2018年8月11日 (土)

たかが石鹸、されど石鹸、アレッポ石鹸~~♪




Photo




 

子供の頃、石鹸と言えば、洗濯石鹸のことで、硬くて大きな奴。身体用の石鹸は花○石鹸と言っていた、自分は顔石鹸だと思っていたが~~♪

 

風呂に入るとき以外は、貧乏だったからか、習慣が無かったからだったかは、判然としないが、余り使わなかった。小学校では「手を洗おう~~♪」運動が有ったようにも思う。当時は自分も今ほど手を洗わなかった。外遊びをしているとき、田圃の畦にある用水の水で手を洗うときは、傍にある、柳かそんな感じの細長い葉っぱを数枚採って、掌の中でもみこすると確かに泡が出たが、それで洗っていた。

 

青年になっても、顔石鹸の臭いが好きになれなくて、銭湯では、一頃シャンプー、ボディソープという物を使っていたが、ぬるぬるしてその内、洗濯石鹸で、髪も身体も洗うようになったが、大きすぎるので、半分に切って使っていた。洗った後サッパリしたし、妙な匂いの香料が入っていなかったので、愛用していた、その内、ミュー○という赤い箱に入った石鹸も使うようになったが、安価で、比較的馴染める液体石鹸もその内普通に使うようにはなっていった。

 

そんなある時、同僚が、シリアに出張して、お土産にアレッポ石鹸を貰った。オリーブオイル+ローレルオイルが入っている奴で、香りも気に入ったし、表面は黄土色だったが、使ってゆくと中は、オリーブ色で、それからは通常は是を使うようになった。比較的高価だったが、なんせ減らないので、通常23ヶ月で1個使う程度。費用効果では、収入も少し上がっていたので、納得できる物であった~~♪

 

そうこうしている内に、アラブの春、アメリカの歴代3位に入る、馬○大統領のB.クリ○トン当たりから、チェンジと絶叫して事態を悪化させる、B.オ○マ当たりまでが主導したのだろうけれど、民主化という実際は混乱と貧困の季節が来て、シリアも大国が介入して内戦状態に、未だに収束の兆しはない。

 

偶に何処かで見つけては買って使うと言う感じであったが、シリア内戦が酷くなって、値段が上がって、その内発見出来なくなって、困ったなあ、と思って居るとき、ギリシャ原産のオリーブ石鹸がかなり安価で売っているところを見つけて、それからはそれ一本槍、その内包装と名前が違ったが、トルコ産になったオリーブ石鹸であった。香りはアレッポ石鹸には及ばないが、仄かなオリーブの(?)の多分、香りがするだけで、良い物であった。

是も1時、品薄になって、在庫が切れかかって居たときに、又同じ店で沢山有ったので、10個ほど買って、在庫して有る。使い切るまで生きているかしら~~♪

 

シリアでは1000年以上前からアレッポ石鹸を作っているらしい。と言う事は、貿易品でもあったろうし、使ってもいたのだろう、凄いことだ。

 

この人たちに平凡な日常の日々が少しでも早く訪れます様に。

 

又以前のように、街でアレッポ石鹸を買えるようになれば、ちょっと高価だが、時々は買って使いたいと思っている~~♪

 

9000キロ離れた日本にも、シリアの人々のことを、思っている人は沢山居ますよ、シリアには行った事が無いけれど・・サウジに出張してきたときに、知り合ったシリア人たちは、今どうしているかなぁ~~♪

 

 

蛇足ながら気になることが有って・・・、日本の販売者が包装を決めたのだろうけれど、シリア産の時は、成分の所に、オリーブオイル、ローレルオイル、苛性ソーダ、って記入してあったが、ギリシャ産になった時には、オリーブオイル、水酸化Naに成って、トルコ産に成った時には、オリーブオイル、他の記入は無し。何となく、購買者に遠慮しているのか、「苛性ソーダ」の名前が無くなった。オリーブ石鹸は、香りも自然だし汚れも良く落ちるし、泡立ちも普通だし、気に入っている、泡が多いほど汚れが良く落ちるわけではない~~♪

 

日本の販売者が、供給地を求めて、努力したことには感謝しているが、石鹸に「苛性ソーダ」が、使われているのに記入しなくなったのは、何となく「苛性」という言葉を避けているようで、スッキリしない、縁の下の力持ちの苛性ソーダに成り代わって(笑い)~~♪

 

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年7月30日 (月)

ご飯~レストラン~強迫神経症~~♪





Photo_3





 

イネの原産地は東南アジア~中国南部のようだ。日本への伝搬はおそらく30003500年位前、多分中国の江南地方(長江下流域)~九州北部へ、黒潮に乗って、渡ってきた人々が携えていたのだろう。河口近辺の湿地帯かそれに連なる丘陵から栽培が始まったようだ。当時のイネは、寒冷地で栽培できなかったから、朝鮮半島経由は、難しそう。考古学知見では、朝鮮半島の稲作開始は15002000年前ぐらいの様だ。

 

今日本の米は、世界的に見れば、高価なようだが、食料戦略は、今の価格だけ判断するようなものじゃないから、売りたい連中が、色々考えて売り込みを図っても、それを鵜呑みにする必要はない、極端な事を言えば、日本の資本がそんな国に乗り込んで、その国の農地を支配することも可能で有ろうけれど、お互い節度という物が有り、どっかの国のように、と言うより大抵の国が二重基準でそれさえも気付いていないようだが、自分が有利なことを主張するだけだから、当方が不利ならば、適当な理由を開陳して、乗り切ればよい。

 

どんな作物も、漁労の物でも、家庭の食卓に届くまでには、大変な手間が掛かっているものだ。特に米は、少し洗って、電気釜で炊けば、直ぐ食べられるように、準備されて、店頭に並んでいる、それも、その手間と熱量や味・栄養を考えたら、とっても安価なように思える。

 

自分は今小食なので、小盛を頼むことが多いが、持ち帰りが出来る食堂では、余分は必ず持ち帰る、と言うよりそんな食堂にしか今は入らない。よって弁当持参で日帰り小探見することが多いが、以前のように、その街で、名物的なものや、怪しい店で食べる楽しみは無くなって、少し物足りない。

 

ファミレスや街の食堂に入って、何も言わないで来たご飯を殆ど残す老夫婦とか小さな子供連れの家族を見ると、食べ物は何でもそうだけれど、特に米を粗末にする人達には、腹が立つ、睨まないようにしているが(笑い)、きっと優しくない顔を向けていると思う。「私はお金を払っているのだから、私の勝手でしょ」じゃ済まないと思う。無駄に成らなければ、不足しているところに、輸送することも可能であろうし。そもそも恵みという感覚で「有り難い」と言う意識がなければ、人が薄っぺらな感じを受ける事が多くなった。

 

良く考えてみれば解るけれど、考えなくても分かる様な気もするが、先の大戦争で日本は、孤立無援で4年も幾つか大国と戦って、大陸時代を含めれば15年も戦って、敗北したのだけれど、その根本的原因は、国民の食べる「米」を確保できなくなる恐怖から発した物であろう。帝国主義的侵略戦争だった、思い込んでおる人も多いやに聞くが・・日本軍は占領地で何をしたか、しなかったか、学んだ方が良い。

それで何を手に入れるか、「黄金」か。例え侵略戦争だったとしても、入手したいのは「国民の食料」を手に入れられる環境だったはずだ。そんな事を忘れてかどうかは知らないが、今安価で手に入れられるが、だからといって、粗末に扱っていると、又食えなくなる時代が来るのじゃ無かろうかと、自分は怖れている。

 

十数年前に、実は、特に自分より年配で、戦中戦後の食料が相当不足していたと思われる世代が、ファミレスの、「ライス」を殆ど残すのを続けてみたことが有る。傍に行って、一言言いたくなったが、勿論言わない。こんな人達は、大いに働いたのだろうけれど、苦しい時代を忘れて、今日の時代を謳歌して、子や孫を駄目にしたのじゃないかと、密かに疑っている~~♪







 

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年6月26日 (火)

面白い思い込み~自戒を込めないで~~♪


Photo




今まで身近に居た人の言動で、それなりに面白かった話、幾つか~~♪



1.        Abidas
 30年ぐらい前、東南アジアに何回か出張したとき、サンダルを買って、ホテルで使っていたが、日本ではないタイプで、合成軟質ゴムというのか、フワフワで気に入って持ち帰って使っていた。会社で机に座っているときにも偶に履き替えていたが・・・
 目ざとく見つけた人がいて、Adidas だとずっと思っていたらしい、これにも驚いたが、これはAbidas だと教えたら、そう言うブランドだと思ったらしい、これにはもっと驚いた~~♪

2.        マウスピース
 働き始めた頃、同じ寮にいた、同僚と休みの日にテレビでボクシング観ていたら、「ボクサー、って、みんな入れ歯何だね~~♪」

3.        ジェネリック
 数年前、二人ともお婆さんで、比較的金持ちで、自分とは考え方が少し違うとは思っていたが・・
 一人は、「似ているけれど、効き目が本物より弱いから安い」って言っていた。もう1人は、それを聞いて、「そうじゃなく、賞味期限が迫っているから安いんだ」って言っていた~~♪

4.        実印
 20年ぐらい前、大抵は認め印で良いけれど、借金するときとか、実印が必要になるときが有る。11個までOKだけれど、そのオバサンは、一家に1個と言い張っていた。

5.        選挙権
 昔は20歳からだっけけれど、自分の党に入れてくれそうという事で、18歳に引き下げたけれど・・20年ぐらい前、上のオバサンは、選挙権も一家に一票って言っていた。故に1回も投票に行った事はない。

6.        収入印紙
 30年ぐらい前、関連会社の事務所で働いていたオバサン、社内で言われたらしいが、階下の自分が働いている事務所に来て・・「1万円の収入印紙、一枚じゃないと行けないんですよね・・」同僚があり合わせの五千円の印紙を二枚貼ろうとしたので・・

7.        視覚障害者誘導用ブロック
 相当昔の又聞きだけれど・・
 美人で性格も良く、成績もまあまあの女学生が、中々就職が決まらない・・友達の間では、ちょっと変だけれど、育ちも良いので人気が有ったらしい。仲間内では次々就職が決まって、彼女らが、外にも座席が有るカフェで雑談をしていて、何故彼女だけが面接で落ちることが多いのか、突然、理由が分かったらしい~~♪

 色々歩き回って、足が棒になるとか言いながら、「ハイヒールじゃなく、スニーカーを履いているときは、折角設置してくれているから、足つぼマーサージブロックの上を歩くようにして居るのですけれど~~♪」






Photo_2

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2018年6月 6日 (水)

食べすぎた物~~♪ 10. カボチャ・ジャガイモ~~♪


10


10_2

     

 どちらも友人から貰った物だったが、嗚呼、なんて美味しい物だろうというのが有ったけれど、食べた量は普通~~♪
 それなりに好きだけれど、特にカボチャは甘い小豆の汁に入った物、ジャガイモは、砂糖がタップリ入って黄身を入れて良く潰した奴~~♪

 母はもう亡くなっているが、娘時代が大東亜戦争真っ盛りで、何回も聞かされたが、母が勉強できないのは、馬鹿なのじゃなくて、勤労奉仕ばっかりで、学校で勉強を、余りしなかったからだ、と言うのと、或る時、カボチャとジャガイモは、戦争末期と、それから暫く、沢山食べたから、今更食べたくない~~♪

 近所のお婆さん、我が母と同い年で、最近は余り外出もしないが、我が母よりは大分裕福なお宅で、いわゆる資産家のお嬢様。色々な面で、比べようもなく恵まれていたようであるが、カボチャもジャガイモも余り食べたくないと言っていた、理由は我が母と一緒、但し、サツマイモが好きな様で、その理由が不明~~♪

 今想像すれば、不思議な光景だが・・二宮尊徳像が鎮座坐している、その前の校庭を耕して、カボチャやジャガイモやサツマイモを植えていたんだって~~♪
 我が郷里は、聞きそびれたので不明だが、田舎なので、耕地は沢山有っても担い手が不足していたので、ワザワザ国民学校の校庭を耕す必要は無かっただろうけれど、きっと原理主義者がいて、音頭を取って、自分は指図するばかり、というのが居たんだろうなぁ、勿論そう言う人は、戦後はこれ又、直ぐ時流に乗ったんだろう、人には色んな生き方が有る~~♪
 未だ生まれていなかったけれど、我が従兄弟の一人は東京大空襲で死んだし、その父も、出征して遺骨も帰らなかった。我が父は、赤道を越えて征ったが、戦争には負けたが、五体満足でマラリアと共に帰ったそうだ~~♪


 もう残り少ない人生、食べる量も激減したし、もう億劫になって、遠くまで出掛けて何か食べたいと言うことも無いし、並んで食べたいと言うエネルギー何かは全然無い。田舎で食べた、幾つかのものは機会が有れば食べたいが、あれは当時の家族があって、そんな機会が有っての話しと言う気もする。ま、地味な、毎日似たようなものを平穏に食べて行ければ良しとし、後は感謝の気持ち・・・と自分に言い聞かせている~~♪
 昔食べた美味しかった物~時を、ときたま、思い出すことがあるが、その思い出はかなり美化されているのを感じるけれど、そんな事どもを思い出して、ボヤ~としているのも悪くない~~♪

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2018年5月 8日 (火)

食べすぎた物~~♪ 9. タコ:



9




 二十数年前に、東京湾タコフィーバー、という物が発生した。当時、東京湾のタコ釣りの解禁は7月で、解禁してから、最初の自分にとって都合の良い土曜日に、1人、電車で出掛けて、いざタコ釣り船に乗船、直ぐ傍の釣り場について直ぐ船内あちらこちらで釣れ始め、タコフィーバー開始~~♪

 その数年前から、タコ釣り船には乗っていたが、精々良くて、23匹、駄目なときはボウズ、自分たちはタコボウズと言っていた。その時は十二、三匹釣れた、小物もいたが、1Kg以上も何匹も居た。
 もう慣れていたので、帰宅して保管する分は、直ぐ冷凍して、食べる分は洗濯機で(!)当時は二槽式だったので、塩と少量の水を入れてタコを入れて、ぬめり取り、濯ぎをした後は、取りだして茹でた。親しいご近所さんに一匹ずつお裾分けして、自分はでっかい鍋で茹でながら、鼻歌交じりでビールを飲んで茹でダコの足を齧って、部屋中茹でダコの匂い。大きな奴は、生のまま足をチョチョ切って、俎に吸盤を吸い付かせて、皮を剥き、真の意味のタコの刺身、食べたら、余りの美味しさに、特段に親しくしていた隣人へは、今度は、その刺身を、持て行ったのです、一日に二回~~♪

 週が開けて、出社して、釣り友が、アフリカのどっかの国へ出張中で、確か数年後にツチ族とフツ族の大虐殺が有った国の隣国、そこも構成民族はツチとフツ。ボチボチ帰国の時期に差し掛かっていたのだが、タコフィーバーの新聞記事を切り抜いて、張り付けて、勝手に「帰国命令」、東京湾のタコが、○○さんを待っている、と作成、ファックスを送った~~♪
 未だ当時、ソニ○のマビ○も発売されていなくて、デジカメというものは世間になかったし、イーメイルという物もなかった。それから数日後に、ご当人からファックスの簡便な業務報告書が送られてきが、帰国のスケジュールはバッチリ~~♪
 10日後ぐらいに、出社して来たので、その週末に二人でタコ釣り、その時も、二人とも10匹以上釣れて、中には2kg以上のも混じっていて、絶好調。その年は、その釣り友とだけでも全部で6回ほどタコ釣りに行って、二人とも常に二桁、年末に近づいて3Kg位のも混じるようになり、全くの大フィーバー。
 家人を連れて、船に1回乗ったし、横浜の13号埋立地で、真夏に遊びがてらタコ釣りをして、大きな奴を3つも釣り上げた。岸壁付近を悠然と泳いでいるタコもいて、兎も角その年は、全く空前絶後、東京湾大タコフィーバー~~♪
 夏のタコは、抱卵していて、卵も煮付けで沢山食べて、美味しかった、ちなみにマダコの寿命は一年です~~♪

 普段から、タコ好きで、昔は年末にはバスの買い物ツアーで海辺の市場へ行っては、タコの燻製とバケツに一匹酢ダコが入っているのを買って食べていたし、盆と正月に酢ダコは必需品と言う事で、普通の人が、一生涯に食べる分を相当オーバーしていると思われる。最近はタコも高騰して、食べるのは正月だけだなぁ~~♪
 タコについては未だ色々話したい事も多いが、言い尽くしてや何かある~~♪



| | コメント (8) | トラックバック (0)

2018年4月18日 (水)

食べすぎた物~~♪ 8. 木の実類、その他:


8

 


 普通の人が一生涯食べる分、と言うのとはちょいと違うが、比較的多く食べた物・・クルミ、カヤノミ、マテバシイ、キイチゴ、バライチゴ、グミ、など、要するに季節になれば、その場へ足を運べば、食べられるも、或る意味、野生のチンパン人と似ているかも知れない~~♪

 あ、そうそう、ピスタッチオもかなり食べた。30年ぐらい前だったと思うが、ビザの相互供与(?)の関係だったと思うが、日本は西欧と違って、イラン人へのビザの制限が暫く実施されずに居たので、イラン人が街に多くなって、彼らが特産のピスタッチオが日本では高く売れるからと、運んだらしく、高品質の物が、比較的安価で、入手できた。パキスタンに行ったことがあり、そこでピスタッチオと知り合いになり気に入り、ピスタッチオお土産に買ってきていたが、それも基本はイラン産を陸路運んだものらしい。皆様あまり自覚は無いだろうけれど、パキスタンとイランは国境が接しているし、そんなに険悪な関係でもないようだ。イランに留学したと言う先生にも、会った。と言う事で、味も気に入っていたし、お八つに暫くの間、ピスタッチオを食べていた。その内、小粒になったし、品質の割には価格が高くなり、ミックスナッツに入っていれば食べる程度になった、これは主にアメリカ産だけれど。
 昔同僚は、イランに2週間ぐらい行っていて、23日で、食べる物が無くなって、つまりは口に合わなくて、それ以降、ピスタッチオで露命を繋いだ、とか言っていた~~♪

 郷里には、気候の関係でマテバシイが無かったが、知識として、シイの実が、食べられるのは知っていて、羨ましかった。別の『シイ』、その複数形の『シイルズ』は食えない奴らだけれど・・今自分が住んでいる辺りは、シイ並木も沢山有るが、これは排ガスに晒されているので遠慮して、公園やその他拾えるところは沢山有る。乾燥させてから、そのままでも炒ってでも、粉にしてビスケットにしても普通に食べられる。可なり沢山食べた。歯や顎の鍛錬にも良い。原日本人も沢山食べていたのかも知れない。殻を剥くのが難儀だが、慣れれば簡単。自由人も、沢山食べればいいのに、と思っていたが、彼らにも美学が有るのだろう、野生に暮らしているが、エテコウじゃ無いから木の実は食わない~~♪と言う事かも知れない。

 リンゴ、ナシは、他の人より少し多く食べたかも知れない、実家に小さな果樹園があったので、季節中、販売価値がやや劣る物を何時も食べていた、ジューサーという物も買って、ジュースでも かなり飲んだ。砂糖煮もかなり食べた。勿論バナナ、パイナップル、ミカンなど購入して食べる物は贅沢なものだったが、少しは食べた。あ、そうそう、和歌山の友達が、怪我で入院したとき、差し入れのミカンを、一日で50個食べたそうだ、殆ど一箱、確かに身体は大きいが、食べ過ぎだろうと思う。
 こちらに出て来たときに、お庭に、ミカンやらダイダイやら、何処にも有ったのには、全く以て驚いた。
 自分は昔、何年か年末にミカン狩りに行って、食べ放題、お持ち帰りは重さで買う、と言う同じ所に行っていたが、比較的大きかったが、いつも10個位食べた。その後、駅方面に戻って、遅い昼食を食べて帰ったのだが、今考えると、若いと言う事は、食う事だ、士気即是食う、平均すれば今の三倍は食べていた、それでデブにならなかったのだから、相当活動していたのだろう~~♪今は仙人食だけれど、油断をしていると太り気味、筋肉も知力も付かないが、脂肪が付く~~♪
 それ以外で、特に沢山食べた物は無いけれど、田舎者だったので、山菜類は都会人に比べたら、多く食べたが、田舎者の部類では、それ程多いとは、思わない。一つだけ市場にある物で、少し多く食べたのは、木の実じゃないが、カワハギ~~♪一頃、結構沖釣りに出た、これだけはちょっと高い和竿を持っている。カワハギ釣りの名人(迷人)は、道具も良いが、見てくれも良く、チ○・デ○・ハ○が多い~~♪


| | コメント (8) | トラックバック (0)

2018年4月 3日 (火)

食べすぎた物~~♪ 7. イチゴ

7




 昔実家では、家計の足しに、季節には露地物のイチゴを作っていた、高く売れるのは売って、そうでない物は、季節中に毎日のように食べた、夜塩水で洗って、兄姉みんなで食べた。個数で言ったら、多分普通の人が一生涯に食べる分は食べたと思う。

 指物師に、イチゴの箱を作ってもらい、出荷の頃に近所の荒れ地に、葉が開くワラビの類の葉っぱを敷き詰めて、当時懇意にしていた、お店に委託販売して貰っていた、未だ当時は今のように、組合を作って直売所と言う物は発生していなかった~~♪
 今はイチゴと言えば年末から春までの物だが、自分の感覚では初夏だけの食べ物。昔より長い間、市場に出回って、作付け農家は、長い間収入が確保できて良いようにも思うが、本来の季節に無いのは寂しい~~♪
 真冬に強烈な暖房をして、熱中症に成りそうになりながら、農作業をしているのだけれど、収支が、苦労に見合って居るのかは解らない、個人としても地域~国家としても。
 人間の欲望は、技術の支援を受けて、一年の半分で、新鮮なイチゴが食べられる。もう友人が亡くなって、その方の実家のイチゴハウスの仕舞いの収穫に招かれて、沢山採って、生食、冷凍、ジャムの1年分(笑い)という事もなくなったが、要するに、イチゴの温室で採り放題、食べ放題~~♪
 これからは食べる量が激減するだろう。



| | コメント (10) | トラックバック (0)

2018年3月30日 (金)

食べすぎた物~~♪ 6. スグリ類


61


62




 家の周りや、境界線にスグリ類の生垣が沢山有った。セイヨウスグリ、フサスグリ等だと思われる。真夏は比較的自然の物で食べられる実は少ないが、これは丁度真夏で、1ヶ月以上食べられて、かなり食べた。赤くなるフサスグリは、生垣一杯に、目にも鮮やかに生っており、頻繁に食べた。セイヨウスグリの方は、未だ余り熟していない時期から、塩を持参して、少し付けて食べ始め、青みが薄くなって、熟してくると、糖度は上がって、堅さもちょうどよく、よく食べた。もう暫く経つと、少し赤味が射すが、ぼやけた味になってきて、そろそろ時期もお終い。
 山の畑の、一角に蕗とかミョウガとか生えているところが有り、そこの周りは何故か半周ぐらいセイヨウスグリが、生垣のように植えられていた。ここのも沢山食べた。
 或る時、当時もう自分は、故郷を離れていたが、母が、何も知らずに、そこら辺で作業をしていて、クロスズメバチに刺された、相当痛い目に遭って気の毒であったが、直ぐ気づいて、その場を離れたので、それ以上の酷い事には成らなかったが、遠慮無く大声を上げたらしい。大きなヘビでも出たかと思い、父が駆けつけると、スズメバチが、そこらを飛んでいた。遠くから暫く観察して、大体目星を付けて、柴類を持ってそこら近辺に(!)に近づき、燻して、刈草などを補給して、沢山煙を出して、ハチの活動を不活発にして、目星を付けたところをハチに遣られないように、23回接近して鍬で、掘って、巣のありかを確認、数段に成っている巣を露出させてから、農機具用の燃料のガソリンを少し振り掛けて、十分浸透して、巣の周りにも揮発してから、離れて火を掛けて、敵を取ると共に、駆除したとの事。

 父は、終戦後一年ぐらい後に、南方より復員して、その後何回もマラリアを発病して、その当時は、まだ実家にいた妹たちが、(つまり自分からは見れば叔母さんたち)それを見て怖がったらしい。蜂の巣を退治した時、今の自分より若いが、当時としてはもう老境に差し掛かっていた、大日本帝国海軍の元召集兵士だ。
 退治の話しは、その後に帰省して聞いた、何時ものように淡々としていた~~♪
 相対的にそんなに酷い戦地では無かったようであるが、海上で船団が魚雷攻撃を受けたり、戦地で機銃掃射を受けたり、爆撃を受けたりするのに比べたら、どうって事もなかったのかも知れない、感慨なんて、相対的なものだろう~~♪



| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年3月 4日 (日)

食べすぎた物~~♪ 5.ヤマブドウ


5




 春先に川で釣りをするときは、枯れたヤマブドウの蔓に穴が有る所を十本ぐらい、いつも持っていた肥後の守で切り取って持って行った。その中空の茎を割ると、中から多分何かのコガネムシの幼虫が数匹取れた。手も汚れないし、重宝した。イタドリを代用しても良かったが、こちらの方が良く釣れた気がする。

 当時ヤマブドウは、結構いたる所にあり、沢山食べた。蔓が有るところを覚えていて、時に訪れて何房も食べた。かなり酸っぱかったが、ちょうど良い時季にはそれなりに美味しく感じた。種も大きく、房から、実をもぎ取って、何個か皮ごと口に放り込んで、美味しい液だけ吸って、残りは全て、歩きながら吐き出していたから、結果的には種の散布になっていたのかも知れない。猿並み。

 1回だけ、沢山採った実を潰して、ビンに詰め、12ヶ月して見たら、完全に分離していて、中間にやや澄んだ所が有り、浮いていた殻類は、そっと捨てて、澱を避けながら、その澄んだところを飲んだことが有る。可成り酸っぱかったが、顔が赤くなって動悸がしたから、自家製のワインと言う事でしょう。

 下刈りで刈られることもあったが、当時全体としては減った感じはしなかった。後になって、人口が減少して、雑木林が薪炭地の役割を無くし、荒れてからは、ヤマブドウの蔓も減った気がする。その他の実が生る蔓も減った。

 山の中に畑を所有していたが、そのヤマブドウの蔓は数センチもあり、実の房は10センチ以上もあり、実も大きく食べ応えが有った。もうその時には、余り楽しみにもしていなかったが、或る時、色んなチグハグが生じて来ていた、祖母がその天然記念物的大蔓を根元から切ってしまい、呆気ない最期を迎えた~~♪
 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年2月17日 (土)

食べすぎた物~~♪ 4. ナツハゼの実

4



 ナツハゼはツツジ科スノキ属でブルーベリーやクロマメノキと同じ仲間だが、これらより、甘味と酸味が強く、大変美味しいと思って食べていた。勿論ブルーベリーを知ったのはかなり後になってからのことである。
 田舎の裏山にかなり大きな木が数本有って、その内の一本は、小学生ぐらいなら登ることが出来るぐらいであった。季節になると、そこを回って、よく食べた。秋深くになっても、落果しないで、しわぶけていても食べることができ、少し発酵気味で、歯が紫色になるばかりではなく、お腹がキリキリした。甘味も強くこれはこれで美味しかった。
 余り強くないのか、自分の田舎以外の丘陵で見たことは一度もない。ブドウ程ではないが、房のようになっていて、左右に分かれて実が生っており、元の方から熟したように記憶している、実の先の方は家紋の木瓜のような模様が付いていた。食べて帰ると、必ず家人に、「コハジャ(ナツハゼの実の方言)食べたでしょう」、と言われたが、当時は何となく後ろめたい気がしていたが、未だにその意味は分からない。

 近所にブルーベリー農園が、小さいながら何カ所もあるし、庭木に有ることもあるが、ナツハゼが有るのは、見たことがない。ブルーベリーの様に大粒のは無いが、甘味も酸味も良いし、房で生っているところも綺麗だし、樹形も良い、紅葉も綺麗だ。どっかの園芸農家が品種改良と普及をしないかと密かに期待している。少年時代の懐かしい思い出の実でもあるし、とは言っても、もう間に合わないけれど~~♪


| | コメント (8) | トラックバック (0)