って入る。木陰に車を止めて、焼け付くような駐車所を歩いてレストランに入る。出入り口の所にバナナが一本の房毎吊されている。半分ぐらいは熟れて食べられそうだ。無料で自由に食べられる。打ちっ放しのコンクリート土間に安もののテーブルや椅子が、並んでいる。テーブルの上にはビニールのクロスが掛けられている。何処にでも有る在り来りのレストラン。日陰で風が通れば、それ程暑くはない。

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2009年8月12日 (水)

渡り鳥の小枝

シベリアからの渡り鳥は小枝をくわえて日本海を渡って来る。疲れればその小枝を海に浮かべて、しばしの休みを取る。日本の大地に着くとその小枝をそこに置いて、陸の上を飛んで父祖と同じ所を目指して更に飛んで行く。半年後、シベリアに帰るとき、海岸まで来て、それぞれの小枝をくわえて旅立つ。戻ることが出来なかった鳥の数だけ小枝がその地に残る。小枝が多ければ多いほど帰られなかった鳥が多いという事。海の上を漂う小枝は海や大空で力尽きた鳥のもの。

この話の源流と思われるものが紀元前2世紀頃に成立した淮南子と言う中国の書物に葦を啣む雁(あしをふくむかり)として載っている。当時は準備が整い手抜かりが無いことの例えだったとのこと。それが日本に伝わり、それぞれの地方で地方色の有る話に変化して行ったらしい。

太郎は小学5年生。少年サッカークラブに入っている。活発な子供だ。小さなグループのリーダーであり気が強い。ゲームも大好きである。お勉強も出来る方だ。サッカーの練習も積極的に参加している。ゲームも一心不乱に遣っていることが有る。

その彼が海浜学校で日本海に望む田舎に数日滞在した。プログラムの中に地元の引退した先生の講義が有った。早朝貝殻や流木が散らばっている海岸を散歩して、木陰で休みながらお話しが有った。その老人はその地に伝わる渡り鳥の小枝の話をした。

そうすると太郎の顔からリラックスした笑みが突然に消えて、その目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。太郎は不意にその場から走って波打ち際まで行き、小枝を何本か拾って、胸まで持ち上げ、強く握りしめながら北西の海を眺めて、暫くそこを動かなかった。

自分にもそんな少年らしい多感な時代が有ったのだろうけれど、もう遠い昔に忘れ去ってしまい、感動することもなくダラダラ生きている気がする。

9月になったら日本海に行って、海水浴の人達がたくさん居た、その残像を感じる砂浜を歩いてみよう。

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2009年8月 6日 (木)

魔法の扉

その家の扉には魔法が掛けられている。

彼女は、子供の時には妹や弟の面倒を見ていた。両親は田圃や畑に行って、日中はいつも留守。繁忙期には夜も帰らないことが度々。いつも彼女は簡単な食事の支度をして、弟妹に食べさせた。一番下の妹には襁褓の面倒も見た。気付いたときにはそんな事をしていた。他人の家の事は知らない。アジアの田舎の片隅。

田圃が忙しいときは両親が帰る前に、暗くなった。未だ当時は電気が無かった。夕闇迫る中で、食事の支度をし、弟妹と一緒に食べ終わる頃には、もう真っ暗になっていた。

黙って弟妹達を寝かせた。彼女は蝋燭の光で食器を洗った。その後に盥で洗濯をしながら、度々居眠りをした。ハタと目が覚めて又洗濯。外に乾す頃には、満月もかなり高くなっていた。そう言う生活が辛いと思ったことは無い。毎日のようにおかずはカエルと川の小魚、小エビ。農家だから米と野菜はいつも有った。煮炊きは炭火の七輪。毎日両親のいない生活。弟妹達は特に不満は無いように思えた。特段の考えは無かったけれど、大人になったら市場で何かの売り子に成りたいと思っていた。

長じて彼女は市場の売り子の場所を見つけて野菜を売るようになった。毎日楽しく働いた。朝早くから夕方日が沈むまで。その内、市場で働く様になった若い男と知り合って、結婚した。2人とも田舎の在り来りの女と男。買い物客も特に2人に特徴を見いだすことは無かった。

仕事が終わって、それぞれ家に帰って、その扉を通りすぎると、その女は美女に成り、その男は美男に成り、心がウキウキして2人で夕食の支度をして、一緒に食べた。片付けをして寝室のその扉を通りすぎると、その女は益々綺麗になり、その男は益々いい男になった。2人は子供にも孫にも恵まれた。

あなたの家にも魔法の掛かった扉が玄関と寝室に付いているのに、あなたの邪気、妄念がその力を封じていませんか。

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2009年7月16日 (木)

裁判員制度

あの不評だった裁判員制度は、2年で廃案が衆参両院を通過して廃止となった。まあ当然の報い。

現職裁判官の常識の欠如を国民に負担を強いて改善しようとするなんて、そもそも誰が決めたんだっけ。判例も大事だし、条文も大事だけれど、法の主旨、法律以外の広範な知識を外部から入れようとするなんて、する方もする方だし、されるままにされる方もどうかしていると言うことで悪評紛々。裁判員候補者に指名された人達から辞退者続出、無理矢理拘引するわけにも行かず、2年間殆ど実質的に機能せず、挙げ句の果てに廃止法案が衆参両院をすんなり通ってしまったと言うわけ。

今度一部野党と、与党の一部から通称『3日衆議員制度』を法制化しようとする動きが有る。悪乗りなのか真剣なのか、今のところ不分明。それぞれ未だ同床異夢であるが、最もラディカルな与党の一部の案がマスコミにリークされている。

それらを掻い摘んで説明すると:

『手続きそのものは裁判員制度と同じように勧められる。成るのは偽裁判官ではなく、臨時厳密には3日間だけの衆議院議員。

近隣の人は衆議院からお車が差し向けられる。地方の方は、初日はファイブスターホテルに泊まって貰って、次の日からは議員宿舎に泊まって貰う。そこにお車が差し向けられる。衆議院に到着すれば後は全く選挙で選ばれた衆議院議員と殆ど同じ。他の議員が質問、演説をすれば、ヤジを飛ばしたり、居眠りをこいたり、昼になれば、議員食堂でカレーライスを食べて、夕方まで議事堂内外で仕事をして、その後は赤坂、神楽坂などの料亭に行って、乱痴気パーティー。これが3日間続くが、中には選ばれて、質問が出来る人もある。選ばれて3日衆議員になった人は、3日分だけ衆議院議員と同じ金額の報酬が貰えて、経費も全てお国持ち、ついでに勿論3日分だけれど厚い議員年金も付く』

そう言うことを議員連中がしていると言うことを、国民に知って貰おうとする、試みらしい。辞退者が居ないどころか、自薦他薦が殺到するだろうという国民に圧倒的支持される新しい法案。

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2009年6月16日 (火)

桑の実拾い(2)

最近週末は年中行事の桑の実拾いをしている。何処でどうなったかは知らないが、近所のいつも沢山大きい実を拾っていた桑の木が、冬の内に切られてしまった。可成りの大木で、お世話になっていたのに、そこで拾っていると、暫しのお仲間が出来て楽しかったのに。通行の邪魔でも無いし、近隣に人家が有って桑の実拾いが朝から煩いと言う苦情が行くわけでも無いし。まあ考えられることは土手の中腹にあるので、風で倒れたら道路が壊れる位のものだが。何か負け惜しみっぽい。

桑の実を拾うのは公園かそれに準じる所なので、冷やかしが来る。お仲間が出来る。

自転車で来たお爺ちゃん:「わしが手伝ってやる」そこいらから棒を持ってきて、生っていそうな枝をその棒で叩いて、実を落とす。ハッキリ言って有り難迷惑だが、本人に全く自覚成し、暫くして飽きると、プイと自転車に乗って何処かへ行くが、実が落ちているところの真ん中を突っ切って行く。

散歩のお婆ちゃん:「嫁に散歩って言って出て来た、少し手伝ってあげる」未だ沢山拾える実が有るところを、足を引きずりながら歩いて台無しにして、23個拾って呉れる。その後はもう拾わないで、実を踏みしだきながら、独り言を言って、その内プイと何処かへ行く。

若い夫婦連れ「何して居るんですか」見りゃわかるだろう。ジャムにする、と教えても全く無反応で、来たときと同じように自分達の話題に戻って居なくなる。

犬を連れてくる人、老若男女あり。大抵の犬は桑の実が好きだ。あちらこちら蹴散らしながら、10個位食べる。「邪魔して済みません」とか言っているが、そう思ったら来るな。

初老の夫婦連れ「生で食べますか、ジャムですか。頑張って」後は天気の話などをして又元気良く散歩を続ける。

その他色々な人が来て、年中行事の桑の実拾い狂想曲も間もなく終演。

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2009年5月31日 (日)

突然の狂気

昨日スーパーに行った。週末には家内に誘われてスーパーに行く。重い物や大きい物を運ぶ係。家内は歩いて、自分は自転車で。

土曜日11時少し前、スーパーは比較的空いていた。自分は入り口で別れて、自転車置き場に自転車を置いてから、1人でブラブラ見ながら、地下の食品売り場に降りていった。家内は売り場の何処かにいるはずだ。

少し前を、夫婦連れが歩いていた。自分よりは少し若い。亭主の方が何か言っている。内容は聞こえないが、何かを詰っているようだ。同じ事を何回も言っている。奥さんの右側に成ったり左側に成ったり、声が聞こえなければ、仲が良さそうにも見えた。奥さんは黙っている。大きなカートを押している。何となく歩き方がぎこちない。2人で来てこんな所で喧嘩するなんて、どちらか一人で来れば良いのに、それとも車の中で諍いを起こしたか。聞きたくないので、それ以上近づかないことにした。

野菜、果物売り場当たりから、奥さんがカートに商品を入れ始めた。亭主は、低い声だが先ほどより強く詰っているようだ。奥さんの体が強張っているように感じられた。奥さんは引き続き無言である。亭主は未だ詰っている、先ほどより激昂している風だ。こちらは何となく呆れる。亭主がカートに手を掛けたその時、奥さんがそちらにカートをグイと押した。亭主はそれに押されて、よろけた。奥さんはもう一度亭主の方にカートをグイと押した。亭主は大きくよろけてその場に仰向けに転んだ、奥さんが「うっ」と低い声で唸った様に聞こえた。亭主が転んだところを奥さんは何回もカートを勢いよくぶつけては引いて、又ぶつけた。亭主は呆然と奥さんを見ている。奥さんはカートをぶつけて勢い余って、カートが亭主の上に倒れた。奥さんはカートに下げていた傘を拾って、その柄を持って、無言で亭主を何回も打擲した。亭主は暫く両手で顔の辺りを庇っていた。奥さんはグニャリと曲がった傘を亭主にぶつけて、くるりと向きを変えて、早足でその場を立ち去った。一瞬奥さんの顔が見えた。息が弾んでいて、目は釣り上がっていたようだったが、全体的には無表情にみえた。亭主は事態をよく飲み込めていないようだった。呆然として暫くそこを動かなかった。

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2009年5月19日 (火)

真夜中のゲートボール

自分が住んでいる街の駅前が再開発、小さな商店街の半分を壊した。駅前に通じるアーケードも半分壊された。それで雨ざらし、日ざらしで駅まで歩くことになった。大きなお宅も幾つか壊された。珍しい生け垣公園も壊された。その跡地に幾つか大きな建物が出来た。マンション、多目的(雑居)ビル。大きなスーパー。広いバス停。タクシー溜まり。着々と建物が完成した。マンションにも夜、灯りが点き始めた。日を追って増えた。雑居ビルには飲食店も数多く入った。大きなスーパーには大きな駐車場、大きな駐輪場。とうとう開店した。

昼は大変な賑わい。週末はこんなに人が居たのだろうかという、混み具合、雑居ビルの飲食店街もスーパーのフードコートも行列が出来るほど。取り壊された商店街の人は何処へ行ってしまったのだろうか。

段々出来てきたのだけれど、駅の真ん前が、何故かは知らないけれど、整地されて簡単な柵で囲んで、何かをする気配は毛頭無い。街の噂だと、何か大きな店が入る予定ったが、中止になり、空き地のままだという。俄には信じられない。兎も角広い野原が駅の真ん前に出来てしまった。

或る眠れない夜に、近くのファミレスでお茶を飲んだ後、フラッと駅前に行ってみると、噂は本当だった。静かな深夜の駅前の野原で、黙々とゲートボールをする老人達。かなり暗い中で地味な服装の老人達が無言で熱気溢れるゲートボールをしていた。

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2009年5月 5日 (火)

ティッシュー手品

この頃又ティッシューを配る人が減ってきた。一頃景気の回復が見られたように感じられ、ティッシューを配る人が増えたに感じたが、あれはガセだったか。

チラシだけ配っている人は結構多い。レストランや居酒屋の割引券なら貰って吟味したい。ちょっと怪しい飲み屋の『~~ポッキリ』と言う怪しいチラシも一応はチェックしてみたい。

おいらの頭を見ているだろうに、スタイリスト、デレクター、トップデレクターそれぞれの料金が違う、カットショップ?要するに理容室、床屋のチラシを俺に配るな、と一瞬腹が立ったが、そんな事で腹を立ててどうする、腹が泣くぜ。先方は配るのが仕事であるから、誰彼かまわないのは仕事に熱心な証拠だ。

近くのインド料理店のオジサンはよく駅前でサービス券の付いたメニューを配っている。余りにも熱心なものだから、つい貰ってしまう。貰うとかなり浅黒い彫りの深い顔でニッコリ笑い「有り難うございまあーす」

1回しか見たことが無いが、一月程前に何でもない住宅街でティッシューを配っているオニイサンが、自分が近づいたときに突然56個のティッシューをジャグリングのように両手で投げ回した。目をパチクリして見ほれていると、今度はニッコリ笑って指の間に挟んで1個のように見せたり45個扇の様に広げたり萎めたりした。側に近寄ったら「宜しく」と言って1個呉れた。貰ってから何回も振り返ったが、その後は全くジャグリングも手品もしなかった。駅に向かう人達に黙々と配っていた。

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2009年4月26日 (日)

筆子・綱男

休憩時間にお菓子をボリボリ食ってお茶を飲みながら雑談。同僚の1人に初孫が生まれて、名前の事が話題になっていた。

役に立つことには無頓着で、殆ど役に立たないが聞くと少し心に引っ掛かる事を偶に言うオジサンが言った。

「漱石は書も独特だし、俳句は言葉遊びとユーモアがあって中々面白い、娘には筆子と名前を付けた。字が上手ければそれでよい。勿論色々考えたのだろうけれど、俳句と同じでまあユーモアも有ったのだろう。

坂口安吾は倅に綱男と言う名前を付けた。世の中で一本の綱たれば良し、と言うことらしい。筆子も綱男も良い名前だ。

岩夫は、きっとご両親が、岩の様に丈夫で、意志も岩の様に固く、自分の道を進めるように、名付けたのだろう」

(陰の声;岩夫=そこには居ない同僚の名前、考え方が単細胞且つKY)

さっきまで黙って居た寸鉄人を刺すオニイサンが言った。

「頭が岩に成っちゃって」

以下そのオニイサン語録;

美人大年増の同僚について、

「美人だから人生の半分はそれだけで取ったようなものだ、只その脳みそで人生の半分は溝に捨てた。産土神が気まぐれで美人にするために多くの時間を割いて集中した。その内生まれる時間が来て、脳みそは側にあった返品の不良品を使った」

チビデブハゲの2人のオジサンについて、

年長の方を一号と呼んでいる、年下の方を二号と呼んでいる。「こちらに来て暫くは区別が付かなかった。2人とも遣ることがトンチンカンで区別が付かんし、いい人だけれど欠陥品、それでもまあ、手足はちゃんと付いているのだから、頭だけ替えればよい」

良い人で働き者で言うことが支離滅裂な同僚について、

「偉いと思う。発言はぶれまくりだが、遣ることは全くぶれない、いつも最悪の選択」

どっとはれ。

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2009年3月29日 (日)

ピコピコハンマー

ピコピコハンマーがJRの武蔵野線と南武線に装備された。二線とも首都圏の外環にあり、それなりに重要だけれど、直に都心に向かうと言う感じではない。ラッシュアワー以外は電車が10分に1本程度の所である。自分も偶に利用させて貰っている。景色がややのんびりしている。

ピコピコハンマーは、シルバーシートの横に装備された。目的は、該当者以外が坐っていたら、誰でもそのハンマーで、寝たふりを起こして、そこに本来坐って頂くべき人に席を譲る為の注意喚起。いや別にこれでそこにタヌキ寝入りしている人の頭を叩くというわけではない。頭上の荷台を叩いてお目覚め願う、と言うだけだ。

装備してから暫くは使われる事が無かった。勿論その席が正しく使われていた、と言う意味ではない。誰も遠慮して使わなかったと言うだけ。

老人や妊婦、体の不自由な人ならそこに行けば殆ど自動的に席を譲って貰えるとすれば、少しは気軽にお出かけも出来ると言うものだけれども、決してそうではない、と思って発案者は関係者を説得して、ピコピコハンマーを設置した。

その内使う人が出た。見てくれはそこにそぐわないが、急に目眩がしてへたり込んでいた中年オジサンを立ち退かせたり、急に腹痛を催したオバサンを追い払ったりの小事故も有ったが、例のピッピの音で、シルバーシート以外の席を声を掛けて譲ってくれる人も予想外に多く、それなりに効果は有ったようだ。優しい人は実は勿論沢山いたのだけれど、シルバーシートの意味が理解できていない人が、相当数いることも発見された。全く理解していない人が、もう途轍もない数がいて、それでもちゃんとかどうかは不明だが、まあまあ普通に生きて行けるのだから偉い物だ。世の中の仕組みなんか殆ど知らなくとも、まあまあ生きて行けるようだ。

発案者は、当初の目論見と違って、音で近隣に知らせるので、多くの人が優しさを発揮しとっても良かったと思っているが、シートの意味を全く理解していないし、お知らせの張り紙にも全く注意を払っていない人が大勢いることも知り、大いに悩んでいる。

優しい人は沢山いるが、知らしめるべきだと思った人には全く効果のないピコピコハンマーを別の路線にも拡大適用すべきか、それとも止めるべきか、ああそれとも暫くこのまま実験を継続すべきか。

未だご覧になっていない方は、廃止になる前に、この二線に乗って実際に見聞した方が良いかも。

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2009年3月27日 (金)

市議会議員選挙

今、自分が住む街は市議会議員の選挙戦中である。関係者はまことにご苦労様な事である。自分も少額ながら納税者であるから、それなりの関心を持って見守っている、多分。只、朝は働きに行かねばならないので、それぞれの演説をじっくり聞いては居られないけれど。印刷物の類は貰える範囲で貰って、投票の参考にさせて貰っている。

朝、駅までの間に候補者が数人いる。道を挟んでいると、気の毒になる。たった数百メートルの間に一番多いときは、8人居た。

候補によって手助けしている人の相が違う。家族で援助している風の候補、党で支援している風の候補、支持団体から援助が来ている風の候補。観察して歩くとそれだけで結構退屈しない。お知り合いなのか、「お疲れ様」「ご苦労様」等の声を掛けて居る人がいる。候補者側からは「お早うございます」「行ってらっしゃいませ」「有り難う御座います」「おつとめご苦労様です」「宜しくお願いします」、特段の意味はない。

昨日、自分より数メートル先を行く人が居た。その人は候補者を見て手を振り「応援しています、頑張って」と言いながら、にこやかに通った。その候補者の支持者のようだ。成り行き上、その人の後ろを付いて駅まで行くと、さっきの候補とは全く反対の政党候補の側を通った時も、手を振りにこやかに笑って「応援しています、頑張って」自分は一瞬目と耳を疑った。なおも後をついて行く。今度は宗教団体が支援する政党の候補者の前、「応援しています、頑張って」忙しい人だ。次はローカル色の濃い小グループの候補、やはりにこやかに手を振って「応援しています、頑張って」

自分はあれほど博愛にはなれないが、ちょっと考えさせられた。優しいのか罪作りなのか、即断しかねる。彼は多分いい人で、彼は彼なりに候補者を若しくは自分を励ましているのだろう。

候補者は一票上乗せと心の中で換算しただろう、願いは叶えられないが。

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2009年3月23日 (月)

空飛ぶ夢

農村地帯。家が屋敷林に囲まれて数軒、数十軒ずつ固まっている。集落内に柿の木や栗の木が有る。高いところから見ると、田圃が海で、集落は島のようだ。島の周りは掘り割りに囲まれている。子供達は自分の島で遊ぶ。時には数人で偶にはもっと多い人数で、別の島に遊びに行く。

或る秋の日の午後、56人でいつものように自分達の島で遊んでいた。木造の塀の上から勢いよく塀を蹴って飛び出す。水泳のように手で空中をかいて空を飛び回る。高さは34メートル。上手く行くと78メートルまで上がることが出来る。その高さで飛び回るのは少し疲れる。風が吹くと煽られて体勢を崩して、沈んで行き地面におちてしまう。手をかくのを止めれば、ゆっくり足から降りることが出来る。

飛ぶのが未だ下手な子は、塀の上から飛び出して必死に手をかいて、足をばたつかせても、少しだけ上昇して、間もなくフワフワ下がっていって、飛び出したところから78メートルで、地面に落ちてしまう。

時には里山から、ススキの穂と一緒に風に乗って、集落まで飛んで帰る。雁のように先頭が時々入れ替わって、みんな明るい顔で飛ぶ。

子供の頃、朝早く起きては1人で塀から飛び出して飛ぶ練習をした。何回も何回も1人で練習をした。ある時、少し浮いて、45メートル先まで行って、地面に落ちた。駆け戻って塀によじ登り又勢いよく塀を蹴って飛び出したら、飛べた。やっと練習の成果が出て飛べるようになった。楽しくて暫くそこら辺りを飛び回った。夕方、母の「たっちゃん、たっちゃん、ご飯よ」と言う声で、目が覚めた。

その朝も、こつを掴んだ気になって、1人で塀から飛び出して空を飛ぶ練習をしたが、駄目だった。その内飛べないと言うことが分かった。飛べるのは夢の中だけ。残念だった。その挫折に比べれば日常の挫折なんてどうでも良いような気がしている。

長じてからは、空飛ぶ夢は見なくなった。偶に素晴らしいトランポリンの23倍の跳躍力が有る夢を見る。日の因っては地上から56メートル止まりだけれど、絶好調な時は20メートル位も上がることが出来る。空中で自在に体勢を変えて、地面に戻って又自由な方向へ飛び上がり空中で景色を見ながら自在に体の向きを変えて遊ぶ。途中から、「あ、夢かも知れない」と思うが、ああ、醒めないで。

近くの公園を1人で散歩して、小走りに数メートルの土手を駆け降りて、力一杯飛び上がってみるが、勿論560センチ飛び上がり2メートルぐらい先に落ちるばかり。夢との区別は付いてはいるんだけれど、ちょっと試してみる。上手く行って高く飛び上がれたときは、やはり夢の中。

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2009年3月17日 (火)

農薬の付いた野菜

近くに八百屋がある。越してきて発見してから、贔屓にしている。新鮮で比較的安いし、何より近いのが良い。週に1回ぐらいは行っている。そこは家族で遣っている。商売熱心なのは結構だけれど、突拍子もない物をしつこく勧めることが有って、閉口するときが有る。

サツマイモを買おうとして、籠に入れているのに、乾ききった石焼き芋を勧めて、籠に入れた、要らないと言って、籠から出したら、『せっかく、美味しいのを安くしたのに』。

閉店間際に行くと、当日中に売りたい物を、しつこく勧める事もある。気の弱い人は買ってしまう。

お隣さんと偶々一緒になって、その八百屋さんの話になったことがある。さもありなん、と言うところの面白い話を教えて貰った。20年近く前の事のようだ。消費者が生産者から遠く離れて、ブルームが誤解で農薬と間違われ、今はブルームレスのキュウリばかりになってしまったが、未だ双方が店頭に有った頃の話。

客:「これ農薬でしょう、こんなの食べられないじゃないの」

八百屋:「ブルームと言って、農薬なんかじゃありませんよ、奥さん」

客:「嘘仰い、適当なことばっかり言って、白いんだから、農薬に決まっているでしょう」

八百屋:「それなら、奥さんの顔の白いのは農薬ですか」

客:「失礼な、違います」

八百屋:「それなら、毛羽立っているから、カビですか」

自分が子供の頃の新しいキュウリには、白い粉、つまりブルームが付いていた。当時名前は知らなかった。この粉は元々キュウリ類には有る物で、水分の蒸散を防ぎ、水をはじいて、果実を環境の変化から守る働きがあるらしい。接ぎ木の台木によってブルームが付いたり、無かったりするとのこと。ブルームのあるのは皮が柔らかく歯切れが良いが、やや日持ちがしない。ブルームがない方は、皮がしっかりして色つやがよく日持ちがする。当時ブルームが付いていなくて、手に刺さりそうなトゲのような突起も消えているのは食う気がしなかった。

最近はブルームレスのキュウリでも、平気だけれど、郷愁からか、昔のキュウリの方が未だに美味しかった気がする。

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2009年2月19日 (木)

年賀状お年玉賞品

3週間ぐらい前だったっけ、年賀状のお年玉抽選会が開催された。我が家では恒例の賞品選びが有った。

一等は:マッサージチェアは?家はあちらこちら凝る人が居ない、安楽椅子として使う?発言者無く素通り。デジタル一眼レフカメラもほしいが、デジタルカメラと一眼レフカメラが有るから却下。高級炊飯ジャーと高級お米セットもなあ、選べるオフィスグッズセットだと家に不要不急のがらくたもどきが溢れそうだし、高級旅館に泊まっても落ち着かないし、初めから解っていたんだけれど、ワザワザ遠回りして、家は未だアナログテレビなので、デジタル対応テレビに落ち着いた。みんな笑顔で満場一致。

二等は:精密そうな体重計?似たようなのがあるし。家庭用ゲーム機?それなりにあるし。電子辞書/デジタルカメラ?そんなには要らないし。旅行?ワー楽しかったで、なんにも残らないし。ヨーシ、エスプレッソ&コーヒーメーカーだ、みんなエスプレッソ飲みたい、これで決まり。

三等は:偶にはみんなで高級食材のフカヒレスープとかに缶セット。で直ぐに満場一致。

四等は:考えることもない。お年玉切手シートのみ。

C組限定は:生ゴミ処理機?収集車に出せばお終いなのに要らないね。折りたたみ自転車、少し迷ったが、みんなで楽しめない。キャンプセットにしよう。海水浴でもハイキングでも、勿論キャンプでも使える、みんなで楽しめる、これで決まり。

全部決まったところで、いよいよ番号の検査開始、それぞれ検査、交換して再検査。四等が一二枚当たるぐらいの枚数なのに、今年はそれも無し。でもまあ賞品を選ぶ時にそれなりに楽しんだから良いか。簡単な幕切れ。

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2009年2月11日 (水)

弁当(2)

職場の誰とは言わないが、今まで見聞きした面白弁当。

1.        弁当箱にスパゲッティミートソース:イタリアンランチ。

2.        ご飯を持ってきて、レトルトのカレーを温めて掛ける、勿論カレーが牛丼だったり、親子丼だったり:掛ける物って結構種類有ります。

3.        ご飯の上にシラスと、梅干し1個:疏食。

4.        ご飯の上に海苔がべったり全面に張り付いていて、ご飯には醤油がかかっている:海苔弁。

5.        弁当箱の中に、在り来りのおにぎりが2個:今日は弁当?おにぎり?

6.        ご飯と鯖味噌缶1個:サンマの蒲焼きだったり桃缶だったりもする。

7.        弁当箱にいなり寿司5個:海苔巻きが混じっていることもある。

8.        弁当箱に100円寿司がビッシリ:弁当を回しながら食べて回転寿司。

9.        卵掛けご飯:温かいと美味しいけれど。

10.    ご飯の上に二つに切ったサンマの塩焼き、カボス、大根おろし付き:生臭い。

11.    ご飯の上にネギ味噌:宮沢賢治。

12.    ご飯の上に醤油まぶしの削り節と短冊の海苔:猫まんま、自分の好物。

三食食えるだけで有り難い。

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2009年2月 5日 (木)

弁当(1)

その日は職場の5人が偶々相前後して弁当を開いた。職場には面白い弁当の人が多い。斜向かいに一番の爺様の長谷山さんがいつも通り坐っていた。紺色の弁当バッグからハンカチに包まれた弁当を出し、ハンカチを開いて弁当の蓋を開けた、多分、見ていたわけではなく、視界に入っていただけなので。開けたかと思ったら、直ぐ弁当を元に戻して、それを持って部屋を出て行った。

全員唖然としたが、これが一回目ではない。記憶にあるだけでも45回目である。今日の弁当は観察して居なかったが、隣に坐った西岡さんにはチラッと見えたらしい。それによると弁当の真ん中に刻んだ赤い梅漬けで() 、ハートのマークが有ったらしい。それで本人は、逃げ出した。1時頃戻ってきたから、通勤の車の中で食べたのだろう。

見てくれからして爺様でもっさりしていて、殆ど口も利かないし半分死んでいるようにも思えるが、会社を一歩出れば、全くの別人格らしい。

西岡さんに因れば、他の1回は弁当に海苔で大きく×がして有った。他は残念ながらチラッとも見る機会が無かったけれど、奥さんが弁当に細工をしていたに違いないとの事。

爺様になっても、ご活発で結構な事。若いときはもっと色々面白い弁当が有ったに違いない。大谷さんの想像だと、「ハートマーク」「バカ」「おかずに梅干し1個だけ」「1週間続けて同じおかず」とか色々有るだろうとの事。そう言う大谷さんも、おかずはトマトだの煮豆だの、佃煮だの薩摩揚げだの調理した形跡のないおかずが多い。ご飯の上には必ず振りかけ。殆ど毎日同じ。

爺様の弁当は要注意。自分?自分は自分で作っているので、開けるときの楽しみは無い、それはそれで、寂しい気もするが。時々記憶がずれて、昨日と今日が入れ替わって、目が点になることが有る。

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2009年1月 2日 (金)

浦島太郎(4)

太郎は粗末な小屋で雨露を凌いでいた。夢と現の区別がハッキリしない。そんな或る日あと数日で死ぬであろうと予感した。夜眠りに就き数日夢を見ながらそのまま死んでしまった。

色々なことが夢に出て来たが、竜宮城の事は出てこなかった。繰り返し繰り返し出て来たのは小さな子供の頃のことばかり。貧乏ながら明るく楽しく暮らして、お母さんとお父さんが居て、愛情に包まれて日々を過ごしたこと。

お父さんとお母さんに折に触れて抱き上げられた。もう少し大きくなってからは、近所の友達と海辺で遊んだこと。山に行って、木の実やキノコ、山菜を採って遊んだこと。そんなことを繰り返し夢に見た。長じてからのことは全く夢には出てこなかった。太郎は母に抱き上げられて、母の匂いを嗅いで、満面の笑みでいたところで死んだ。

太郎の死に顔は微笑んでいるようだった。

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2008年12月26日 (金)

浦島太郎(3)

太郎は竜宮城から村に帰ってきた。村では200~300年が経っていた。有るべき所に自分の家は無かった。老母も居なかった。話も通じない。何故かは理解が出来なかった。玉手箱に救いを求めた。砂浜に坐って紐を解いて玉手箱を開けた。白い煙が立ち上った。饐えた匂いがした。転落感が有り目眩がした。遠い距離を移動した気がした。

煙が消えたら、太郎は爺になり、その瞬間に惚けてしまった。悩みは無くなったけれど、自分の事が分からなくなった。そうしてそれから間もなく亡くなったとさ。

一般的今浦島は駐在員に比較的多いように感ずるけれど、可成りの量で何処にでもいる。誰でも目の前の現実を自分の基準で理解するのだけれど、理解と現実が合わなくても、知識や経験で理解を変更しない。なので益々理解が現実から遠ざかる。

連日報道していて警告にも毎日接しているのに、詐欺に引っ掛かりお金を振り込むのは、物事を社会の規則に従って解決しないで金で解決しようとする人だったり、欲ボケで社会的通念から逸脱しているのに自分だけはと思っている人だったりするのかなあと、同情したり憐憫を感じていたのだけれど、もしかしたらそう言う人達は拝金主義者でも無知蒙昧な訳でもなく単なる今浦島なのかも知れない。これはもう出現率がきっと決まっていて極端な増加もないのだろうけれど、劇的な減少もなく、長い期間を以て地道に対策してもそれ程の効果は無いのかも知れない。一種の遺伝子なのだろう。そこに玉手箱は無い。

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2008年12月18日 (木)

浦島太郎(2)

太郎は、大きくなった助けた亀に連れられて竜宮城に行った。見たことも聞いたこともないご馳走、歌や踊りの演芸、夜は夜でのもてなし。非日常的なことで楽しいと思うのは最初だけ、暫く経つと、村が恋しくなって、老母の事も心配になって帰ることにした。竜宮城の主、乙姫様から玉手箱を貰って、連れてきてくれた亀の背に乗って、自分の村へ。

昔ノーキョー、今学生と定年退職者、かどうかは不明だけれど、昔はノーキョーの海外旅行団が大活躍したらしい。世界中至る所の観光地、夜の歓楽街に数十人から数百人の団体が闊歩した。或るホテル何ぞは、夕方その手の女性がそれこそ何十人、何百人とロビーに溢れ、壮観だったらしい。勿論一般の宿泊者はギョッとした。本当か嘘かは知らないが、ステテコや浴衣でスリッパを突っかけてダイニングに大挙して参集した。同伴の方もいた。一遍お仲間に入れて頂きたい気もするし、誘っていただいても気後れがする気もする。

昼はバスを連ねて観光地を巡る。金歯銀歯を輝かせてガハガハと笑い腹巻きから紐で繋がった財布を出して、ポケットから計算機を出して、計算しながら色々なものを買う。添乗員さんこれ送っといて、見たいな、軽いノリ。

非日常的な食べ物、買い物しまくり、メチャクチャもてる。勿論お金の力。楽しくて仕方が無い。それでも数日して帰路に付き、帰りの飛行機に乗る頃には少ししおらしくなり、日本の空港に着く頃には大人しくなって、地元に着く頃にはすっかり普段のオジサンに成ってしまう。夢の様な世界から現実の生活に舞い戻る。

太郎は夢の様な世界から、自分が存在しない村に戻った。

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2008年12月10日 (水)

浦島太郎(1)

1000年ぐらい前、分かりやすく言えば、平安時代中期、日本に天然痘が大流行した。貿易で海外からもたらされたと思われる。たくさんの人が、勿論高貴な方も、そうでない方も、或る意味平等に罹って死んだ。当時人口は多分約600万人、勿論日本全体で。今の20分の1以下。藤原氏全盛時代。そんな位前のある時、そんなに分かりやすくもないか。

丹後の国の或る海岸で、1人の若い漁師が歩いていた。漁師の割には色白。小柄でひ弱そうだった。その人の名は浦島太郎。

子供達が一塊になって、何かしていた。興奮した様子や切れ切れに聞こえる声から、何かをかまっているらしい。近づいてみると子供達がウミガメを苛めていた。太郎がやめるように言っても子供達は、彼を一瞥しただけで、止めようとはしなかった。太郎が懐から財布を出して、一文ずつ与えたら、囃し立てながら子供達は走り去った。

この亀は命拾いをした。太郎が通りかからなかったら子供達になぶり殺しにされただろう。子供達は頭に血が上っており、それぞれお互いに刺激されて、又亀が苦しむのを見て益々エスカレートして殺してしまっただろう。

子供の頃、カブトムシやゾウムシで遊んだ。引っ張り合いをさせた。小さな土俵で相撲を取らせた。負けた方に罰を下し、足を一本むしり取った。2回負けたのは2本むしり取った。段々エスカレートして首を捻った。半回転させると首が取れた。みんな喜んだ。ゾウムシを並んで歩かせて、遠くから石をぶつけて当たると喜んだ、そんな経験あなたに有りませんか?

相手が亀や昆虫だったら、まあどうって事もないが、相手が人間でも、強い権力を与えられた集団と無力な集団が、狭い空間に長い間一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走する。元々の性格とは関係なく発生して仕舞うところが恐ろしい。

イラクで捕虜を虐待した兵士も数ヶ月前までは善良な在り来りの一般市民だった。それを防ぐのは強い自覚なのか、「宗教」なのか自分にはよく分からないが。或る種の深い知識が無ければならないと思う。

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2008年11月 6日 (木)

魚の味

3年ぐらい前に或る動物園に行った。好きなペンギンを暫く見ていた。飼育員が来てバケツの魚をペンギンに与え始めた。ペンギンは喜んで次々に飛ぶように泳ぎ来たって、餌をくわえて飲み込む。とても美味しそうである。暫くして餌遣りは終わった。ペンギンは又何事もなかったように静かに成った。自分の中で原始の血がグツグツッと動いた。

次にアシカを見に行った。暫く見ていたら、飼育員が来てバケツの魚をアシカに与え始めた。数頭のアシカは円を描くように飼育員の前に現れては餌を貰い少し齧ってから美味しそうに飲み込んだ。それを何回か繰り返した。飼育員が帰ると又静かになり、先ほどのようにゆったりと池の中を泳ぎ始めた。どきどき見物人に愛敬を振りまく。自分の中の原始の血が又グツグツッと動いた。

自分は物欲しそうな顔をしていたらしく、側にいた家内が、「お腹が空きました?」と聞いた。未だお腹は空いていません。夕方まで見て歩き、その日は何と言うこともなく家に戻った。

一週間後無性に釣りがしたくなり、小田原新港に1人で釣りに出掛けた。昔ほど開放感が無いけれども、駅からも近いし、交通も便利で良い所だ。

市場と大きなお手洗いが有る岸壁で釣りを開始した。小魚が群で泳ぎ回っているのが見える。近くのグループはBBQをしながら釣りをしている。カタクチイワシもいるようだ。撒き餌をして群を寄せる。サビキに一投目から何匹も掛かって楽しい。布バケツに水を汲んで釣った魚を泳がす。230匹溜まってきたので玉網を掛けて汚れた水を捨てる。玉網を取ると、カタクチイワシがピチピチと跳ねる。先週のペンギンとアシカの光景がフラッシュバックした。

うっ、うっ、なんじゃこりゃ。

思わずその魚を捕まえて、口に運んでしまった。十分に食える。顔がにやけるのが分かった。続けて何匹も食ってしまった。その様子を近くのグループに見られて、彼らにドン引きされた。それでハッと我に返った。

釣り道具を放棄して、デイバッグだけ掴んでその場から逃げた。

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2008年9月18日 (木)

貧すれば

諸般の事情で可処分所得が減った。今までの行動様式から少し変わった。つまり貧乏くさくなった。清貧と行きたいところだけれど、自分の場合全然修行が成っていない。

サウナ、スーパー銭湯へ行く回数が減った。靴をロッカーへ仕舞う時と出す時に、他のロッカーをチラッとみてしまう。何故って?最初に入れた100円硬貨を回収忘れが有りそうで、昔は自分がしょっちゅう忘れていた。自分のロッカーも良く見なかった、他人のロッカーを見るわけがない。

自動販売機から買っても価格が変わらないもの、つまりタバコは買うけれど、値段が変わるものは、つまり飲物は近くの自動販売機を素通りして、コンビニを素通りして、スーパーに入って買う。その間ずっと喉が渇いていて益々貧乏顔に成る。この間、スーパーの柱に貼りつけてある鏡で偶然自分の顔が見えてゾッとした。

箱のテッシュペーパーは買わない。繁華街、駅前で配っているポケットテッシュを積極的に貰う。不足してきたら往復貰う、貧乏暇有り。

ワイシャツは自分で洗濯して自分でアイロンを掛ける。ジーンズをクリーニングに出すと言うことはもうない。

紙パック入りの100%、1リットルジュースを水割りで50%にして飲む。味の不足分は砂糖を追加して飲む。第3のビールはウオッカを足して飲む。スーパーの試食試飲はさり気なく近づく。勧められるままに飲んだりつまんだり、コメントを言わずニッコリして立ち去る。

タダか、100円ぐらいであれば積極的に大盛を利用する。ドリンクバーは最低5回お代わりをする。昼は殆ど吉○屋、スタ○ナ亭になった。貧すれば丼する。

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2008年9月10日 (水)

CBで轢き逃げ

最近2回続けて轢き逃げにあった。幸いどちらもちょっと痛いだけの軽傷で済んだが全く危険だ。近づかないようにしているのだが、後ろから来て轢き逃げされると、彼らは逃げ足も速いし、人混みで大きな声を出すほどの事でもないし、尤もなんと言って文句を言ったらいいのか見当も付かない。

「轢き逃げですよ」(日本語になっていない)

「痛い、気をつけてください」(全く迫力がない)

「死にそうだ、どうしてくれる」(強請、たかりじゃ有るまいし)

どれもこれもしっくり来ない。何方か良い言い方ご存知なら、ご教示お願いします。

今駅の構内を大小様々なキャリーバッグ(CB)を引き摺って歩く手合いが多い。自分はサッサと人を掻き分けて進んで、キャリーバッグの引き手は目一杯後ろに伸ばして、蛇行する。右に左に内輪差が起きて、轢かれる者が続出する、危ない。キャリーバッグが反転しても、ジロッと睨んであんたボヤッとしないでチャンと転がってきなさい、見たいな目で見ている、とても普通の人達の理解の範囲にいるとは思えない。

小さな子供が轢かれて転倒して、キョトンとして起き上がって見たときにはもうそのネエサンは遠くに。大抵は利き手に携帯電話反対の手にキャリーバッグ。殆ど凶器を両手に持って人混みの中をスピード違反しながら進行している様なものだ。

そう言う手合いに復讐する機会を待った。休みの日に立川のコンコースで大きなキャリーバッグを持って待機した。居た、居た。携帯で誰かと話しながら、キャリーバッグを持ってズンズン歩いている若い女を見つけた。腰の曲がった小柄なお婆ちゃんが犠牲の第1号で轢かれた。お婆ちゃんがよろけた。轢いた本人をジッと見ていたがその目は涙目であった。暫く行って今度は5才ぐらいの男の子を轢いた。その子はソフトクリームを食べていた。哀れソフトクリームは地べたにへばり付いた。ジッと見ていたがその目は涙目であった。

追跡していた自分がやっと追いついて、その若い女を追い越し直ぐ曲がって、でっかいスーツケースの角でその女の膝を直撃して遣った。

「痛い」膝に激痛を感じて夢から覚めた。

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2008年8月19日 (火)

場所取り

昼頃段ボールとブルーシートを持って会社を出る。サクラの木の下で同僚と持参の弁当を食いながら、夕方を待つ。サクラの木の下だから日は当たらない。冷たい風が吹くと寒い。夕方まで待つだけ。寝転んで本を読んでいると、背中に段ボールの暖かさを感じる。これで給料が、貰えるなんてサラリーマンって暢気な商売だと思った。雨がジャジャ降りだと中止。

21世紀になると、場所取りをするのは、サラリーマンばかりではなく、商店の人も工場の人も関係なくなり誰でも勝手に何処でも、何時でも取るように成った。特に多いのが爺婆含みの家族連れ、ヤンキーの混じった若者、分別盛りのオッサン連中、厚化粧しても追いつかないオバサン連中、幾らでも居る。

大抵は歩道や広場の適当なところにガムテープを貼って、場所を確保する。地面にダンボウールを置いて、その四周をガムテープで念入りに止める。芝生の上も、お手洗いの前もお構いなしに何処でも自分が好きなところに好きなだけ貼る。植え込みだって邪魔となれば地面で切られて段ボールの餌食になる。それは花火を見る場所だったり、祭りを見る場所だったり、各種イベントの場所だったり、兎も角何でもいい、人が集まる所なら、行って貼る。

中には1人で何カ所も貼って、夕方になるとそこら辺を彷徨いているグループに声を掛けて、場所を売る連中まで出没する。見回って客が帰ればそこを再確保して又売る剛の者まで現れる。斯くして花火はより一層熱が入り、祭りや花見は夜遅くまで盛り上がる。

終わった後は、誰も片付けない。空ビン、空き缶、弁当のからやら食べ残しやら、そこら中に満ち溢れる。哀れブルーシートと段ボールを貼られた芝生は蒸れて息絶える。歩道も広場も段ボールとブルーシートのパッチワーク状態。

色々啓蒙したが、事態の改善は全くない。

お巡りさんとイベント主催者、市の職員が1つのグループとなり集金して回っている。新財源アンド清掃代。何時の間に作ったんだろうという精密な場所取り地図。一等地は概ね\1000/m2。大抵のグループは1万円位徴収されている。抵抗するだけならまだしも暴行する連中も未だに散見される、直ぐに逮捕連行されている。

どっちが良いかは分からないが、時代は変わる。

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2008年7月17日 (木)

ペットの世話

何時も散歩している綠道にベンチが南向きに5台並んでいるところが有る。目の前は遊水池。春のある日、その内の1台に寝転んだ。他には誰も居なかった。帽子を顔の上に乗せて、ジッとしているとポカポカして気持ちが良い。遠くに鳥の鳴き声が聞こえる。心が安まる。そよ風が吹いている。何か気持ちよく眠ってしまった。

夫婦連れが「この子」連れて来て、ベンチの1つに座った。この子は二人に挟まれて真ん中に坐った。奥さんがその子にブラシをかけている。抜けた毛は無造作に掴んで風に飛ばしている。塊の幾つかが、ベンチで寝ている人に付いた。奥さんは時々幼児語でその子に話し掛けながら、ブラシをかけている。その子は何も言わない。

「原材料は天然木100%だから安心よねえ。パインウッドの高い抗菌力が長い間腐敗臭の発生を抑えるのよねえ。粒の大きさも丁度良いし、適度な重さで足場もしっかりするし、足にも付きにくいし、汚くなったところを散歩のついでに時々捨てれば良いのよ。土から生まれて土に帰り、環境の保護と再生に貢献して居るんだわ」

確かにさっき、遊歩道の植え込みの中にレジ袋を逆さにして何かを捨てていた。そのレジ袋も丸めてちょっと離れたところに捨てていた。

「ふやかして与えて下さい、と言うことでお皿に入れてから、熱湯を表面まで注ぎ、230分したら、スプーンで少しかき混ぜると、この子が食べてくれるのよね。最初の内はそれに粉ミルクを混ぜて、スプーンで混ぜて、抱っこしながら、少しずつ与えたのよね。食事の後は、口の周りを、濡れたタオルで丁寧に優しく拭いてあげるの」

「もう家に来てから、8年目。最近は殆ど動かないし、じゃれつくこともなくなってきたし、時々粗相をするし、目には目脂が沢山付いて、歯も半分以上ないし。毛の本数も半分ぐらいに減ってしまったわ」

「この子が居ると心が安まり、癒されるわ。従順だし。しっかり最後まで、心をもめて世話をするわ」

「歳月が経つのは早いわねえ。この子が来てから、早8年、、、、そう言えばこの子が来てから、1回もお義母さんのお見舞いに行っていないわねえ」

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2008年6月29日 (日)

家族同然のペット

119番「ハイ119番、消防本部です、どうなさいました」

主婦「119番ですか、直ぐ来て頂戴、直ぐに」(???)

119番「火事ですか、救急ですか」

主婦「救急に決まっているでしょう、家の子が急病なんです」(そりゃあんたは知っているだろうけれど)

119番「意識は有りますか」

主婦「グッタリしています」(意識が有るかどうか聞いてんのよ)

119番「呼吸は有りますか」

主婦「時々唸ります」(怪しい回答)

119番「住所を教えて下さい」

主婦「本町の本多です」(地元じゃ有名人らしい)

119番「正式な住所を教えて下さい」

主婦「市役所の裏の大邸宅の本多よ、知らないの」(自分の家を大邸宅と言うのも怪しいし、

横柄な態度だから市長の後援会長かも知れない)

119番「こちらは消防本部なので正式な市から言っていただかないと分かりません」

主婦「消防署から真っ直ぐ来て市役所の交差点を曲がれば直ぐだわよ」(困ったもんだ)

119番「何市ですか」

トンチンカンな問答が暫く続いて、やっと住所を確定した。出動できる最寄りの消防署から救急車が出発した。電話が有ってから6分後には現場に着いた。

出動した救急隊員は少し身構えた。署内で色々な噂が有る家だ。しかし救急に差別は無い。一刻も早く救急患者を搬送すべく、車から降りた。

広いお屋敷は森閑としている。門灯は点いているが門扉は閉じられている。やむなく呼び鈴を押した。ちょっとオドオドした中年の女性が出た。手伝いさんらしい。

「只今門扉を開けますから、静かに入って来てください」

無人の庭の門扉が開いた。救急車は静かに進入して車寄せで止まった。間もなく大きな玄関ドアが開いた。ストレッチャーを出して準備する傍ら、救命救急士とリーダーが患者の部屋に急いだ。大きな応接室に通された。

豚の様に太った中年のオバサンがお菓子を食べていた。一瞬呆気にとられてキョロキョロすると、少し離れたところに大きなソファーがあり、豚の子の様な太った犬が一匹居て時々唸っていた。

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2008年6月17日 (火)

問責決議

A:衆を頼んで衆議院で再可決するなんて、多数派の横暴だす。

B:立法府の参院で多数派が衆院の議決が怪しからんと言って、行政府の長たる首相に法的拘束力のない問責決議案を採決可決するなんて、国費の無駄遣い、党利党略のパフォーマンスにしか見えませんどすえ。

C:お店で展示して有るのは良くも悪くも、実際どんなものか分かるっぴ、カタログ販売だとお店にあるのよりずっと安くて良さそうに見えても、買って届いたらガッカリって事多いっぴ。

D:真面目にやれー、税金ドロボウ!

A:「もっと深刻に受け止めるべきだ。総辞職か解散を行う覚悟でなければ、恥ずかしいだす」

B:「恥ずかしいのは、何方どす」

C:主語と述語をハッキリさせておかない方が、後で逃げやすいっぴ。

D:ハッキリ分かりやすく言えー、特別職国家公務員!

A:国民の為にもっと真剣にやるだす。

B:衆院で多数派に投票した人は、国民じゃないみたいどす。

C:自分の都合の良いときだけ国民を使うなっぴ。

D:俺も国民だぞー、選良。

直近の民意って上手い事を言うが、参院だから投票した人も居るだろうし、ちゃんとしたことは衆院でって人も多い。

何か負け犬の遠吠えみたいで真面目に取り合う気もない、大体金切り声で絶叫する人に国政を運営して貰いたくない。

問責って、サボったり嘘をついたりして、される物の気がするけれど、自分の政策と違うからと言ってするものじゃ無いと思う。

野党参院多数で、念願適って首相の問責決議案を可決しちゃったけれど、伝家の宝刀だと思ったのに、錆びたなまくらで、と言うことになったら、誰が責任取るのだろうかねえ。

問責決議を受けた「史上初の不名誉な首相」って思い込みだと思う。名誉って事も無いけれど、首相の名誉不名誉は施策の実行で後世の判断だろう。

そんなこんな議論が、深夜の居酒屋で、ろれつの回らない酔っぱらい連中がしていた、或る意味国会と似ているかも知れない。聞いていた俺も同じ酔っぱらいだから最後はどうでも良くなって、勘定払って帰って寝た。

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2008年5月26日 (月)

杞憂

2008519日付けのニュース:日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)で今年の夏に看護師、介護福祉士が500人程度日本に来ることが決定した。

2008523日付けのニュース:日本側の仲介機関「国際厚生事業団」が23日、病院や介護施設を対象にした説明会を開いた。参加者は予想を大幅に上回った。

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その内マレーシア、フィリピン、タイなどからも多数来日するだろう。

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私は大変申し訳ないことをしたと心から思っております。私が死なせてしまった斉藤さんには大変申し訳ないことをしたと心から悔やんでおります。何故かはよく分かりませんが、私は長い間斉藤さんから虐めに遭っていました。何時も私に対して見下した事を言っていました。私だけのことなら兎も角、家族の事や、国の事など色々言われました。それも二人きりの時だけです。他の人が居るときは、何時も良くやってくれている、みたいなことを話しているのです。裏と表では大違いです。

だからといって、人工呼吸器の管が外れているのを発見しながら、10分も放置したことは、良くないこと、いえ、悪いことだとは充分分かっています。

3年前に私は看護師として来日しました。最初の半年は日本語研修、日本の習慣などを勉強しました。自分の国とは大きく違うと思うこともあるし、人は基本的には全く同じと思うこともありました。勉強も仕事も大変でした。でも毎日が充実していて、楽しくやっていました。友達も出来たし、良い上司にも恵まれたし、あと少しで日本の国家試験を受けるところでした。日本人の上司はきっと受かるから、毎日しっかり頑張りなさいと励ましてくれました。勉強の指導もして頂きました。尊敬しておりました。彼の期待を裏切り、迷惑を掛けることになって大変申し訳ないと思っております。

今は留置されています。私がしたので当然の報いだと思っています。でも私の問題が私個人の問題から離れて、この制度そのものの問題だとか、外国人に大変な仕事である看護や介護の仕事を押しつけるのは間違いだとか、能力が低いいい加減な人達に日本での仕事は無理だとか、とんでもない方向に議論が沸騰してゆくのを見るのはとても辛いです。

又、日本と私の国との間で私個人の問題が民族的対立や経済的摩擦に発展しつつあり、とても悲しいです。お互いに補完しあって双方とも良いところを出しながら助け合うという原点を忘れて、感情的な対立をするのは間違っていると思います。看護される人や介護される人を置き去りにして、自分の利益を計るという意図を隠匿したまま、他人を攻撃したりお為ごかしなことをしたりするのは、折角軌道に乗りかけたこの試みをぶち壊して、患者さんや介護を必要としている人を犠牲にする悪い人だと思います。

近隣諸国がお互い補完しながら助け合ってもっと有意義な人生が送れるように成れば良いと思います。

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2008年5月14日 (水)

エンジのトレーナー

高校生の時、或る夕方学校から20Km位離れた田舎の観光地をフラフラ歩いていた。何かちょっと暗い気分だった。帰ろうと思って駅方面に向かっていた。狭い道路で自分を追い越した車がちょっと先で止まった。窓を開けて顔を出した。自分より10才ぐらい上と思われた。当時は結構なオジサンに見えた。奥さんらしい人が横に乗っていた。

「何処まで帰るんだ?」

「○○まで」

「そばを通るから、乗ってゆかないか」

一瞬躊躇した。危険を感じたからではなく、話し掛けられるのも何となく面倒だし、1人で列車に乗って、外の景色を見ながら何となく憂鬱な気分で居る方が良い気がした。思い直して乗せてもらった。

「何しに来たんだ」

「ちょっとフラフラと」

後は会話らしい会話は無かった。彼はそれ以上は何も聞かなかった。主要道路から外れて、集落の道路に入る時、道案内をしただけ。その人は奥さんとは時々小さな声で話をしていた。特段の内容ではなかった。こちらには話し掛けなかった。家から少し離れたところで降ろして貰い後は歩いて帰った。

それから1ヶ月ぐらい経ってから、県庁所在地に有る球場に行った。夏の甲子園野球大会の県予選の準々決勝の応援。自動販売機で買った飲物を飲みながら歩いていていると、その人と会った。全く驚いた。曖昧な笑みでお辞儀をした。

「元気でやっているか」

「はい」

「今日勝と良いがなあ」

「はい」

「俺も応援に来た」

それ以来何十年も全く会っていない。名前も知らない。当時の顔も全く記憶から消えた。彼も自分の顔は覚えていないだろう。

彼に会った時、自分は2回とも学校のエンジのトレーナーを着ていた。左胸には校章が印刷されている。大きく学校名が入っているわけではないけれど、学校の色のエンジ。

彼はあらぬ時間に寂しい観光地を歩いている後輩にちょっと手を差し伸べた。

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2008年4月15日 (火)

夕闇の白い杖

昨日は遠距離散歩をした。夕方から曇った。予定通りだったが辺りは薄暗くなっていた。調子よく歩いた。速度は余り落ちていなかった。そこからの帰路は浅間山公園から多磨霊園を突っ切るのが、1番の近道だ。迷わず雑木林の小路に踏み込んだ。霊園の外周にある小さな杜だ。一旦寂しいバス通りに出る。

1人の若い女性がチラチラと視界に入った。白っぽい服を着ている。このまま歩けば、数十メートルで交叉しそうで躊躇した。辺りは薄暗い狭隘路だ。ゆっくり歩いて時間を稼いだが、何となくしっくりいかない。脇にある無人の児童公園のベンチが目に入り、入って座った。そこで十分やり過ごしてから、通れば良い。ベンチに坐った。花の香りがした。タバコに火を付けた。タバコが違和感を減らしてくれる。ゆっくり吸った。もうタバコの火が赤く見えているに違いない。ペットボトルの水を飲んだ。時間が止まったようにゆっくり流れる。吐いたタバコの煙が無風の大気に拡散する。

彼女はゆっくり歩いている。先ほどより近づいた。先ほどよりハッキリ見えてきた。ぎこちない足取りである。白い杖を突いていた。片側は斜面で、幅は狭い。道路側にはガードレール。向こう側に曲がることを期待したが、こちら側に曲がった。もしかしたらバス停に向かっているのかも知れない。ここのバスは2系統が止まる。本数は少ない。少し焦燥感が胸に沸く。

二本続けてタバコを吸うことは無いのだけれど、思わずタバコの箱を取り出してしまった。ちょっと思いとどまって。又水を飲んだ。

杖の女性が来た方向から又1人の女性が早足で歩いてきた。杖の女性より年配の様に見えた。その女性は見る間に近づいて来た。追い越すのかと思っていたら、杖の女性の直ぐ近くに来てからゆっくり歩いて話し掛けた。切れ切れにしか聞こえないが、内容は分かった。

杖の女性に行き先を尋ねて、バス停を教えて、腕を貸して、にこやかな顔で話ながらバス停で立ち止まった。女性は知っている風だったが、時刻表をチラッと見た。間もなく目的のバスが来た。彼女は杖の女性に話し掛けながら、手を貸してバスに乗り込んだ。二人は同じ席に並んで座った。自分の前を通るときに杖の女性の顔が見えた。安心感と感謝の気持ちが溢れていた。話し掛けた女性は親しい人と話すような、いつもの感じのように見受けられた。

バスをやり過ごして、ベンチから立ち上がった。自分は安心して多磨霊園の中に入って、帰宅を少し急いだ。

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2007年11月21日 (水)

丸くて黒い物

昔、昔、太郎が未だ小学生の低学年の頃の話。当時自分は未だ大学生だったような気がする。何故ってその事が発生したのは冬休みだった。田舎に帰って正月を過ごそうと思って帰省していた。

実家には畑と果樹園が有って帰省の度に遊びに行った。その日は何人かで遊びに行っていた。自分の父親が果樹の剪定をしていた。太郎にしてみれば外祖父、有り体に言えばお祖父ちゃん。我々は遅く採れるリンゴの残りを取って食べて後は手伝うようなそのあたりを彷徨くような事をしていた。葉っぱが落ちた果樹園は明るく、夏とは全く感じが違う。もうかなり寒くなっていて、地面は乾燥と寒気で固くなっていた。

その内太郎が指先で摘んで丸くて黒い豆のような物を持ってきて、自分に見せた。たくさん落ちているという。

「何だと思う?」

「分かんない」

「まあ、いいからそこに置け、取りはせんから。それはね、それは、それは、ウサギの糞」

可愛い甥っ子だもの、ちょっと食って見ろとは言わない。

「ワー、騙された、キッタネー」(陰の声;誰に騙されたんだ?)

つい先日家人がバジルの種を捨てた、折角拾い集めていたのに、中に幾つか青虫の糞が混じっていたことが判明したからだ。自分は気にすることは無いと思うが。

外見は似ているが出自が違う物が世の中には多い。

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2007年11月17日 (土)

携帯VSペースメーカー

実際に事故が起きているかは不明だが、電車の優先席付近で携帯電話を使っている人が居る。そこでは電源を切るように車内放送しているが、あまり効果は無いようだ。多分これからも放送は続くだろうし、携帯電話を使う人は居るだろう。

きっとペースメーカーを付けて居る人は、近くで携帯電話を使っている人が居ると、胸騒ぎがしているだろう。使って居る人が数人になれば、多分相当嫌な感じに成っていると思う。でもその時に特段の異常が無ければ苦情も言いにくいし、ペースメーカーを使っていることを話すことも躊躇されるし。

1ヶ月ほど前に航空機内で携帯電話の電源を切らない人が居て、その電波が原因と思われる障害で航空機の通信が各系統不通になったことが有った。

ペースメーカーもそれなりの防御をしていると思われるが、その日、何か特別要因が加わって、携帯電話の電波の為に付けている人が重大な影響を受ける事も有るかも知れない。

光子は最近忙しくて疲れ気味で有った。いつもの当駅始発の優先席に乗り会社に向かった。もうすぐ停年である。その日は電車がいつもより混んでいた。三つ目の駅から麻美がそこへ乗ってきた。彼女は短大の1年生である。遅れたので友達にイーメイルを送った。彼女は次の乗換駅で降りた。反対側に坐っていた光子は急に苦しくなりその乗換駅に着いたときはもうグッタリしてしまった。誰も異常には気付かなかった。

電車はそこで又たくさんの人を乗せて出発した。

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2007年11月 4日 (日)

ヤヨワゲメヨ

誰でも勘違いや無知から間違って記憶している事が有ると思う。自分はきっと平均を大幅に上回っている気がする。

昔はこの場合、江戸時代とか、には藩校とか寺子屋で論語何ぞを習っていたらしい。今とはちょっと読み方は違うだろうけれど、当時の話し言葉に引きずられた読み下しをしていたのだろう。解説も有っただろうけれど、それも大部分は為政者、若しくは権力の有るものに都合の良いものが多かったに違いない、まあ現代と大して変わらない。

意味も分からず丸暗記して大人になってからその意味を知るように成る人も多かったらろうし、ハッキリ知ることもなく、頭の中に仕舞われたまま二度と外に出てくることもない人も多かっただろう。たまには翻然と理解すると言うことも有ったかも知れない。

昔の人も賢さ加減、馬鹿さ加減は今の我々と大した違いは無いだろうから、間違って覚えて正す機会に恵まれずに、そのまま間違って覚えたり、意味も分からず覚えていたりする事だって、結構有っただろうと思う。

江戸時代の大部分の人達は世界地図は不要だったし、日本の歴史だって多分殆ど知らなかっただろう。今の様に旅行が盛んな訳ではないから地方のことは、関心も無かったし知らなかったと思う。そう言う意味じゃ暢気で良い時代だったかも知れない。

我々は何が必要で何が不要かもよく考えないで、成り行きと時代の変遷の間に揺れ動いて生活している。自分が小学生の頃とは今は相当違っている気がする。自分は小学校の時は相当ボンヤリしていたが、(陰の声:今でもボンヤリしているぜ、と言われそうだが)卒業式の時だけ歌う“仰げば尊し”は部分的に相当誤解して覚えていた。当時はなんにも考えないで、不思議とも思わなかったけれど。

仰げば尊し、我が師の恩 → 扇げば尊し、和菓子の恩。

身をたて名をあげ、やよはげめよ → 箕を立て菜を上げ、ヤヨワゲメヨ

他の所は兎も角、ヤヨワゲメヨって全く何のこった。主語ヤヨワ、動詞ゲメヨ。全く訳分からんけれど、特段の不都合もなく、楽しい小学校生活だった。

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2007年11月 2日 (金)

階違い

誰でも勘違いと言うことは、有ると思う。自分は多いのか普通なのか少ないのか不分明であるけれども、普通の範囲内だと期待している。

電車の乗り換えで逆の方向へ乗り込んでしまう事は滅多にないけれど、1駅ぐらい乗り越すことは多いし、住んでいる集合住宅で、自分の階を通り越して、1階上に行ってしまう事もある。

今まで1回しかないけれど、自分が住む階を通り越して行き、廊下を歩いているときにも気付かず、自分の部屋の位置でカギを差し込みドアを開けようとした事が有る。幸い全く違うタイプの鍵で差し込めなかったから、変だなあと思って表札を見たら、見慣れない表札で一瞬トリップした。

自分には本のちょっとした時間であったにも拘わらず、自分が住んでいた時空では長い年月が経って自分の家族は自分を諦めて、何処かへ引っ越ししてしまった???自分はその間何していたんだろう??それとも自分はそっくりの異次元に入り込んだのでは無いか?普通そんな事は滅多に起きない。モザイク行動の様にちょっと振り返ると何かいつもと景色が違う、木の高さが違うようだし、ものが見える角度が違うようだ。1階余計に上がってしまった。すごすごと帰りながら、万が一何かの偶然でドアが開いて中の人に見咎められたら、それはそれで面倒な事に成っただろう。ああ良かった。又あらあなたお帰りなさい、とか言われて記憶と違う所に入っていったら、これはこれで結構な酩酊状態に成りそう、後で醒めたらID失うなあ。

やっと自分の階に戻って、ドアの鍵を開けようとしたら、又別の表札。この時は本当に血の気が引いた。オイオイ、時空が錯綜したか。安直なテレビドラマじゃないんだから。ちょっと振り返ると何かいつもと景色が違う、木の高さが違うようだし、ものが見える角度が違う様だ。1階余計に下がってしまった。ちょっと上気しながら今来た階段を引き返した。今度は途中で方向を間違った。下ばかり向いていて、踊り場で反対に曲がって壁に直撃。ずっこけて尻もちをついてそのまま転んで後頭部まで打ってしまった。

ココで悪夢からは醒めたが、気を失って階段をズルズル滑り落ちた。

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2007年10月31日 (水)

雨のホームレス

10日ほど前の雨の土曜日、茂明は床屋に行った。いつも通り9時の開店を目指して家を出た。少し歩くと本通りに出る。そこから街の商店街が始まる。近隣では比較的名の通った道路が二つ交差している。そこから駅方面はアーケードが始まる。

そのアーケードの端に、初めて見るホームレスが居た。特に詳しいわけではないが、街は小さくいつも見る人は数人しか居ないので直ぐ分かった。茂明と同じぐらいの年頃であった。体は立派で背丈は茂明より高かった。白いレジ袋を4つ持っていた。

アーケードの端であちらこちらを見ながら、何となく少し落ち着きがない。何か約束でも有るような感じ。待ち合わせをして、時間が少し過ぎた、雨だし、どうしたかなあ、と思って、時間を潰す場所も無いし、近くにお茶を飲める所も無いし、しょうがない、多分来るであろう方向を時々見るような、そんな感じ。

アーケードに入って傘を畳んで駅方面へ。いつもの床屋へ。30年ぐらい通っている。お店に入って、少し待ってから茂明の番になった。いつも通りに調髪して貰って店を出た。雨が少し強くなっていた。同じビルの中にある100円ショップを覗いてから、朝来た道を戻った。

先ほど居たホームレスが未だ先ほどの様な感じで居た。

家に帰って奥さんに話した。

「可哀相だね、どうしたんだろうね、傘上げようか」

「何か食べるものは無いの」

「ご飯類はないんだよねえ」

「何かある」

100円ショップの花林糖ならある、飲物と一緒に」

奥さんが直ぐ出掛けた。10分ほどで帰ると思ったが、20分ほど帰らなかった。もう居なかったと言う。暫く交差点の当たりを探したけれど居なかったという。

茂明がそこを通り過ぎてから直ぐ、商店会の見回りの人が交差点の近くの店の人から通報を受けて、追い出した後だった。言葉は丁寧だが、その人に店の前でウロウロしないように注意した。

雨の日のホームレスは、生きる勇気をちょっぴり貰えるチャンスを失い、茂明たちは、喜捨するチャンスを失った。ホームレスは雨の中を歩き去った。

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2007年10月27日 (土)

銀行口座解約

可奈子は和彦の気まぐれな送金は当てにはして居なかったけれど、何かの拍子に思い出して暫く物思いに耽る事が有る。別れてから4年が経った。つい最近のような気もするし、もうずっと昔の様な気もする。自分の事ではない気がするときもある。

あの時より子供も大きくなって毎日夜有った事の報告を子供達から聞くのに忙しい。毎日同じ様でもあり毎日新鮮でもあり、日々が風の様に飛んで行く。

可奈子の意志としては別に記帳しなくても良いのだと思っているが、新宿に行くとどうしても引っ掛かり心の中は葛藤している。公園に行くのだからと言い訳をして口座の有る銀行の方へ歩く。その銀行の玄関まで来ると、ここまで来たのだから、本のついでにと銀行に入りATMコーナーで記帳した。詰まり家を出るとき通帳を鞄に入れて出たのだ。その時だってどうせ記帳しないのだけれど、もし成り行きで傍まで行ったら、ついでなのだから記帳した方が良い、本当は別にしなくても良いのだけれど、と。

試すように今まで何回か電話してそれとなく無心した。大抵はそれから1ヶ月ほどしてから、頼んだ金額より少し多めに送金してくれた。最初はちょっと苦しいときだったが、使わなかった。今まで一度も使っていない。

気まぐれだけれど7月か12月に送ってくれることが多かった。今まで10回ぐらい送金してくれた。お互いの未練なのか。

記帳して振り込みが有ると一瞬ほっとする。暫くすると自分にちょっと苛立った。繋がりを求める自分に呆れた。

出会ったときから何となくボンヤリした予感が有った。はね除ければ予感は、はね除けられたのか知れないが、結局は予感通りの事をしてしまった。

淡い期待で記帳して振り込みがないと暫くの間はちょっと溜め息をつくだけであったけれど、最近は愛情が盛り返したのか落胆が大きくなった。

可奈子は最後の記帳をしてから3ヶ月後の6月に新宿に出た。朝鞄に通帳を入れた、公園の方に歩いていった。銀行の前を通った。中に入って口座を解約した。

7月に和彦が送金したお金は宛先無しで戻った。

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2007年10月14日 (日)

駅蕎麦の気持ち

旅に出る。1泊だったり2泊だったり、日帰りだったり。駅構内で立ち食い蕎麦、朝食も昼食も取ることが有る。早い、安い。量も味も十分満足している。少し足りないと思うときは、プラスおにぎり、いなりを食べる。コロッケも良い。もう少し食べたいと思うときは蕎麦カレーセットか蕎麦カツ丼セットを頼む。1回だけ魔が差して月見ソバとお握りを食べてから山菜うどんといなりを頼んだ事がある。食券は店の外だから、最初を食べてから食券を買って舞い戻った。店のオバサンが変な顔をしていた。一瞬似た人?忘れ物で戻ってきた?それとも何か?お腹空いていたし美味しいから、と言ったら、ニッコリして有難うございます、と口では言っていた。でもきっと誰かに話さずにはいられなくて、帰宅してから主人に、話して聞かしたんだろう。

今日は風采の上がらない小柄で痩せた顔色の悪い年齢不明のオジサンが、二時過ぎに入ってきて、間抜けな顔でボヤーとしていて、セットを二回連続で食べた~~。そのオバサンはこれをきっかけに当日のお客さんの話が色々弾んで、最初はウンウン聞いていた主人もその内生返事になって、ビールを片手のナイターに熱中、いつも通り。

ゆっくり食べようと思っても、気が急いて食べている内に早くなって、良く胸焼けを起こす。食べた後、予防に水をがぶ飲みする。たまに熱い塩辛いのダブルパンチで、発車時間が迫り、冷たい水を氷ごと山菜蕎麦にぶち込んで食べる。見つからないようにそっと遣るけれど、離れていて見ちゃった人は、ギョッとしてやっぱり誰かに、多分友達に話して聞かすんだろう。

曰く、今日は年齢不明の服装をしたオチビで目の細い、鞄に背負われているがに股のオッサンが、カウンターに伸び上がり気味で蕎麦を食べていて、氷水をぶっかけてからニッと笑ってガツガツ食って、出際にコップ2杯の水を飲んで、敷居に蹴躓いて転びそうになって来た電車に走り込んだんだぜ。

朝と昼は喜んで食べるけれど、夜は食べなかった。

昔普段の生活で夜家に向かうときに駅蕎麦を食べている人を見ると、何となく悲しかった。ホッカ弁を買っていって家で食べればよいのに。落ち着いた所でゆっくり食べれば良いのに。その日の業を終わったのなら、安息が必要だ。

今は平気である。特に旅行中そのまま野宿モードかサウナ宿泊モードに入って行くときは、流れが中断しない方が良い。食べた後町を彷徨いて適当な所に潜り込んで、旅の空で様々な事を思って寝る。駅蕎麦に狭苦しい気持ちを押しつけることは無い。何でも食べてしまえば、体は満足するものだ。

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2007年10月12日 (金)

焚き火

高校生の頃、畑に行ってよく焚き火をした。秋遅くなると果樹の剪定枝が散らかっており、それを掃除しては大きな穴に入れて燃やした。

大きめの枝は手で拾って集めて、果樹の近辺に集めておく。小さな枝は特に気にしないけれど、竹の熊手で集めて箕に拾って、穴まで持って行きその場で燃やした。ゆっくり煙が立ち上った。遠くにも同じ様な煙がたなびいて、同じ様なことをしているのが知られた。少し風があると煙が体に巻き付いてきて煙たかった。

2時間もすると可成りの運動量になって寒いと言うことは無かったが、火に当たると気持ちよかった。箕で拾った落ち葉混じりの小枝を焚き火に投じると暫く煙っていて、その内小さな炎が出てサーと燃え上がるのを見るのは、何回見ても見飽きなかった。火が燃え上がると、暖かい。つい手をかざしてしまう。集めては燃やし、燃やしては集めたものを火にくべる。かなりの勢いで火が燃えた。煙も良く上がった。

帰り際になるともう焚き火に小枝はくべなかった。穴の縁に有る丸太に坐って火を眺めた。未だ火は燃えている。周りにある燃えさしを棒で炎の中に入れる。少し燻ってから燃え上がる。心が落ち着く。それを繰り返している内に段々燃えるものが無くなって行く。時々小さな炎が上がりその回数が減って行く。棒で集めてももう燃えるものは無い。小さな熾きが有るばかり。もう煙もない。もう危ないことは無い。

悩みも有ったけれど、その時は落ち着いた心で家路に就いた。自転車の事も有ったし徒歩のことも有った。徒歩は時間が掛かったけれど、その分余計心が澄んだ、静かで良かった。薄暗い小さな林を抜けてゆくときは、遠くの物音が聞こえなくて、自分の足音や息づかいだけが聞こえた。少しの間だけだけれど、ふっきれた気分に成った。

数千年前にあそこら辺でくらしていた先祖も、竪穴式住居の中で、火を焚いていたのだろう。子供達は母に抱かれて藁しべの中で眠っている。男は静かに薪を火にくべながら、炎を見ている。家の中は暖かい。男は燃えさしを火の中に押し遣る。少し燻って小さな炎が立ち上がり、パッと燃える。顔が火照る。暫く火を見つめている。心が落ち着く。夜が更ける。熾きが溜まる。周りに灰を掛ける。真ん中だけが赤く見える。朝まで消えないで熾っているだろう。子供達の寝顔を見た後、男は落ち着いた静かな心で藁しべの中に入って眠る。

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2007年10月 3日 (水)

ナメクジ

ナメクジは苦手だ。嫌いな虫() の代表だ。あいつの場合何処を見ているのか分からないので益々不信だ。

我が友人にナメクジを飼っているのが居る。とても正気の沙汰とは思えない。いつも水槽をジメッとした環境に保のはそれなりの工夫が要ると言っている。(勝手にしろ)新鮮な枯れた木がいると言っている。(わけわからん)餌は花弁や新芽の柔らかいものと言っている(自分の想像とは違っていた)夜行性で夜薄暗いところで観察するそうだ。(ゾッとする)あのヌメヌメッとしたところが何とも可愛いと言っている(気が知れない)夜一緒にビールを飲むらしい。(相方としては最低としか思えない)白っぽい半透明の卵を産んで塊を作って綺麗らしい。(とてもついて行けない)貝無しのカタツムリらしい。(甲斐無し!)ナメクジにオスメスは無いらしい。(さもありなん)2匹いるとそれぞれオスメスの役目をして双方卵を産むらしい。(怪しからん)

彼の言に因れば、ナメクジはテレポーテーションが出来るらしい。夜薄暗い水槽の中の一匹をビールを飲みながらジッと見ていると、そこからスッと消えて、10センチ位先にスッと現れるのだと。毎日は観察できないが、1週間に一回ぐらいの割合で観察できるとの事だ。当方は全く信じられない。彼は真顔で力説していた。どう言う顔で彼を見たらよいか少し悩んでしまった。

ナメクジ如きで友達づきあいを止めるのは大人げないが、少し引いてしまった。

自分は今何も飼っていないが、昔ちょっとの間サンショウウオを飼っていたことが有る。小さい奴らは共食いをした。大きい連中は小魚をパクッと食べた。そう言えばその頃、彼女に振られた。

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2007年9月27日 (木)

日本の夏

もうすぐ夏が終わりそうだ。寂しい。秋とか冬は嫌いだなあ。何が嫌いって、日が短くなるのが嫌い。それ以外は平気。寒い地方で生まれたから、と言うのは関係ないけれど、寒いのは平気、勿論暑いのも平気。

寒い冬を(精々東京の話だけれど)乗り切るのは簡単です。11月に入って、冷たい雨が降る時がある、その時に厚着をしないこと。それが、終わってその内木枯らしが吹く週末が有るだろう。その時に厚着をしないで、シャツにトレーナー程度。薄日の差す公園のベンチに坐って、午後から2時間ほど読書をする。結構体が冷えます。それを2、3回すればその冬は、寒さ知らずで過ごせます。兎も角急に寒くなったときに厚着をしないこと。

知り合いにシベリヤ抑留された人が居る。彼曰く、1年目の冬は故国に帰れないと思った。勿論寒くて死ぬと思った。2年目の冬はもしかしたら生き残って帰れるかも知れないと思った。3年目の冬は寒さで死ぬ気はしなかった。彼はその次の春に故国に帰った。

その逆に暑い夏を平気で乗り切るのも又簡単です。梅雨が終わって暑くなった最初の週末に、炎天下で下着が汗でビッショリになるまで軽い運動をする事、草むしりが良いが、関係の無いところの草をむしると、色々問題が有るので、有ったら自宅の草をむしりましょう。ココまでは誰でするがこれからが肝心だ。その汗が体温で乾くまで、風通しの良い日陰のベンチで休む、それを2、3回繰り返す。それを2週末続けて遣ればその夏はもう平気です。

知り合いに大東亜戦争で赤道を越えて戦った人が居る。病気にもなった、栄養不足にもなった、でも2年、3年いる内に暑さは平気になった。解放されて、祖国の土を踏んだのは嬉しいが、冬の寒さが身に応えて死ぬかと思ったと言っていた。

どうぞ遣ってみてください。夏冬共に効果が無くても、病気になっても責任は持ちませんけれど。

あ話が逸れた。日本の夏はなんと言っても蝉の声だ。日本中何処へ行っても、例え新宿でも銀座でも三鷹でも立川でも夏の暑い空気には蝉の声が満ちている。みんな慣れて、全く聞こえない風だが、日本の夏は暑い空気に蝉の声が満ちている。蝉の声が無かったら夏が来た気がしない。

今度何処でも新しい町に行ったら蝉の声が有るか意識してみると良い。蝉の声だらけだ。もう今年は間に合わないかも知れないけれど。蝉の声。何処か新しいところに行ったら先ず蝉の声。

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2007年9月25日 (火)

小事件連続

今日は朝から小事件が連続した。

朝の電車の中で、後ろの人が携帯電話でブツブツずっと話をしていた。ラジオを聞いているので、話の内容は分からないが、何となく違和感の有る話の様な気がしていた。降りるとき人に押されてその人が見えたが、携帯電話ではなく独り言だった。俺も時々、何かを思い出して、アッとか言うけれど。

帰りにバスに乗り込んだら、買い物鞄の様な大きさの鞄を4つ持ってポシェットを袈裟懸けにしているお婆さんがいた。何となく身なりが良くない。降りかけに手伝いましょうかと声を掛けた。少しだけ間を置いた。返答は無かったが、顔で明確に断られた。気になってバスを降りてから、暫くして振り向いたら自分と同じ方向に歩いて来ていたはずなのに、もう背を向けて反対側に歩いていた。母親を思い出した。

駅の改札を抜けてホームに向かっている時、その通路の真ん中辺りに突っ立っている高校生らしい3人組の男子。その脇を通り過ぎてホームに降りた。ベンチに座ってコンビニで買ってきたらしい弁当を食べている初老の人。その人の傍を通り過ぎるときジロッと見られたのが分かった。ホームを進んでいつもの場所に向かっていると、傘ゴルフの若い男性とその連れ、ナイスショット、今時傘ゴルフか。迂回して進んでゆくと、シャドーボウリングの40才ぐらいの女性、アッ、6710のスプリットかあ。いつもの場所から喫煙所が見える。若い数人の男女が朦々と煙を上げている、外は雨で空気が湿っていた。

電車に乗り込んだ。次の駅でも乗る人が多く混んだ。気付いたら携帯電話を使用中の人に囲まれた。石垣の六方積みのように固められた。回りの六人が全員携帯電話を見ながら何か真剣風に操作をしていた。丸腰の俺は落ち着かない。少しの間だけれど本を出して読もうとしたが、気が散って読めなかった。目の前で棚に鞄を載せている中年の男性、鞄の紐が何回も垂れて、坐っている初老の女性の目の前に落ちる、その度に上げるがまたすぐ落ちて垂れる。2人とも無言。

最寄りの駅に着いて、歩いてくると歩道から少し下がった商店の入り口近くに有る一段高くなっているところに身なりが良くない老女が座ってペットボトルのお茶を飲んでいた。その隣に若い男性が、やはり何か飲んでいた。

俺はそこで急に思い出したことが有り、歩道の屋根を支える柱に寄りかかってメモを取った。そして朝持って出た水筒を鞄から出して未だ冷たさの残るお茶を飲んだ。

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2007年9月21日 (金)

中古車

10年ほど前に中古車を買った。或る金曜日に指定の駐車場に納車された。土曜日に朝早く、駐車場に行ってみると、自分が買った軽自動車がそこに止まっていた。ずっと前から止まっていたように止まっていた。思わず笑みがこぼれた。自分の車が自分を待ってそこにいつも止まっている。ワクワクする感覚。

中学生の頃、自分の自転車を買って貰った時の感覚に似ている。自分だけの自転車。学校から帰るとその自転車に乗って村の中を探検して回った。木枯らしが吹いて、雪が降り始めると数ヶ月のお休み。ぼろ切れで丁寧に拭いて油を差すところにタップリ油を差して、小屋の片隅に大きな布きれを掛けて仕舞った。

早速家族で買い物に。免許を取ってからは相当年月経っているので、運転することに対しては大して感慨は無いけれど、自分だけがそのキーを持っていることは、何か嬉しい感じ。正確には家内もスペアキーを持っているが、免許が無いので、運転することは無い。買い物に行って、適当に戻ってきて車の中で待っているときに使う。冬は寒いだけだから、日当たりに止まっていれば車の中で待っていることも平気だけれど。夏は暑くて中に居られたものではないから、そう言うことは無い。

2年前にその中古車も騒音が激しく、クーラーも効かなくなって、その他もろもろガタが来て、新しい中古車にした。最後にディーラーに置いてきたときは、傷ついた友人を見舞って病院を出たときの感じ。物だけれど、ちょっと後ろ髪が引かれる気がした。走れるかどうかという点では未だ走れたわけだから。

今は新しい中古車に絶好調でお世話になっている。最初に自分が契約した駐車場に配車されて見たときの気持ちでいつも車に乗るようにしている。

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2007年9月19日 (水)

クールビズ(2)

国会でクールビズの提唱も良いけれど、国会内では実効は無さそうである。坊主にくけりゃで提唱者の政策に反対している連中は関心無く、従来通りの服装である。

冷房の温度を28℃に設定何ぞしないで24℃で良いから、今年の様な8月に丸々宿舎から最寄り駅まで歩いて、公共交通機関を利用して23回乗り換えて国会まで歩いて通えばきっと何か少しは悟るところが有ると思うぜ。

どうしても勤め人は上司よりラフな服装はしにくいものだ。高級乗用車や高級事務室にいる確率の高い人達や上級官庁、上司など率先して気候に合った服装を継続してくれれば、自然に服装はそうなって行くと思う。今夏のように強烈な暑さもその内季節が移って涼しくなれば、議論も中途半端で服装も中途半端で、又来年になれば1から議論の遣り直しって事になりかねない。

石油が下がって省エネの必要性が相対的に下がったら、省エネルックは直ぐに忘れ去られたように。モデルが悪かっただのデザインが悪かっただの批判した人々がいたように記憶しているけれど、基本である季節にあった、仕事に適した服装という論議が曖昧だったように思う。

真冬の霙の中、若い女性が素足にミュールを履いているのを見ると、眉を顰めるオジサンが、真夏に背広を着て汗を拭きながら駅に向かっていたことを忘れているようなものだ。

夏はアロハシャツ、冬はパーカーなどが良い。休みはシャルワーカミーズも愛用している。バロンでもトレーニングウェアでも良いと自分自身は思っている。特段の儀式の時だけは少し窮屈でも我慢する。真夏でも棺桶の中にいるときは、アロハシャツでなく経帷子で我慢する。

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2007年9月17日 (月)

無責任

たまに遅い時間に電車で帰る時が有る。運が悪いと隣に坐った人が酔っぱらい。自分も酔っぱらいだったりする時も有るけれど。もう少し運が悪いと、そいつが居眠りしてこちらに寄りかかってくる。遠慮しないで押し返す。広く空いていれば、親切にゆっくり手足を伸ばして寝せてやる。

もっと運が悪いと、酔っぱらいが、独り言を始める。愚痴だったりすると、一瞬同情するが、これが油断ならない。キッとこちらを見て、説教を始める大胆な奴がいたりする。大体言う事は同じだ。「酒を飲んでも飲まれてはいけません。酒は体に悪いからほどほどに。飲んでも良いが他人に迷惑を掛けてはいけません。社会道徳を守りましょう」もっともだけれど、グズグズの酔っぱらいからは聞きたくない。

しょうがないのでその人をあやして寝かしつける。丁度この電車は大月行きだ。ゆっくり良い夢を見て下さい。大月まで行っちゃう人の8割はこれじゃないかと思う。中央線じゃなく東海道線の方だったら、丁度この電車は沼津行きだ、となるのかなあ。快速ムーンライトながら、大垣行きならもっと面白い。指定席券が必要だが、チャンスが有ったら遣ってみたい。

安倍首相が辞任の意向を伝えると、多方面から特に反対派から「無責任、辞めるのだったら参院選直後に辞めるべきだった」と声を上げた人が多かった。参院選直後から辞めろ、辞めろと言っておきながら、いざ辞めたら無責任というのはどっちが無責任かしら。失敗は政策ではなく、偶々駄目な大臣が連続しちゃっただけのようにも思えるし、辞めちゃうと責めどころが無くなって、言葉を失い、辞めたのは無責任で怪しからん、と言う。参院選の結果は民意だとうけれど、先の衆院選だって民意だろうし、間接的とは言え、それで首相を選任したのだから。彼らの言っていることは、中央線の酔っぱらいの話?

インド洋のガソリンスタンドは利益が上がらないから、廃業しろと行っておきながら、外交的に発言した事が、主が変わっては、発言の信頼性が疑われるから、無責任で怪しからん、とも言っている。何が言いたいのか、やはり酔っぱらいの言か。あっちは相当混乱している様だ。だからいつまで経っても駄目なんじゃないかと思う、あちらこちら矛盾だらけの話ではなく、熟慮して全体として整合性の有る話をお願いします。

「べき」というのは、取り返しの付かない過去の事について責めているわけで、誠に見苦しい。何か悪事をはたらいたのなら償わなければならないけれど、反対派に取っては良いことをしたのに、ガンガン責める。どうなっているのかねえ。自分にお鉢が回ってきそうになってビビッているとしか思えない。

更迭された大臣達と同じ金銭の問題が全くないのなら、率先して領収書を添付して、政治資金の使い道を公開して欲しいものだ。

与野党どっちでも、政敵でも同じ日本国民を代表しているのなら、仲間として、好敵手として、激励する人はいないのかねえ、罵詈雑言をしたり顔で言う奴は多いねえ、相手は自分の国の首相だろう。

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2007年9月10日 (月)

奥多摩でBBQ

先月、仲間とBBQをした。奥多摩の河原に集合。朝から結構の人出で有った。仲間の1人が青梅なので良い場所を確保した。当日は予想以上に暑かった。今夏は特に暑い。ブルーシートをL字型にして上と南側だけのテントで日陰を作った。にもかかわらず強烈な暑さで準備している間にみんな汗だくに成った。ビールを飲みながらその何倍も汗が出て、10時頃には体がベトベトになった。むき出しの脛と腕は蚊に食われたり、虻に刺されたりブユに食われたりで血だらけ。短パンTシャツのママ流れに入って、体を洗い冷やした。上がってタオルを腰に巻いて、着ていたものは木々の間に渡したロープに干した。翩翻とひるがえった。肉が焼ける頃には乾いて着ることが出来た。

ニワトリと言うことにした肉は網の上で焼いた。ヒツジと言うことにした肉は脚やリブなど適当な大きさにして大串に刺して直火で焼いた。前夜からタレに漬けたり、塩を塗したり、タンドリーソースに漬け込んでおいた。辺りには食欲をそそる匂いが立ち上った。一部は朦々と煙った。串に刺してウナギの丸焼きと言うことにした奴も中々の焼け具合になった。

焼けたところで長老が「みなさん食べましょう」と宣言。焼酎のウーロン割り、ジュース割りも追加された。たらふく食べ飲んだ。昼過ぎには殆ど出来上がってしまい半分は日陰で昼寝、半分はイモリと水草を取りに行って大収穫。

元気な連中が、ひも付きのビニール袋に入れて、道行く人々に売った。三十数袋完売。飲物代が出た。肉類は自家調達なので少ない費用で十分楽しめた。ここ数年の我々の真夏の楽しみ。

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2007年9月 6日 (木)

自転車1人2台

自転車で良く出掛ける。遊歩道も通ることが出来る。自分は自転車派だ。と言っても乗っている自転車はママチャリの内装三段変速。色は銀色、黒い前籠。

パチンコに行って、駐輪場に止める。何時間止めていても平気である。スーパーに行って商店街のカギの掛かる2時間無料の駐輪場に止める。出るときに自分のブースの番号を機械に入力するとガチャンと外れる、いつも安心する一瞬。2時間越えると有料になる。近くの八百屋に行って店先に止める。5分ぐらいのもの。スーパー銭湯に行って駐輪場に止める、大抵入り口の傍にあって便利だ。2時間ぐらい止めているなあ。この間家の近くの郵便局の前を通ってゆっくりポストに近づいて懸賞葉書を投函しようとしたら、郵便局に入ろうとしたオバサンにこんな所に自転車を止めてはいけません、と注意された。

家から駅までの間に自転車がたくさん止めてある。歩道が狭くなって通りにくい。年寄りは自転車に突っかかって転んでいる。余所見して歩いていた子供がハンドルに頭をぶつけて泣いていた。車椅子のお姉さんが自転車に絡まって中々脱出出来なかった。女子高校生らしい人が自転車を取ろうとして他の自転車がドミノ倒しになった。長く止めてある自転車の前籠はゴミだらけ。

半年ほど前に家の直ぐ近くにファミレスが出来た。繁盛しているようだ。いつも店の入り口に自転車がビッシリ止めてある。450台止めてある。絡んで身動きできないようになっていることもある。駅に比較的近いので駐車場は狭い。数日前に友人と待ち合わせた。友人は何とか駐車場に車を入れることが出来た。自分は勿論歩いていった。昼食を取った。暫く雑談と言うことでドリンクバーも頼んだ。暑い日だったのでよく飲んだ。店の中は昼食時にも拘わらず余り混んでいなかった。お客は自転車の台数の半分もいない。1人で2台乗ってきたか。

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2007年8月25日 (土)

ダイエットコーラ

先々週の土曜日に回転寿司に行った。暑い中をタラタラ歩いて行った。強い日射し、車の熱い排ガス、強い照り返し。熱風の中を歩いて店にたどり着いた。グッタリしてしまった。店に入ると冷房が効いていた。間もなく元気になった。15皿食べた。海鮮みそ汁も食べた。チョコパフェも食べた。美味しかった。丁度見えるところに体の大きな人が居た。たくさん食べていた。惚れ惚れして見てしまった。印象深い顔なので覚えた。

その夜、贔屓のラーメン屋に行った。何とその人が居た。そこのラーメンは量が多い。自分は堪能満腹。彼はフルパワーのトッピングで大盛を食べていた。餃子と半ライスも食べていた。あんなに食べられたらそれは幸せに違いない。食べることは幸せに直結している。食べ物の趣味は合っているかも知れない。自分よりはかなり肥満で大きい。

先週の土曜日にチャリで近所では有名な食堂に行った。各種飲物がペットボトルで置いてある。余ったら持ち帰ることが出来る。食べ物は美味しい。肉料理の各種セットがある。一膳の品数が多く量も多い。

ググッ、あの人が居た。1番巨大なセットを食べていた。15リッターのダイエットコーラを飲んでいた。

それを見て何かモヤモヤっとした。何だ。何だ。肥満の人がたっぷり食べて、たっぷり飲んで、運動もせず、コーラだけダイエットコーラ。

考えている内に彼は食事を終えて、外に止めていた車で帰った。車も大きかった。このモヤモヤは何だ。そうだ。温室効果ガス排出量の削減だ。有りっ丈エネルギーを消費して温室効果ガス削減の為に冷房温度を1℃だけ高めに設定。

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2007年8月19日 (日)

歩行禁煙地帯

我が街は、近隣に先駆けて駅周辺を歩行禁煙地帯にした。数年前のことである。暫くの間は市役所から多数の人が出て啓蒙に当たった。揃いのビニールジャンパーを着て通勤の時間帯に人々に呼びかけた。

晴れがましいやら、情けないやら、複雑な心境の人が多いと思う。サイレントマジョリティは考えている。人混みでタバコを吸わないのは当たり前だ。だが駅でタバコが吸えないとなると、駅まで歩きながら吸ってゆく人が多いのも事実であるし、下車して直ぐ吸い始める人も多い。だからといって礼儀の問題を条例で縛るのはどうかと思う。にもかかわらず罰則が無いとなると実効は限定的な物だろう。しかし今の時世では仕方が無いか。

一時的に効果は出たが、暫くすると元の木阿弥。雨上がりの水たまりは吸い殻だらけ、排水口のグレーチングの回りは吸い殻だらけ、足でもみ消さないで火が点いたままのタバコをそのまま歩道に何食わぬ顔で捨てる人も多い。何を誤解したか携帯灰皿を持ってそれに灰を落としつつ胸を張ってタバコを吸いながら歩いている人も居る。水たまりの前の商店は困り果てて、丸い一斗缶を出した。すると今度はそれを目がけて吸ってくる人が出た。

定期的に市役所から朝の通勤時間帯にジャンパー、幟旗の人達が出て啓蒙する。すこしの間効果が有る、その間隔は段々短くなって行く、麻薬に慣れて効果か段々短時間になってゆくような物だ、最近は匙を投げたか、ジャンパー、幟旗の連中が出没しなくなった。

そうこうしている内に、暫くぶりで、ジャンパー、幟旗の連中が街に出没した。一緒にどこからともなくタバコ犬が現れた。道端に捨てられた火の点いたタバコを見つけると、ワンワン吠えて前足でバンバン叩いて消す。吸いながら歩いて居る人を見つけると、近くに駆け寄ってワンワン吠える。恐れをなして道端に捨てると、やはり前足でバンバン叩いて消す。動じないで吸いながら歩いて居る人を見つけると、走って追いかけて、そいつのケツを咬む奴、オシッコを引っかける奴、靴の上にウ○コをする奴。やんやの喝采、そんなことは無いよなあ。

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2007年8月13日 (月)

クールビズ(1)

ビーチサンダルでステテコ履いて腹巻きしてダボシャツ着てカンカン帽被って、釣りをしていたオジサンを最近は船上で見かける事は無くなった。絵になっていたのに残念である。陰ながら憧れていたのに。

自分は電車で釣りに行くので、この季節電車の中は短パンTシャツだけれども、船上では薄い長袖長ズボントレーナー上下を着て釣り用の帽子を被って直射日光を避けている。時によってはタオルで顔を蔽うことも有る。見かけによらず弱いもので。

30年近く前の第何次かのオイルショックの時だったか、省エネルックなるものの提唱があったがあれは流行らなかった。平たく言えば半袖の背広。テレビ以外では見たことが無かった。今でも某元首相は時には着用しているのだろうか。

一昨年からクールビズが提唱されている。見た感じはノーネクタイと言うだけで余り中身が有るようには見えない。取りあえず何かしている振りをしなくちゃなあと言うことで、本来の目的であるCO2排出削減に余り効果が有る様には見えない。

着流し、カンカン帽、下駄、扇子で過ごせとは言わないけれど、もっと実効の有る気候に有った服装にしたら良いと思う。

もう撤回したようだけれど、参議院の某委員長がネクタイ着用を義務づけようと発言した、ちょっと見には、国会見学の子供に誠意を尽くす態度の様だけれど、本質とは関係がない気がする。

本当に地球温暖化が進んでいて、それが有害でありCO2等の温室効果ガスを本気で減らす気ならもっと真面目にやった方がよい。自分達の子孫のために。それからネクタイ背広がしっかりした服装、それ以外はしっかりしていない服装という観念も捨てた方がよい。カビの生えたTPOを見直した方が良い。

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2007年8月11日 (土)

禁煙タクシー

自分は時々タクシーを利用する。特に会社名を気にしたことは無い。タバコを吸わないので、誰かが吸った後に乗ると、気が付くけれど、直ぐにそんなに気にならなくなるし、どうせそう長い時間の事ではない。傍で吸われると嫌だが、自分が乗っているときにタバコを吸った運転手を見たことはない。

タバコを吸えない所に長い間居た人が、タクシーに乗った瞬間にタバコに火を付けると言う気持ちも理解できる。喉が渇いていて水が飲めるところに行ったら直ぐ水を飲むようなものだ、きっと。タクシーの乗った瞬間に部下がタバコを吸わなくても直ぐ火を付ける部長が居たっておかしくはない。

バスツアーに参加すると、昔は喫煙は自由だったけれど、十数年前から止めましょう見たいな事が数年続いて、その内全面禁煙に成ったけれど、もう誰も文句を言う人は居ない。電車だって近距離はみんな禁煙に成って久しい。飛行機だってもうみんな禁煙だし。

だからと言ってタクシーも全て禁煙、禁煙と声高に言っている人は好きに成れない。

体に悪いし、全体として医療費を押し上げる要因に成るし、公共の場所で喫煙するのは怪しからん、子供が居るところでタバコを吸いながら歩いたら、危ないだろう、その通りだと思う。でもそれはタクシーの禁煙と少し話が違うと思う。タクシーは公共交通機関に近いと思うけれど、公共にしたら単位料金が高いし一台の客は基本的には1人だ。全車禁煙にする事は無い。タクシーに乗る人の喫煙率を調べて、それに近い割合で、禁煙タクシーと喫煙タクシーを分けて街に供給すればよい。まあ調べなくても通常の喫煙者数と運転者も乗客もほぼ同じ割合だろう。同乗者に喫煙者と非喫煙者とが居たら云々、そんなのは同乗者同士で決めれば良いことだ。

そうすると、信奉者はやっと来たと思ったタクシーが、喫煙タクシーで乗れなくて又暫く待たねば成らなかった、重要な用件が有って急いでいたのに、見たいな議論を吹っ掛ける様な話が出てくるだろうけれど。こういう話を一々取り上げて居ると、益々世の中の自由が阻害される気がする。そんなに急いで居たならそのタクシーに乗れば良かったし、乗らなくて良いぐらいの急ぎだったら黙って次を待てばよい、自分の事情ばかりを声高に言う人は好きになれない。

思いやりが必要だけれど、レベルの高い社会だったら、ちょっと遊びが有った方が、より暮らしやすい気がする。

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2007年8月 9日 (木)

犬の散歩(1)

私はポメラニアンを飼っている。名前は赤毛のアンから取ったアンだ。通常はアンと呼んでいる。ポメちゃん、メラちゃん、ラニちゃんなど色々悩んだが、余りに工夫がないので止めて、アンにした。みんな良い名前ねえと言ってくれる。本当は子供と同じようにちゃん付けで呼びたいのだが、アンちゃんだと下町の言葉の様な気がするのでアンと呼んでいる。

体が小さくて餌代が余りかからない。ちょっと見栄を張るには都合の良い犬だ。社交的で人懐っこい。利口である。みんなに誉められる。私の自慢だ。健康で今まで病気らしい病気をしたことがない。同居しているお義母さんとは大違いだ。芸を教えると良く覚える。これもお義母さんと大違いだ。小学校に通っている娘が色々芸を仕込んでいる。同級生を家に連れてきては、その芸を披露して喝采を得てご満悦だ。大抵は芸を1つぐらい披露すると、塾があるからとか、お稽古が有るから、スイミングクラブに行くからとか行って直ぐ帰る。もうちょっと芸を見てゆけばいいのに。ケーキやお菓子それにお茶を出したいと思っても直ぐに帰る。家には芳香剤をたくさん置いて、良い香りだのに。

家には、猫も2匹いる。トイレの躾をしっかりしているので何時もトイレで用を足している。家の中はまったく臭くない、家の中には芳香剤も効いているし。

一段落した午前にアンを連れて散歩する。いつもの人達と挨拶をする。手入れがされたアンを見て、毛が綺麗とか、明るいとか、賢いとか、色々誉めてくれる。相手の犬も私が誉める。みんな喜んでいる。

途中でオシッコをしたり糞をしたりする。人が見ていないと、片付ける振りをするけれど、実際はしない。傍に人が居ると片付ける。嫌な感じだ。暖かくグニュッとしている。ティッシュを掛けて小さなレジ袋で取る。公園のトイレに逆さにして入れ、流す。レジ袋はゴミ箱に捨てる。前に誰も居ないと思って入ったら、レジ袋ごとトイレに流している人を見たことが有る。場所が悪いと流さないで藪に捨てたり、ゴミ箱に捨てたりする事もある。時々猫の分も持って行って捨てる。家から遠いから平気だ。みんなもやっている。

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2007年8月 7日 (火)

心配性・心肺症

自分は大昔受験をした時、特に心配はしなかった。あの答えはちゃんと書いただろうか、とか失敗したらどうしようかとか殆ど考えもしなかった。勿論結果が悪いことは幾多も有った。仕方がねえなあ、と思っただけである。暫くは力が抜けるけれども、過ぎた事は如何ともし難いし、そもそもそれを招来したのは自分であるし。

後年入札に参加することが、業務の大きな柱だったが、失格になったらどうしようとか、まけたらどうしようとかは受験と同じで殆ど考えなかった。精々考えたのは力不足若しくは読み違いで参加が出来なかったら嫌だなあと言う事。札を入れた後は、特段何も心配はしなかった。もう考えてもなんにも成らない。期日が来れば分かることだし、別に打つ手は無い。

と言うと自分は全く心配性じゃない様に感ぜられるが、逆である。全くの心配性である。

1人で家にいる。気楽、暢気で好きである。良く本を読む。歴史の本だと近くに年表と人名辞典を用意しておく。散歩にも行く。大きな雑貨屋?に入って新しい発見を期待する。簡単な料理(即席ラーメン+半ライス+卵焼き+漬物+大福)をしてテレビを見ながら、時間に因ってラジオを聞きながら食べる。中央線若しくは西武線の人身事故のニュースが流れる。やおら心配になる。家の者が轢かれてのではないか。

胸中に心配の黒雲がムラムラッと湧き上がる。脇からタラッと汗が流れる。額にジワッと脂汗が滲む。否そんなはずはない。時間的におかしい。少し安心するが、不調で少し休んでから移動したので時間が掛かったのかも知れない。台風の接近の時の流れの速い雲が心の中を流れる。心臓がドキドキする。息が荒くなる、だから心肺症と言う訳ではないが。そんなことはない。必死に否定する。時間と共に冷静になって、今までも何でもなかったのだからきっと今日も何でも無いだろう、と思う。段々振幅は小さくなって行くが、心配は止まらない。夜に成って家人が帰る。概ね予定通りである。安心する。心配したことはおくびにも出さない。

家人が色々話す。そうかそうかと言って聞く。時々質問とかする。心配したことは全く言わない。家人は「暢気で良いわねえ」と言う。

暢気なのだろうか。

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2007年8月 5日 (日)

それぞれ

「安奈、カレー煮な」じゃなく、アンナ・カレーニナじゃなかったっけ、幸福はどれもこれも似通っているが、不幸はそれ成りのやり方で不幸だ、みたいな話が最初に載っているのは。

自分の服装は至って地味である。ソフトを被っている。いつもサングラスをしている。口髭が有る。薄い縦縞のダークグレイのダブルのスーツを着ている。靴は黒のストレートチップオックスフォードを履いている。頭はお笑いのクロちゃんのようである。

頭に付いては色々試したが、結局効果は無かった。アデランネイチャーその他も考えたが、性に合わない。ドンドン後退してゆく。左から右へ流したが、無理が有る。ある時剃った。それ以来、数日に1回髭と共に剃っている。もう迷いは無い、多分。

羨望の眼差しで見ていた友人が有る。髪は黒々、フサフサである。同い年だが顔の感じも10才以上若く見える。羨ましい限りだ。何時か彼がポツリと言った。「どうしても出世が遅れる、同期だと老けて見える方が早く出世する」。仕事は人並み以上に出来るが、どうしても誤解に基づいたバランスを考え抜擢人事になると思うらしく出世が遅れるらしい。気の毒な事だ。

別の友人に白髪がいる。もう10年も経てば白髪の上品な老紳士だろうけれど、今は年齢不明の若年寄である。彼は若いときから白髪が多かった。それで染める気が無い内に機会を逸してしまった。眉目秀麗で白皙の美男なので、羨ましい限りだ。本人は茶髪や金髪にしたら、全く人種不明の年齢不明の困った事に成りそうだ、と言うことでママである。

気の毒な事で悩む人も良いが、他人から見れば羨ましいことで悩む人も多いことを知った。自分の様にワカハゲで、30代からクロちゃんのような髪型?頭型!にしている人を羨ましいと思う人は居ないだろうけれど。

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2007年8月 1日 (水)

ヒョウタン巨峰

友達に自分より二回り年配の人が居る、自分が時々訪ねては雑談をしている。自分は彼の話を聞いていることが多い。説教臭い話は全くない。自慢げな話も一切しない。雑談をしては時々ガハガハと笑っている。お茶をご馳走になって、タバコを勧められて、お菓子を食べて2時間ほど時間を過ごす。

彼の友人とは殆ど会ったことは無いけれど、時々話題に出て来て、それぞれの人となりが想像される。近況が変化するとそれなりにお話が出て来て面白い。彼に友人が沢山いるのは、きっと『あんたなんか』という気持ちが全く無いからだと思う。

彼の友人に自分と彼の丁度真ん中ぐらいの人が居る。もうとっくに引退しているが、自分から見るとお金持ちである風。釣りをしている、家庭菜園をしていると言うことを聞いている。彼は楽しみでヒョウタンの栽培をしている。どうやら10坪ぐらいの広さに立派な棚を作ってダイビョウタンを作っているようだ。

二回りの人から1回だけ大きなヒョウタンを見せて貰ったことが有る。立派なダイビョウタンに素人っぽい俳画があり、良く読めなかったが一句認めてあった。それに艶消しのニスが塗ってあった。括れているところに組紐が巻かれており、床の間に飾ればそれなりにちょっと話の種にして、訪ねてきた人と歓談できそうだ。

彼は今まで小さいのも含めて数個貰ったらしい。それなりに装飾をしているとの事。二回りの人は、柔らかく、もう飾るところも無いから、と言って謝辞ししている風。もう来ない事を期待している。まあ来たら彼の優しさで、貰うと思うけれど。

この前彼に会った時、果物の話になった。あちらこちらに果物狩りにいった事を楽しそうに話した。石和で温泉に入った帰りに買ったブドウはとっても美味しかった。あの斜面一杯に広がるブドウ棚を見ると、ああ山梨に来たなあと思うとの事。ピレネーとか巨峰は本当に美味しい。もう年だから行く機会は無いだろうけれど。それから彼は急に我に返った風で、「ヒョウタンじゃなく、巨峰だったら良かったのに」。

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2007年7月28日 (土)

スキップの女

何かあって落胆したときは、心のバランスを取るために意識的に、時によっては無意識に、何か動作をする事がある。悲しいときに、肩を落として歩いている人ばかりではない。笑みを感じる顔で歩いているからと言って、楽しいことが待っている人ばかりでは無い。

電話中に相手がガチャリと電話を切ると、大抵の人は全く同じにガチャリと切ったりはしない。見ても全く何も見えないのであるが、耳から受話器を離して顔の前に回して、暫く受話器を見る。これは或る種の補償行動だ。

私は誠意を尽くしてご説明申し上げているでしょう、結果は必ずしもあなたのご満足は得られなかったかも知れませんが、私は出来る最大限の事をしました。そもそもこの問題はあなたの無知と怠慢から発生したことで、本来当方には非は無いのに、波及効果を恐れて、義務を大きく越えて対処させていただいている云々と言えないので、先方は見えないのに、一呼吸置いて腹立ちを押さえて別の方に解放するために、時間稼ぎをしただけなのだ。その逆も有るだろうけれど。

勝手に電話を掛けてきて、脈がないと見るとガチャリと切る人もいる。まあそう言う所の物は買わないが1番。

いつも通り夕方駅から家に向かって歩いていた。仕事が終わって家族が待つ家に帰るところなのに、深刻な顔をしている人が多い。彼らに取ってはそれが普通の顔なのだろうけれど、いつからそうなってしまったのだろうか。もっと楽しそうに家路に向かえば良いと思う。楽しいことを考えれば、顔も少しは楽しくなることが多い。他人が見ているから遠慮しているのだろうけれど、仮面で歩くことは無い。満面の笑みで歩かなくて良いけれど、少しは明るい顔で歩いてくれ。

隣の奥さんが反対側の歩道を歩いていた。23回スキップをした。買い物の帰りの様だ。

数年前、家内とちょっと行き違いが有って、散歩に出たことが有った。彼女も間もなく買い物に出た。街を彷徨いていたら、家内がスーパーに行くのが望見出来た。別々の行動をしていて見ることは滅多にない。彼女はスキップをしていた。自分は内省するものがあった。

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2007年7月26日 (木)

感度良好

友人に敏感な人がいる。

自分はずっと昔無線をやっていたことが有る。比較的向いていたので、良く聞き取れた。感度が良いが、明度が悪いという状態も有るけれど、感度が悪くて明度が良いと言うことは無い。感度が良ければ、経験で明度の悪さを或る程度克服できたけれど、感度が悪ければ、これは如何ともし難かった。

一緒に散歩していると、友人が時々耳鳴りがするとか、目眩状の気分になる。暫くの間、双方とも気付かなかったが、ある時はたと分かった。今流行の猫避け超音波だ。あれは反応範囲内に猫が入ると、実際は猫で無くとも動く物なら何でも、反応して変動する超音波を発生する。それが彼の耳鳴り目眩の原因だった。遠ければちょっと不快で、近ければ耳鳴り、命には別状は勿論無いけれど、又1つ彼には天敵が増えた。

暫く前に彼が家に来たとき、傍のテーブルタップの線に触って、「ワッ」と手を引っ込めた。感電したという。当方が触ってみたが全く何も感ぜず。彼が触ると感電する。確かに相当古いけれど、平気で使っていた。要するに彼は敏感なのだ。彼の忠告を入れて、そのテーブルタップは使わないことにして、別のもうちょっと新しいのをそこに使った。

彼は静電気にも人一倍敏感との事。夜家にはいるためにドアノブを掴もうとすると、青紫の放電が見えて、バチッと来て全身に電気が走るとの事。結構あれって忘れているときだから、ショックが大きい。冬は特に憂鬱だ。

もう察しが着いているでしょうけれど、彼は花粉症です。それもかなり重症で、1年の内56ヶ月ぐらい、鼻がグズグズしている。ある種の果物を食べると喉が痒くなったりひりひりしたりするそうです。マンゴウとかメロン、モモ、ブドウなどが酷いとの事。自分が好きな果物ばっかりじゃねえか。合掌

自分は静電気は暗いところでセーターを脱いだりすると、頭がセーターの中にある時、青紫のオーロラ風の光りがたくさん見えて、喜んでいるぐらいだけれど、鈍い。猫避け超音波は、耳元に置いても全く何も感じない。勿論花粉症ではない。

普通の人が平気で自分が駄目な物は樟脳ぐらいだ。これはこれで困った物だ。衣替え時に秋冬の電車の中は樟脳の匂いで満ちている。樟脳オヤジが傍に来ると次の駅で降りる。それでもくしゃみが止まらない、尾籠な話で恐縮だが下痢になる、頭が痛い。と言うことは自分はタンスの虫並みか。

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2007年7月24日 (火)

駆け込み乗車

自分は毎日電車で職場に通っている。階段からずっと離れた所で乗る。電車に乗っている時間は20分ぐらい。降りる駅では比較的階段に近い。偶々自分が降りる駅で開く側と自分が乗る駅の開く側は同じだけれども、途中駅は全て反対である。ドア側に押されてジッとしている。日によって、本が読めるぐらいに空いている時も有る。そう言うときは持っている本を読むことが出来る。少し嬉しい。

階段から遠いドアから乗るのは理由が有る。駆け込み乗車をしてくる人を見たくないからだ。駆け込み乗車が危ないとか、他人に迷惑だから止めた方がよい、と言うつもりは全くない。勿論その通りだろうけれど、それは自分の守備範囲の問題ではない。そんなことを言えば社会に無関心とか利己主義とか言われそうだけれど。駆け込み乗車した人が、自分にぶつかって危なかったなら、ぶつかるなと言うだけである。

1回しか見たことがないけれど、ずっと昔、電車に乗ってドアが閉まるのを待っている時、ボンヤリ、詰まりいつも通り、通路の方を見ていると、駆け込み乗車をしそうな人が階段を降りてきた。隣のドアに突進した。あいにくとても混んでいた。前からは入れそうにない。くるりと回って尻から入ろうとした。半分ぐらい入った。ドアが閉まりかけた。何とか乗れそうな様子だった。その時、車内の誰かそのオニイサンの背中を押した。たたらは踏まなかったけれど、普通に降りるようにホームに押し出された。電車のドアは閉まった。そのオニイサンは「エッ」ってな感じだったが、電車は発車した。そのドアの辺りから嬉しそうな「オー」というどよめきが起きた。

駆け込んで乗車出来た人は、他人の迷惑も顧みず安心したような表情を浮かべる。ちょっと悲しい、もう少し早く駅に来れんかったのかねえ。まあそう言う人は、今度は一本早い電車に乗ろうとして、駆け込み乗車をするのだろう。急いで何処へ行くんだ。

自分は大きな意味で行けば間抜けかも知れないが、普段の事では普通だと思っている。もし自分が駆け込み乗車をしようとして、目の前でドアが閉まったら、「小人の過つや必ず文る(かざる)」じゃないけれど、きっとしらを切るだろう。それは内側からドアのガラス戸越しに見ている人からすれば、可成りの間抜け面。かといって悔しいって言うほどの事でもないし。シラッとしていられる自信がついたら、やってみたい気もする。

上手く乗れたら、それはそれで、「ああ良かった」と小さい声で言いそうだ。階段を走り息が少し荒いのに何事も無かったかのようにしているほど体力も無いし。こんな事をじくじくと考えている自分は小心者です。

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2007年7月22日 (日)

丸い青空

子供の時に、学校から帰ると裏山に遊びに行った。1人で行くことが多かった。自分には秘密の場所が有った。背丈の倍ぐらいの笹の広い野原が雑木林の中に有った。誰も傍には居ないし、居るはずも無いのだが、慎重に人気が無いことを確認した。小路を辿って最後は藪を踏み分けてその入り口に辿り着いた。笹原の根元に小さな空隙があった。その中に潜り込むと2メートル程で笹の生えていない幅30センチほどの小路が有った。その小路を時々曲がりながら辿ると直径3メートル位の笹が全く生えていない草原が有った。その周りの笹は背丈が少し低かった。

その秘密の場所には嬉しいときも嫌なことが有ったときも行った。寝ころんで上を見ると丸い青空。季節によって、虫の音だったり、小鳥の鳴き声だったり、蝉の声だったり、風の音だったり、様々な音がした。自分はそこに寝ころんで、丸い空を見ながら様々な事を空想した。少年の時のたわいのない空想ばかりだった、多分他の少年の空想と余り変わらなかったと思う。

自分が横たわる円形の草原、取り囲む笹、丸く青い自分だけの空。寝ころんで空を見ていると、月がその丸い空を通って行くことが有る。その月はどう考えても自分1人の月。月は益々少年を1人の世界に押し遣る。鳥が通ることも有る。鳥だったらあの子の元に飛んで行ける。夏から秋にかけては、良くトンボが通った。群のトンボがズンズン通るのは、傷んだ少年の心に勇気を与えた。秋遅くなると、ススキの白い穂がフワフワと数限りなくゆっくり流れて行くことがある。無心にあくことなく眺めた。

その内いつしか訪れることも無くなり、自分は高校を卒業して家を離れた。田舎はあれ以来殆ど止まってしまったから、あの秘密の場所は未だそのまま有るかも知れない。ただ、今はそこまでの雑木林の中が藪になって通れないだろうと思う。もしかしたら、あの通い慣れた自分だけの秘密の場所も今は分からないかも知れない。

大人になると色々な物を失う。失った物はもう心の中に浮かばないから失ったことさえも気付かない。寂しい大人に成ってしまった。

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2007年7月18日 (水)

選挙のご案内(1)

もうすぐ参議院議員選挙だ。我が家にも選挙のご案内という黄色の葉書が来た。投票に行くと「~~さんですか」と人定尋問を行う元だ。ウィといつも返事をしているけれど、耳が遠かったり緊張したりして、返事がいちてんぽ遅れる人は、選挙管理委員会の人や立会人の人にジロッと見られて居るんだろうなあ。未だ住所はどちらに成りますか、とか生年月日はいつですか、と言う質問を受けた人を見たことは無いけれど、そう言う人も来るのだろうきっと。その黄色の紙と違う人なら、トレーニングをしてきているだろうから、そんなことには成らないけれど、本人なのに、そう言うところに行くと妙に緊張して、どもって、しなけりゃ良い言い訳をして益々疑われる人なんか居そうで、1回見てみたい。きっとそう言う人は、大きく分けると二つになると思う。二度と行かないタイプ、行かなければそんな目に遭うことは無いわけだから。もう一つは義務感が強くてそれでも行くタイプ、益々緊張して、いつも不審に思われて選挙が有ると聞けば、もうその日から憂鬱の始まり。

友達のその又友達に1回も選挙に行ったことが無いと言う人が居るらしい。その人は、自分より少し年上。少し風変わりとは聞いているが。友達の話によると、その人は選挙権は、一家に一票で良いと思っているか、一家に一票しか無いと思っているらしい。どちらも信じられないが。何十年も一回も行かないと言うのはそれはそれなりに凄い物だ。

自分は選挙にはいつも行っている。街が喧噪から解き放たれて、ちょっと良い街に見えるし、投票場内も地味で親切で良い雰囲気だ。好きな場所の1つである。昔の不在者投票、最近は期日前投票とか言うらしいが、それも良くする。日曜日は用事があるからとか言う事ではないが、何となく。指定投票所より市役所が近いと言うのも理由かも知れない。選挙結果を見ると、自分はずれて居るなあと思う。入れた人は殆ど当選しない、最下位というのも時々ある。そう言う意味では被選挙人は自分に投票を呼びかけない方が良いかも知れない。落選を誘発してしまう。

選挙は天候に因って投票率がかなり違うとニュースで言っている様だけれど本当か知らん。国政選挙なら様々な天候の所が有るだろうから、天気と投票率が正しい相関関係に有ることがデータを示して証明して欲しい、意味は無さそうな研究だけれど。それとも論戦が若しくは候補者が若しくは選挙人が低次元で投票率が低いとなったら、現実的だけれど相当悲しい。それでも投票率を上げたかったら、くじ引きで何かを与えると良いかも知れない。例えば東京デズニーランドの入場券、ハワイ旅行、1000円の商品券・・・投票所の出口で出口調査なんかしないで、ガラポン(正式には新井式回転抽選機と言うらしい)を置いといて、投票した人は、1回抽選が出来る。外れ無し(勿論ポケットティッシュ)。少なくとも暫くは世界中の話題を掠いそうだなあ。

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2007年7月16日 (月)

じゃないですかあ

「私ってお嬢さん育ちじゃないですかあ」

『お嬢さん育ちって自分で言うかあ、どんな家だったんだよう、あんたみたいなお嬢さんができた家は、それともお嬢さんの意味が違うのかい』

「私って歯が悪いじゃないですかあ」

『その年で歯がわるけりゃ、どうしようもねえだろう。子供の時ちゃんと歯磨いていたのかよ。それに今時珍しい出っ歯だし。』

「固い物食べられないんですよ」

『その割りにはフライドチキンやナンコツバリバリ食ってんじゃねえか、スイカ食ったらもっと凄いだろうなあ』

「私って食わず嫌いが多いから」

『言うのは勝手だけれど、そういう風には見えないぜ。こちらはあんたが食わず嫌いだ、全く』

「知らない人と一緒だと遠慮しているように見えるらしいんだけれど」

『全然そういう風には見えません、キッパリ。遠慮が無くなったら、どう言う風になるかも、恐いけれどちょっと見てみたい』

「私は楽しいんだけれど、人からは暗いとか思われるんですよ」

『全然思いません、暗く成るのはこちらの方です、今日は外れです。まさか人見知りするって言うんじゃ無いでしょうねえ』

「私って人見知りするじゃないですかあ」

『出たあ、悪い予感が当たったあ、あんたが人見知りじゃ、こっちは引き籠もりだあ』

「私って暗いところ苦手じゃないですかあ」

『そんなの知りません、どう言う意味ですか。何か特別な意味が有りません?それはともかく、暗いところからあんた見たいのが出てくるのは、こちらだって苦手です』

「私って寂しがり屋だから」

『えっどう言う意味?』

「同じ方向みたいだから、途中まで一緒に帰りませんか」

『拙い、送られ狼に捕まりそう』

「何かしちゃ駄目よ」

『それはこっちの台詞、何とかして脱走しなくちゃ、貞操の危機だあ』

年寄りにも若者にも、女にも男にも、田舎の夜も都会の夜も、危機をハランで更ける。ゴーン。

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2007年7月 6日 (金)

誘導用ブロック

今選挙が近づいてきている。駅には政党の人達や、各種団体が数人のグループで幟を立て、ビラを配り道行く人に呼びかけている。自分はなるべく貰って読むようにしている。大変参考になる。こんな事を言っているようじゃ、投票する気になれんなあ、と言うのが多いけれど。止めて貰いたい言い回しも幾つか有る。

「朝から大きな声でお騒がせして申し訳ありません」「お忙しい中、お聞きいただきありがとうございました」など。本気で言っているのかいな、と思ってしまう。

駅に来ている人達は、自分を含めて、毎日大体同じ電車に乗っているのだから、演説している人達の前を通るのは10秒、20秒の事だ。まともな話でもこれでは中身なんか分かりゃしない。あざとい言い回しで、印象に残るように話している連中に投票する気には成れないし。

某野党は年金が不明の件を追求するらしいけれど、確かお偉いさんが昔、厚生大臣をやっていた気がする。その時何か決断して、凄いなあと思った様に記憶しているけれど、追求なんかすると、藪蛇じゃ無いかしら。当時だってこの問題は有っただろうから。それとも内部抗争の手段?そうだったら我々は良い面の皮。権力闘争の為では無く、彼らがよく使う国民の為にしっかり働いて欲しい。

貰った印刷物を読むと、と言うより見ると、福祉の事、生活の事などの訴えが多い。どの団体も実際の中身はそんなに変わらない気がする。その割には意見を出し合ってよりよい方に協力して進もうと言う感じは全くしない。揚げ足を取っての非難合戦。と言うことはやっぱりこれも単なる権力闘争の一環?そんなに落ち込むことも無いか。

数日前に駅から出てバス停に向かおうとしていたとき、遠目に一本前の電車で来た風の白い杖を持った人が誘導用ブロックを頼りに歩いていた。その近くに78人の団体が幟を立てて手分けして数人がビラを配って、1人の人が演説をしていた。盛んに年金の事、福祉の事を話していたが、その白い杖の人に駆け寄り、声を掛けた人は居なかった。着流しの何とか侍だったら、“残念!”と言ったことだろう。

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2007年7月 4日 (水)

職業不詳

警察の発表で使われる場合には、特殊な意味が有るようだ。何をして生活をしているか不詳という意味ではない。まあ平たく言えば、社会の福祉に合致しない“仕事”のみを行っている場合は“職業不詳”と言っているようだ。職業:詐欺師、ドロボウ、強請、たかり、とは発表しない。表向きの仕事があれば、そちらの方は紹介しているようだ。会社員とか不動産業とか露天商とか建設業とか。

つい最近まで、ニュースなどを見ても特に何も考えないで、見過ごしていたが、はたとこれは何じゃと思った。不詳なら調べてから発表すれば良い、と言うことは不詳なんかじゃなくて、詳細について分かったから、指名手配若しくは逮捕したけれど、有罪が確定するまでは、推定無罪であり人格権の問題で“不詳”などと発表しているのだろう。

世の中に解説のテレビ番組とか、用語解説の事典とか数多有るが、不詳:つまびらかでないこと、はっきり分からないこと、くわしくは分からないこと、そんな解説が氾濫している。分かりやすく実態を説明して欲しい。

選良の「善処します」とは『余りにごもっともな指摘なので、何にもしませんとはいえませんから、「善処します」と言いますけれど実効有ることをする気も予算も有りません、悪しからず』

内の家内は別の意味で職業不詳かも知れない。

曜日に因って色々違いが有るので、煩雑だから適当に説明する。7時頃から9時頃まで近くの事務所の清掃。その足で小さな地元のスーパーに行って弁当作りの補助。昼過ぎに帰ってきて、掃除洗濯など一般的家事を済ませる。夕方焼鳥屋に行って仕込みの手伝いから始まって、洗い場厨房とこなして、深夜に帰宅。パートタイマーのようだけれど、総労働時間は、並のサラリーマンより長い。雇い主は何処も保険を払ってくれないから、会社員とも言い難い。主婦の一面は持っているけれど、そう紹介するには抵抗が有る。

全くの休みは友達と会ってファミレスでランチとかその後一緒に散歩、カラオケ。それがないときは9時半に家を出て、10時からパチンコ。沢山出た時は夕方には帰る。全く駄目なときはもっと早い。一進一退が続くときは夜10時半の閉店まで店に居る。至って元気。一箇所から貰う金子はそれ程多くは無いが、我が家の収入の過半を占める。職業不詳。

世の中にはこんな人は結構ざらに居ると思う。田舎には農業漁業お店のパートをやっている人は沢山いる。

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2007年6月28日 (木)

サマーセーター

中学生の頃、母がサマーセーターを買ってくれた。当時はいつもそうだったけれど、一緒に行って買って貰うわけではなく、何でもない日に買ってきて突然貰う事が多かった。ハッキリは覚えていないけれど1年に1回ぐらいの事だった。

一目見て気に入った。白っぽい半袖のサマーセーター。普段着よりずっと高級な気がした。少し良いところのお坊ちゃんとまでは行かないが、何となく少し前に流行った言葉で言えば、ちょっぴりセレブって感じ。

汚れるのは嫌だった。いつも着るのは勿体ない感じ。裏山の方に遊びに行って藪の中などを通る可能性のある時は着なかった。2年着たらもうヨレヨレだった。体も大きくなって着られなく成った。普段のTシャツほど回数を着なかった。自分はそのサマーセーターを気に入っていたのだけれど、母は他のシャツより着る回数が少ないから余り気に入っていないと思っていたらしい。いつの間にか処分されていた。

中学生から高校生に掛けては人にもよるけれど、親とは余り話をしない、一種の熱病時代。そのせいでも無いけれど、母と子で、最も身近な服装に対しても、こんな誤解が発生しているのだから、他は推して知るべしか。それ以来サマーセーターを着たことが無い。何か身分不相応な気もするし、ちょっと落ち着かない気もするし、でも根本は似合わないのだろう、気分で。

自分と同年代の男性がサマーセーターを来ているのを見ると、ちょっと粋に見える。ちょっとお金持ちかなあ、勝手に想像する。でも体型がそれなりでないと、サマーセーターなんか着るんじゃ無いよ、セーターが伸びちゃうだろう、セーターが嫌がっているぜ、見たいに思う。その上へそでも出ていたら、セーター脱いで回しでもして歩け、ついでに薄い髪を集めてチョンマゲでも結え、なんて。

勿論チラッと見るだけで見たことにも気付かれないようにしている。そんな人に突っ張られたら、肋骨が折れそうで恐いから。

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2007年6月26日 (火)

公衆電話で

携帯電話が猖獗を極めてでは無く、普及が進んでその分公衆電話が減った。自分は携帯電話を持っていないので、詰まり電話を掛けないので、若しくは掛けるところがないので公衆電話が減っても電話で不自由を感じることは無いのだが、困る人も多いと思う。自分は急な雨の時に雨宿りする場所が減ったのが残念に思う。

「駅に着いたら電話を頂戴」「電話が混んでいたから」という言い訳が効かなくなった。その他同僚と飲みに行って「電話する暇が無かったんだよ」とか「やっと見つけたら何人も並んでいて」等という古典的な嘘がつけなくなった。嘘をつく楽しみが減った。きっと奥様がご機嫌斜めの回数が減って、多分夫婦円満の家庭が増えて結構なことに成っていることだろう。考えすぎてはいけないけれど、携帯電話が無い頃は、連絡が無くてもそんなに心配もしなかったけれど、今は少し連絡が遅れると苛ついたり心配したりする人が増えたかも知れない。慣れない人は家庭の固定電話が鳴っても、お驚きはしないが、携帯電話が鳴ると驚く人も、子供や孫から携帯電話を勧められた人には多いかも知れない。

今でも有るかどうかは不明だが、確か昔新宿とかその他大きな駅の構内で電話が10台も20台も並んでいるところにNTTじゃない電話が有った気がする。今でも生き残っているのだろうか。一度も掛けたことが無い。論理的に行けばNTTより安かったのだろうけれど、例えば10円で10秒長いと言ったって、あんまり意味の有る数字とは思えない。駅の電話は「これから帰ります」とか「みっちゃん何時頃出た」程度の話だろうに。

家の者と待ち合わせるときなどに、仕事場の最寄り駅から家に電話を掛けることが有る。先日駅前の電話ボックスに入って小銭入れから取ってお金を入れようとして落としてしまった。デイバッグを背負っているし狭くて直ぐには拾えない。間が悪いことにちょっと足を動かしたときに小銭を蹴飛ばしてしまって、外に転がり出てしまった。100円硬貨だった。そしたら電話ボックスに入る前から傍にいた自分と同世代と思われる地味な風体の男がスーッと近づいてきてこちらを見てニッと笑った。こちらは体が電話機の方を向いていて、顔だけ外を見ている。その男はその100円硬貨を拾うと何事も無かったかの様に早足で歩き出し、人混みに消えた。こちらはやっとの思いでデイバッグに邪魔されながらもドアを開けてその男の方を見た。100円で「ドロボウ!」でも無かろう。ちょっとだけモザイク行動をしたが、諦めて溜め息をついて落とさなかった10円硬貨で家に電話を掛けた。「今落とした100円が人相風体の地味な男に拾われて、混乱して半歩踏み出したり、電話ボックスの中を見たりしている内にその男が居なくなって、意味が良く飲み込めなかった。ドロボウと言うほどのこともないし、テッシュ配りのお兄さんがこっちを見ているし、」で電話が切れた。言っていることが無茶苦茶で自分でも呆れてしまった。

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2007年6月22日 (金)

床屋の鏡

いつも通勤で使っているバスの窓から見える床屋一軒。夕方その床屋にお客が居たのを見たことがない。椅子は二つある。いつも右側の椅子に主人が座っている。テレビを見ているようだ。何となく行きたくない感じ。お客が来たら、自分が座っていた椅子から降りてそれを勧めるのだろうか。入ったら相好を崩して、親しそうな挨拶をするのだろう、但しタメ口で。自分の苦手な情景が空想される。

30代初めの男性が一番端の椅子に座っている。もうじき終わりだ。職人が、合わせ鏡を持ってきて、後ろを見せた。旋毛の辺りが、少し薄くなり始めている。職人は前から気付いていたが、黙っていた。その人が終われば今度は自分の番だ。

この床屋にはもう長い間お世話に成っている。その間特に髪型の変更を伝えた事はない。流行が変わったようにも思えない。自分の髪型は伸びては2ヶ月分ほど逆戻りして、少しずつ伸びて又2ヶ月分ほど逆戻り、繰り返し、全体的に白いものが増えた程度。

声が掛かって自分の番に成った。鏡の前に坐る。想像より老けた自分。聞かれるままに簡単に答えた。職人が仕事を始めた。坐って直ぐだるくなって眠くなってきた。

さっきより床屋の中がうるさい。この床屋はサラサラと仕事をするだけで、簡単な問と答え以外は殆ど会話が無い。今日は今までにない雰囲気に成っている。職人の翻訳装置が壊れているようだ。業務用会話装置に組み込まれている中枢が壊れて、単純な感情からの発言がそのまま飛び出している。ギョッとして辺りを見回したが、お客の表情は全く変わらない。いつもの静かな床屋風景である、と言うことは壊れているのは自分の翻訳装置かも知れない。

「お客さん、最近白髪が増えましたね、ワカメ、コンブを食ったって駄目ですよ。黒豆茶は効果有ると聞いたことが有りますが、体質に因るでしょう。お嫌だったら染めるしか有りませんねえ」

「薄くなってきましたね。天辺なんかすっかり禿げて、まるで河童ですぜ」

「薄くなって髪の量が1割に成っても、禿げてしまって生えている面積が半分に成っても、料金は10割頂きます、それが温情ってもんです」

「縮れてその上亀の子たわしのようで、全く切りにくい髪だ、料金5割り増しを貰いたい」

「あなたは髪が多く長くて、その上ゴワゴワ、洗うのが全く大変です、その上、注文が多い、洗っている間だけでも静かに願います」

「あなた何考えて居るんですか、そのご面相で、その髪型は無理ってもんです。モデルはいい男ですから。その切り抜きはしまった方が良いでしょう」

「髪型も大切ですが、髪型と一緒に服装も直した方が良いですよ、顔は直らないでしょうから」

職人に「お客さん、髪洗いますよ」と言われて目が覚めたら、いつもの床屋だった。

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2007年6月20日 (水)

桑の実拾い(1)

最も望ましいのは金曜日の夕方から風が吹いて、土曜日の朝には小雨が降ること。

田舎に居る時に、12回試しに食べてみたことが有る。品種が違うのか、気候の為か、こちらほど実が熟さなくて甘くなかったし、食欲をそそるものではなかった。そもそも実が何分の1ぐらいの大きさしかなかった。木が生えているところと言えば、川縁の崖で取るのにも適していなかった。平地で余り見た記憶はない。戦前は養蚕も有っただろうけれど、自分が小学校で養蚕の事を習ったときには村に養蚕をしている人は居なかった。親に聞いたら昔はやっていた、素っ気ない返事だった。

三木露風の赤とんぼは不意にラジオから聞こえてくると、聞き耳を立ててしまう。田舎の景色に合う歌だと思う。その中にある『山の畑の、桑の実を 小籠に摘んだは、まぼろしか』というのは、自分にとっては当時それ程実感の有る歌詞ではなかった。今そう言う子供時代が無かったことは、残念なことだと思っている。

小さなレジ袋を持って拾う。木の周りを移動しながら拾う。1周すると新しいのが落ちている。又ゆっくり拾って行くと、時々目の前に落ちる。帽子や背中に当たって落ちる。レジ袋は段々重くなって行く。拾うのは楽しい、落ちていればついつい拾ってしまう。もう今日はこれぐらいで止めようと思いながら、暫く拾う。もう良いのは無いなあ、と思いながらも目は辺りを探している。桑の実拾いは楽しい。

天気がよいと何人にも声を掛けられる。殆どは自分より年配である。ガックリするのは「何をしているんですか」((質問者の大部分、桑の実を知らないらしい。もしかしたら目が悪くてよく見えないのかも知れない))。「拾って何するんですか」((二通りあり、1、地べたに落ちたものを拾って、どうするのだ、見たいな。2、食べるんだろうけれど、どう言う風にして食べるのだろう))。「このジャム美味しいんですよね」「果実酒ですか」((こういう人とは一頻り話をする))。

通りすがりのホンの少しの人が声を掛ける。持っている袋を渡して一緒に取りながら、ジャムの作り方を教える事もある。最も困るのは質問しながらそこら辺りを彷徨いて良い実を踏みしだく人、そう言う人は質問していたかと思うとプイと何処かに行ってしまう。別の困る人は、自分が嫌いな犬を自分にけしかけて「邪魔でしょう」とか言う人。犬は結構桑の実が好きだ。夢中になって食べる犬が多い。((こういうときは黙っているが、早く立ち去る事を念じている))「そんなものを食べたらお腹壊すでしょう」((勿論犬に言っている))

因って金曜日の夜に風が吹いてたくさん落ちているけれど、土曜日の朝、小雨が降って、散歩する人がいないのが、桑の実拾い日和。

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2007年6月18日 (月)

モモヒキネエサン

時々中央線にモモヒキオジサンが出る。勿論1人ではなく何人もいる。

1回はデイバッグを背負ってパッカーを着て半ズボンだけれど膝下からモモヒキが脛の途中まで。靴下をはいていないようでその下は直にスニーカーである。彼のモモヒキは伝統的なラクダのモモヒキ。思わず暫く立ち止まって口をあんぐり開けて見てしまった。格好良いと言うべきなのか、斬新と言うべきなのか、単に着るものが無くて着てきたのか。ちょっと混乱して階段を一段踏み外してたたらを踏んだ。

次に見たのは、半袖半ズボンのトレーナーを着ていた。民宿の便所に有るような木製のサンダルを履いて、階段をカランコロンと歩いていた。紺色っぽいモモヒキが膝からくるぶしまであり、腕は肘から手首まで同じ色のウデモモヒキとも言うべきものを着ていた。寒さ対策なら長袖長ズボンのトレーナーを着て中にモモヒキを履けば良いのに、そうではないところを見ると、寒さ対策ではないようだ。

次に見たのはカンカン帽を被りダボシャツにステテコ、その下からラクダのシャツにラクダのモモヒキ、足袋に雪駄。扇子を持って左手には竹で編んだ手提げ籠を持っていた。つい思わず「大統領」と口走った、但し心の中で。

最近はそれらに触発されたか、若い女性がスカートの下からモモヒキを覗かせたり、ワンピースの下からモモヒキを覗かせたり、モモヒキの上に短パンを履いたり、色々なバリエーションを見るようになった。

自分は顔がテカテカで小柄小太りの正真正銘のオジサンで、仲間がモモヒキを履いているのを見ると、自由で羨ましく心の中で応援しているけれど、若くて可愛い女性が、何故、何が悲しくてモモヒキを外出しではいているのか、未だに考えあぐんでいる。

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2007年6月16日 (土)

洗濯板

ずっと昔寮にいた頃、作業服は定期的に洗濯してくれた。それ以外は自分で洗った。広い洗面所の片隅に二槽式の洗濯機が有って、それを使った。大した量でもない時は洗い桶と洗濯板を使って洗った。特に違和感は無かった。寮に入る前に洗濯機も有るから、と説明された事が妙に印象に残っている。ちょっと進んでいる見たいなニュアンスだった。日本中に二槽式の洗濯機が行き渡りつつある頃だったと思う。

その前は一槽式で手回しの脱水機というか搾り機が付いていた。今昭和の暮らし等と銘打った展示施設に行くと年代毎に区分けの中に、そんな懐かしい洗濯機を見ることが有る。あの一槽式の洗濯機を買った人達はきっと時代の変革を感じていたに違いない。あの頃はあの生活が輝いて居ただろうに、今は古色蒼然としてある種の感慨が有る。

単槽式で全自動洗濯機が出て来たときは、節水とか余暇の増加とかその新型の洗濯機とは基本的に関係のない議論が沢山あって面白かった。今は多分、節水、節電、節時間など行き着くところまで行っているのだろう。乾燥機が付属しているタイプも多い。一見余暇が増えたように見えるが、服が増えたし洗濯する回数が増えて、洗濯に費やす時間が増えていたりして。

民宿の風呂場に洗濯機が有れば昔はコイン式だったように記憶するが、今は洗剤も置いてありますので自由に使ってください、となっているようだ。

労働と時間を節約する道具が増えて結構なことだ。その分幸せの可能性が増えた気はするけれど、実際の幸せが増えたかというとそんな気はしない。キッチンドリンカーが増えていると言うのは聞いたことが有る。それでも冬に冷たい水で洗濯をしなくても良いのは、それだけで十分価値が有る。

今でも探せば荒物屋に洗濯板は有るのだろうか。あれで洗濯をすると、色々思い出されて物思いに耽る事が有ると昔友達が言っていた。表は洗濯板で裏は物思い板。あの人は今どうしているかしら、満開の桜の下の散歩、夏祭りの夜、冷たい木枯らしの夕べ、と。洗濯と共に帰らぬ事どもが思い出される。