2019年1月 7日 (月)

麺類の思い出、幾つか~~♪ 4.生ラーメン



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多分、小学校5年生の時、もしかしたら6年生かも知れないが、その事が、他の記憶と全然関連していいないので、ハッキリしない。

何の切っ掛けだったか覚えていないが、Kと親しくなった。彼の家は、自分の家からは1.2㎞ぐらいだった。学校から一緒に歩いて行ったのか、休みの日か土曜日に一人で歩いて行ったのかも全く記憶が無い。

彼の家は、その集落の入り口から23軒目にあり、かなり大きな農家で有り、土間も広く、廊下が長く、自分の家とは、かなり違っていた、彼は部屋を持っていて、普段はそこに居る、という事であった。部屋で待っていて、という事で、待っていたら、お皿に、当時多分10円だったビニール袋入りの生ラーメンがそれぞれの皿に乗っていた。二人で、多分土間に有った台所へ行き、少しだけ水を差して、ほぐして、ちょっぴり醤油をかけて、戻って部屋でゆっくり食べた。そういう風にして食べたのは、一生涯で、これ一回きり。味はあまり覚えていないが、彼がもてなしてくれて、和気藹々と、食べた事だけは、しっかり覚えている。

彼とは、中学校時代を通して仲良くしていた。卒業してからは、別々の学校に進んだ。中学校を卒業してから、会ったことは一度も無い。10年ほど前に、帰郷した時に、雨の夜、その集落の道を通って、窓からお宅が有るのは確認したから、お元気でいるなら、嬉しい。

機会が有れば会って話もしたい気がするけれど、約半世紀、誰にも起きる事だろうけれど、お互いに色々な事が起きたのだろうし、自分はご馳走になったので、覚えているが、彼が覚えていなくても、それは当たり前の事だろうけれど、思い出が壊れそうで、少し恐れている。





 

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2018年12月 4日 (火)

麺類の思い出、幾つか~~♪ 3.即席袋麺のウドンなど



 

 

当時、ある会社に働いていて、今とは違って、全く呑気な時代で、全く残業が無いと、と言う訳ではなかったが、定時になると、会社を出て、30分ぐらい掛かって、610分から始まる、夜間学校に間に合った。凄いお腹がすいた時は、時々会社の近くのソバ店で、キツネ、タヌキ、月見などを食べることもあったが、大抵は、パンを食べてから、9時まで勉強して、95分だか6分だか、忘れたが、その学校の最寄り駅を出発して、二回綱渡りのような乗り換えが上手く行けば、木造モルタルのアパートに着くのが940分過ぎ。そのころは、部屋に台所と便所が付いていた。そんな8室位のアパートが10棟ぐらい左右に並んでいた。

当時は週に4回ぐらい、通常は月水金日、銭湯に行って居て、行く日は、直ぐ準備しておいた道具を持って、小さな自転車で出かけた。郊外だから、今はもう殆ど無いが、畑や梅林の中を通って近道するような町だから、10時までしか、入れなかったから、それなりに急いだ。入ってしまえば、10時半ごろまでだったが、それより少し遅くても文句を言われる事は無かった。当時三助もいた。もちろん自分は一回も利用したことは無い。


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戻ったら、当時殆ど毎日の様に食べていた、即席の乾燥めんのウドン、ちょっと量が多かった。キャベツ、ネギ、玉ねぎ、卵、魚肉ソーセージ、ナルト、さつま揚げ、そぼろ昆布など、その日の気分で適当に入れて食べていた。自分は栄養失調の事を心配した事は無いが、友達の友達は、聞いた所によると、一か月以上、何も入れないで即席ラーメン類だけ食べていて、眩暈がして倒れて、運ばれた病院に一か月ほど入院したらしい。

今は、一袋だと多いけれど、当時は、勿論平気だったし、有れば、一緒にご飯とかおにぎりとか、パンもよく一緒に食べた。缶詰もよく食べた。今の人は、想像もできないだろうけれど、コンビニは無かった。やや近い感じの個人商店は有ったが、数は少なかったし、68時ごろには閉店していたように記憶している。

そのころ、勿論、各種即席麺、乾麺、12か月以上は持った真空パックと言うか半生のスパゲッティも有って、それも結構食べた。一か月に一回とか、「ああ、飽きた、もう食えん」と言う事も有ったが、すぐ忘れた。いつも夜美味しく食べていた。テレビに、今の様にグルメ番組は無かったと思う、テレビは持って居なかったけれど。

 



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2018年11月18日 (日)

麺類の思い出、幾つか~~♪ 2.台湾屋台のウドン~~♪

 

 Fと三十数年前に、中高生の頃には、想像もしなかった、自分位の程度でも、海外旅行に行けるようになってきていて、二人で、一大決心をして、台湾に旅行に行った事が有る。その少し前ぐらいから、世界の農協が、団体で海外旅行に行って、大活躍で有ったが、我々は、地味に、羽田で落ち合って、タイペイを観光して、適当にそこらの飯店やら屋台やらでご飯を食べて、これが海外旅行と言うもんだと、思って楽しんだ。


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タイペイの朝市のようなところを散策して、ちょっと珍しいようなお土産やお茶や、その他、買ったものを袋に入れて歩いた。

それまでは、土産なんぞ買うものじゃないと思っていて、二人で土佐に行った時には、桂浜の傍で五色石が売っていたが、おばちゃんに聞いたら、浜に行けば落ちていると言われて、当時はそんな呑気なものだったが、礼を言って買わず、浜で拾ってきた。おばちゃんにしてみれば、倅みたいな、貧乏そうな二人が、旅行していると考えたのだろうが、後で振り返って、手を振ったら、ニコニコして手を振ってくれたぐらいだ。後1つ加えれば、足摺岬では、近所の波打ち際に行って、初めて見るサンゴのかけらを何個か拾ってお土産~~♪

 

という事で、お腹がすいて、屋台のウドン屋さんで、小さなテーブル椅子もあったし、美味しそうな匂いもするし、人が良さげなご主人も優し気な眼差しだし、メニューは、漢字だが、勿論意味が分かるし、二人とも同じものを頼んで食べた。

 

落語の時蕎麦じゃないが、本当に美味しくて、小声で、「美味い」を連発しながら、その肉ウドンを、これまた汁までしっかり食べた。お金を払う時に、その人、実は日本語堪能で、本当に美味しそうに食べて、美味しいと言ってくれて、自分は嬉しい、もしよければ、一杯ずつご馳走したいが、如何ですか、という事で、遠慮なくご馳走になって、二人ともお腹が一杯になった。礼を言って別れたが、○○にまだ行って居ないなら、と言って、説明してくれたので、近くの別の街~市場も行く事が出来た。そこも日本のような、台湾のような、良い所だった。

あの屋台のウドン、本当においしかかったなぁ。旅行全体も快適で素晴らしい物であった。今でも台湾は親日であるが、先人に感謝している。

 

Fとは、遠くに住んでいる時は、それなりに、今の様に、比較的近くに住んで居れば、年に何回か、落ち合って夕べの一時、軽く飲みながら歓談している。2

人とも両親共に鬼籍に入ったし、可成り草臥れたが、長生きした方が、その葬儀に出て、付き合いは終わるが、生きている方が、時に応じて思い出すだろう。昔の様に、ダラダラと旅に出るのも良いと思っているが、昔ほど呑気な旅は出来ないような気がしている。 おもてなしに熱心な所が多すぎて~~♪

 

 

 

 

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2018年11月 3日 (土)

麺類の思い出、幾つか~~♪ 1.あのウドン、美味しかったなぁ~~♪





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もう40年以上前、昭和50年(1975年)頃の話、念のために言って置けば、郊外の街は今よりずっと暗く、今よりずっと食べ物に関しても生活程度は低く、未だ携帯は世に無くて、携帯に纏わる誤解とか苛めとか詐欺とかは発生しようも無かった。

自分たち程度のアパート住人には、電話は公衆電話のみで、大家さんが近所に住んで居る所は、呼び出しも可能であったが、そう言う人も少なく、連絡はハガキが多く場合によっては勤め先の電話を利用させてもらう事もあったが、遠慮気味であった。

 

その時は、友達Fの所に泊まりに行って居たのだが、隣の駅に、別の友達Tが居て、自分が共通の友達。お互いに話をしていたから、そう言う人が居るのは、お互いに知っていた。二人のアパートは駅から遠かったが、歩いて直行すれば、どちらも最寄駅から歩いて行く距離を足したぐらいという事で、寒い夜、思い立って行くこととした。出がけに、トリスをコップに半分ずつ一気に飲んで、さて出発。

 

私鉄の田舎道を一時間ぐらい歩いて、漸く辿り着いた。どんなアパートだったか、あまり記憶はないが、相当古い感じで、半分ぐらいしか住んで居なくて、真ん中に廊下が有り、当時便所に付いているような暗い電灯があり、両側に、小さな部屋が並んでいたように思う。暗い道を歩いて行ったので、招き入れられたら、妙に明るかった、暖房は無かったが、全然寒さは感じなかった。

Tは久しぶりの、来客で、最初は途惑っていたように見えたが、何となく楽しそうで、暫く雑談していたら、お腹がすいたという事で、ウドンをご馳走してくれることとなった。部屋の外の厨房かどうだったか覚えていないが、20分ぐらいして、それなりの丼に三つウドンが出来て、三人で食べた。とても美味しかった。ネギとナルトが入っていたように思う。「ああ、美味しい」と言いながら、当時の習慣で汁も残さず食べた。後で聞いたら、汁は醤油と砂糖と化調か、カツオの粉だしだけ。

 

 

Tは、奮闘もしたようだし、挫折も有ったようだし、あれから暫くして、遠くに住んだこともあり、頻繁では無かったけれど、連絡しあっていて、連絡は少ししかなかったが、当時の普通だったように思う。10年位経って、亡くなったという知らせが、妹さんからもたらされた。遺品を整理していたら、自分が出した手紙類が、若干出てきて、当時勤めていた会社に電話が有った。もう、彼が亡くなった年齢と同じ位の年月が経った。

あのウドンをご馳走になって、それから逢ってもおかしくないのだけれど、思い出せない。夜半に歩いて帰る我々をアパートの前で、ちょっと複雑だったけれど、特有の笑顔で見送ってくれたのが、よく考えれば、今生の見納めだった。

自分は年が行ってしまったが、彼は勿論あの時のまま。

 



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2018年8月11日 (土)

たかが石鹸、されど石鹸、アレッポ石鹸~~♪




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子供の頃、石鹸と言えば、洗濯石鹸のことで、硬くて大きな奴。身体用の石鹸は花○石鹸と言っていた、自分は顔石鹸だと思っていたが~~♪

 

風呂に入るとき以外は、貧乏だったからか、習慣が無かったからだったかは、判然としないが、余り使わなかった。小学校では「手を洗おう~~♪」運動が有ったようにも思う。当時は自分も今ほど手を洗わなかった。外遊びをしているとき、田圃の畦にある用水の水で手を洗うときは、傍にある、柳かそんな感じの細長い葉っぱを数枚採って、掌の中でもみこすると確かに泡が出たが、それで洗っていた。

 

青年になっても、顔石鹸の臭いが好きになれなくて、銭湯では、一頃シャンプー、ボディソープという物を使っていたが、ぬるぬるしてその内、洗濯石鹸で、髪も身体も洗うようになったが、大きすぎるので、半分に切って使っていた。洗った後サッパリしたし、妙な匂いの香料が入っていなかったので、愛用していた、その内、ミュー○という赤い箱に入った石鹸も使うようになったが、安価で、比較的馴染める液体石鹸もその内普通に使うようにはなっていった。

 

そんなある時、同僚が、シリアに出張して、お土産にアレッポ石鹸を貰った。オリーブオイル+ローレルオイルが入っている奴で、香りも気に入ったし、表面は黄土色だったが、使ってゆくと中は、オリーブ色で、それからは通常は是を使うようになった。比較的高価だったが、なんせ減らないので、通常23ヶ月で1個使う程度。費用効果では、収入も少し上がっていたので、納得できる物であった~~♪

 

そうこうしている内に、アラブの春、アメリカの歴代3位に入る、馬○大統領のB.クリ○トン当たりから、チェンジと絶叫して事態を悪化させる、B.オ○マ当たりまでが主導したのだろうけれど、民主化という実際は混乱と貧困の季節が来て、シリアも大国が介入して内戦状態に、未だに収束の兆しはない。

 

偶に何処かで見つけては買って使うと言う感じであったが、シリア内戦が酷くなって、値段が上がって、その内発見出来なくなって、困ったなあ、と思って居るとき、ギリシャ原産のオリーブ石鹸がかなり安価で売っているところを見つけて、それからはそれ一本槍、その内包装と名前が違ったが、トルコ産になったオリーブ石鹸であった。香りはアレッポ石鹸には及ばないが、仄かなオリーブの(?)の多分、香りがするだけで、良い物であった。

是も1時、品薄になって、在庫が切れかかって居たときに、又同じ店で沢山有ったので、10個ほど買って、在庫して有る。使い切るまで生きているかしら~~♪

 

シリアでは1000年以上前からアレッポ石鹸を作っているらしい。と言う事は、貿易品でもあったろうし、使ってもいたのだろう、凄いことだ。

 

この人たちに平凡な日常の日々が少しでも早く訪れます様に。

 

又以前のように、街でアレッポ石鹸を買えるようになれば、ちょっと高価だが、時々は買って使いたいと思っている~~♪

 

9000キロ離れた日本にも、シリアの人々のことを、思っている人は沢山居ますよ、シリアには行った事が無いけれど・・サウジに出張してきたときに、知り合ったシリア人たちは、今どうしているかなぁ~~♪

 

 

蛇足ながら気になることが有って・・・、日本の販売者が包装を決めたのだろうけれど、シリア産の時は、成分の所に、オリーブオイル、ローレルオイル、苛性ソーダ、って記入してあったが、ギリシャ産になった時には、オリーブオイル、水酸化Naに成って、トルコ産に成った時には、オリーブオイル、他の記入は無し。何となく、購買者に遠慮しているのか、「苛性ソーダ」の名前が無くなった。オリーブ石鹸は、香りも自然だし汚れも良く落ちるし、泡立ちも普通だし、気に入っている、泡が多いほど汚れが良く落ちるわけではない~~♪

 

日本の販売者が、供給地を求めて、努力したことには感謝しているが、石鹸に「苛性ソーダ」が、使われているのに記入しなくなったのは、何となく「苛性」という言葉を避けているようで、スッキリしない、縁の下の力持ちの苛性ソーダに成り代わって(笑い)~~♪

 

 

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2018年7月30日 (月)

ご飯~レストラン~強迫神経症~~♪





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イネの原産地は東南アジア~中国南部のようだ。日本への伝搬はおそらく30003500年位前、多分中国の江南地方(長江下流域)~九州北部へ、黒潮に乗って、渡ってきた人々が携えていたのだろう。河口近辺の湿地帯かそれに連なる丘陵から栽培が始まったようだ。当時のイネは、寒冷地で栽培できなかったから、朝鮮半島経由は、難しそう。考古学知見では、朝鮮半島の稲作開始は15002000年前ぐらいの様だ。

 

今日本の米は、世界的に見れば、高価なようだが、食料戦略は、今の価格だけ判断するようなものじゃないから、売りたい連中が、色々考えて売り込みを図っても、それを鵜呑みにする必要はない、極端な事を言えば、日本の資本がそんな国に乗り込んで、その国の農地を支配することも可能で有ろうけれど、お互い節度という物が有り、どっかの国のように、と言うより大抵の国が二重基準でそれさえも気付いていないようだが、自分が有利なことを主張するだけだから、当方が不利ならば、適当な理由を開陳して、乗り切ればよい。

 

どんな作物も、漁労の物でも、家庭の食卓に届くまでには、大変な手間が掛かっているものだ。特に米は、少し洗って、電気釜で炊けば、直ぐ食べられるように、準備されて、店頭に並んでいる、それも、その手間と熱量や味・栄養を考えたら、とっても安価なように思える。

 

自分は今小食なので、小盛を頼むことが多いが、持ち帰りが出来る食堂では、余分は必ず持ち帰る、と言うよりそんな食堂にしか今は入らない。よって弁当持参で日帰り小探見することが多いが、以前のように、その街で、名物的なものや、怪しい店で食べる楽しみは無くなって、少し物足りない。

 

ファミレスや街の食堂に入って、何も言わないで来たご飯を殆ど残す老夫婦とか小さな子供連れの家族を見ると、食べ物は何でもそうだけれど、特に米を粗末にする人達には、腹が立つ、睨まないようにしているが(笑い)、きっと優しくない顔を向けていると思う。「私はお金を払っているのだから、私の勝手でしょ」じゃ済まないと思う。無駄に成らなければ、不足しているところに、輸送することも可能であろうし。そもそも恵みという感覚で「有り難い」と言う意識がなければ、人が薄っぺらな感じを受ける事が多くなった。

 

良く考えてみれば解るけれど、考えなくても分かる様な気もするが、先の大戦争で日本は、孤立無援で4年も幾つか大国と戦って、大陸時代を含めれば15年も戦って、敗北したのだけれど、その根本的原因は、国民の食べる「米」を確保できなくなる恐怖から発した物であろう。帝国主義的侵略戦争だった、思い込んでおる人も多いやに聞くが・・日本軍は占領地で何をしたか、しなかったか、学んだ方が良い。

それで何を手に入れるか、「黄金」か。例え侵略戦争だったとしても、入手したいのは「国民の食料」を手に入れられる環境だったはずだ。そんな事を忘れてかどうかは知らないが、今安価で手に入れられるが、だからといって、粗末に扱っていると、又食えなくなる時代が来るのじゃ無かろうかと、自分は怖れている。

 

十数年前に、実は、特に自分より年配で、戦中戦後の食料が相当不足していたと思われる世代が、ファミレスの、「ライス」を殆ど残すのを続けてみたことが有る。傍に行って、一言言いたくなったが、勿論言わない。こんな人達は、大いに働いたのだろうけれど、苦しい時代を忘れて、今日の時代を謳歌して、子や孫を駄目にしたのじゃないかと、密かに疑っている~~♪







 

 

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2018年6月26日 (火)

面白い思い込み~自戒を込めないで~~♪


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今まで身近に居た人の言動で、それなりに面白かった話、幾つか~~♪



1.        Abidas
 30年ぐらい前、東南アジアに何回か出張したとき、サンダルを買って、ホテルで使っていたが、日本ではないタイプで、合成軟質ゴムというのか、フワフワで気に入って持ち帰って使っていた。会社で机に座っているときにも偶に履き替えていたが・・・
 目ざとく見つけた人がいて、Adidas だとずっと思っていたらしい、これにも驚いたが、これはAbidas だと教えたら、そう言うブランドだと思ったらしい、これにはもっと驚いた~~♪

2.        マウスピース
 働き始めた頃、同じ寮にいた、同僚と休みの日にテレビでボクシング観ていたら、「ボクサー、って、みんな入れ歯何だね~~♪」

3.        ジェネリック
 数年前、二人ともお婆さんで、比較的金持ちで、自分とは考え方が少し違うとは思っていたが・・
 一人は、「似ているけれど、効き目が本物より弱いから安い」って言っていた。もう1人は、それを聞いて、「そうじゃなく、賞味期限が迫っているから安いんだ」って言っていた~~♪

4.        実印
 20年ぐらい前、大抵は認め印で良いけれど、借金するときとか、実印が必要になるときが有る。11個までOKだけれど、そのオバサンは、一家に1個と言い張っていた。

5.        選挙権
 昔は20歳からだっけけれど、自分の党に入れてくれそうという事で、18歳に引き下げたけれど・・20年ぐらい前、上のオバサンは、選挙権も一家に一票って言っていた。故に1回も投票に行った事はない。

6.        収入印紙
 30年ぐらい前、関連会社の事務所で働いていたオバサン、社内で言われたらしいが、階下の自分が働いている事務所に来て・・「1万円の収入印紙、一枚じゃないと行けないんですよね・・」同僚があり合わせの五千円の印紙を二枚貼ろうとしたので・・

7.        視覚障害者誘導用ブロック
 相当昔の又聞きだけれど・・
 美人で性格も良く、成績もまあまあの女学生が、中々就職が決まらない・・友達の間では、ちょっと変だけれど、育ちも良いので人気が有ったらしい。仲間内では次々就職が決まって、彼女らが、外にも座席が有るカフェで雑談をしていて、何故彼女だけが面接で落ちることが多いのか、突然、理由が分かったらしい~~♪

 色々歩き回って、足が棒になるとか言いながら、「ハイヒールじゃなく、スニーカーを履いているときは、折角設置してくれているから、足つぼマーサージブロックの上を歩くようにして居るのですけれど~~♪」






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2018年6月 6日 (水)

食べすぎた物~~♪ 10. カボチャ・ジャガイモ~~♪


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 どちらも友人から貰った物だったが、嗚呼、なんて美味しい物だろうというのが有ったけれど、食べた量は普通~~♪
 それなりに好きだけれど、特にカボチャは甘い小豆の汁に入った物、ジャガイモは、砂糖がタップリ入って黄身を入れて良く潰した奴~~♪

 母はもう亡くなっているが、娘時代が大東亜戦争真っ盛りで、何回も聞かされたが、母が勉強できないのは、馬鹿なのじゃなくて、勤労奉仕ばっかりで、学校で勉強を、余りしなかったからだ、と言うのと、或る時、カボチャとジャガイモは、戦争末期と、それから暫く、沢山食べたから、今更食べたくない~~♪

 近所のお婆さん、我が母と同い年で、最近は余り外出もしないが、我が母よりは大分裕福なお宅で、いわゆる資産家のお嬢様。色々な面で、比べようもなく恵まれていたようであるが、カボチャもジャガイモも余り食べたくないと言っていた、理由は我が母と一緒、但し、サツマイモが好きな様で、その理由が不明~~♪

 今想像すれば、不思議な光景だが・・二宮尊徳像が鎮座坐している、その前の校庭を耕して、カボチャやジャガイモやサツマイモを植えていたんだって~~♪
 我が郷里は、聞きそびれたので不明だが、田舎なので、耕地は沢山有っても担い手が不足していたので、ワザワザ国民学校の校庭を耕す必要は無かっただろうけれど、きっと原理主義者がいて、音頭を取って、自分は指図するばかり、というのが居たんだろうなぁ、勿論そう言う人は、戦後はこれ又、直ぐ時流に乗ったんだろう、人には色んな生き方が有る~~♪
 未だ生まれていなかったけれど、我が従兄弟の一人は東京大空襲で死んだし、その父も、出征して遺骨も帰らなかった。我が父は、赤道を越えて征ったが、戦争には負けたが、五体満足でマラリアと共に帰ったそうだ~~♪


 もう残り少ない人生、食べる量も激減したし、もう億劫になって、遠くまで出掛けて何か食べたいと言うことも無いし、並んで食べたいと言うエネルギー何かは全然無い。田舎で食べた、幾つかのものは機会が有れば食べたいが、あれは当時の家族があって、そんな機会が有っての話しと言う気もする。ま、地味な、毎日似たようなものを平穏に食べて行ければ良しとし、後は感謝の気持ち・・・と自分に言い聞かせている~~♪
 昔食べた美味しかった物~時を、ときたま、思い出すことがあるが、その思い出はかなり美化されているのを感じるけれど、そんな事どもを思い出して、ボヤ~としているのも悪くない~~♪

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2018年5月 8日 (火)

食べすぎた物~~♪ 9. タコ:



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 二十数年前に、東京湾タコフィーバー、という物が発生した。当時、東京湾のタコ釣りの解禁は7月で、解禁してから、最初の自分にとって都合の良い土曜日に、1人、電車で出掛けて、いざタコ釣り船に乗船、直ぐ傍の釣り場について直ぐ船内あちらこちらで釣れ始め、タコフィーバー開始~~♪

 その数年前から、タコ釣り船には乗っていたが、精々良くて、23匹、駄目なときはボウズ、自分たちはタコボウズと言っていた。その時は十二、三匹釣れた、小物もいたが、1Kg以上も何匹も居た。
 もう慣れていたので、帰宅して保管する分は、直ぐ冷凍して、食べる分は洗濯機で(!)当時は二槽式だったので、塩と少量の水を入れてタコを入れて、ぬめり取り、濯ぎをした後は、取りだして茹でた。親しいご近所さんに一匹ずつお裾分けして、自分はでっかい鍋で茹でながら、鼻歌交じりでビールを飲んで茹でダコの足を齧って、部屋中茹でダコの匂い。大きな奴は、生のまま足をチョチョ切って、俎に吸盤を吸い付かせて、皮を剥き、真の意味のタコの刺身、食べたら、余りの美味しさに、特段に親しくしていた隣人へは、今度は、その刺身を、持て行ったのです、一日に二回~~♪

 週が開けて、出社して、釣り友が、アフリカのどっかの国へ出張中で、確か数年後にツチ族とフツ族の大虐殺が有った国の隣国、そこも構成民族はツチとフツ。ボチボチ帰国の時期に差し掛かっていたのだが、タコフィーバーの新聞記事を切り抜いて、張り付けて、勝手に「帰国命令」、東京湾のタコが、○○さんを待っている、と作成、ファックスを送った~~♪
 未だ当時、ソニ○のマビ○も発売されていなくて、デジカメというものは世間になかったし、イーメイルという物もなかった。それから数日後に、ご当人からファックスの簡便な業務報告書が送られてきが、帰国のスケジュールはバッチリ~~♪
 10日後ぐらいに、出社して来たので、その週末に二人でタコ釣り、その時も、二人とも10匹以上釣れて、中には2kg以上のも混じっていて、絶好調。その年は、その釣り友とだけでも全部で6回ほどタコ釣りに行って、二人とも常に二桁、年末に近づいて3Kg位のも混じるようになり、全くの大フィーバー。
 家人を連れて、船に1回乗ったし、横浜の13号埋立地で、真夏に遊びがてらタコ釣りをして、大きな奴を3つも釣り上げた。岸壁付近を悠然と泳いでいるタコもいて、兎も角その年は、全く空前絶後、東京湾大タコフィーバー~~♪
 夏のタコは、抱卵していて、卵も煮付けで沢山食べて、美味しかった、ちなみにマダコの寿命は一年です~~♪

 普段から、タコ好きで、昔は年末にはバスの買い物ツアーで海辺の市場へ行っては、タコの燻製とバケツに一匹酢ダコが入っているのを買って食べていたし、盆と正月に酢ダコは必需品と言う事で、普通の人が、一生涯に食べる分を相当オーバーしていると思われる。最近はタコも高騰して、食べるのは正月だけだなぁ~~♪
 タコについては未だ色々話したい事も多いが、言い尽くしてや何かある~~♪



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2018年4月18日 (水)

食べすぎた物~~♪ 8. 木の実類、その他:


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 普通の人が一生涯食べる分、と言うのとはちょいと違うが、比較的多く食べた物・・クルミ、カヤノミ、マテバシイ、キイチゴ、バライチゴ、グミ、など、要するに季節になれば、その場へ足を運べば、食べられるも、或る意味、野生のチンパン人と似ているかも知れない~~♪

 あ、そうそう、ピスタッチオもかなり食べた。30年ぐらい前だったと思うが、ビザの相互供与(?)の関係だったと思うが、日本は西欧と違って、イラン人へのビザの制限が暫く実施されずに居たので、イラン人が街に多くなって、彼らが特産のピスタッチオが日本では高く売れるからと、運んだらしく、高品質の物が、比較的安価で、入手できた。パキスタンに行ったことがあり、そこでピスタッチオと知り合いになり気に入り、ピスタッチオお土産に買ってきていたが、それも基本はイラン産を陸路運んだものらしい。皆様あまり自覚は無いだろうけれど、パキスタンとイランは国境が接しているし、そんなに険悪な関係でもないようだ。イランに留学したと言う先生にも、会った。と言う事で、味も気に入っていたし、お八つに暫くの間、ピスタッチオを食べていた。その内、小粒になったし、品質の割には価格が高くなり、ミックスナッツに入っていれば食べる程度になった、これは主にアメリカ産だけれど。
 昔同僚は、イランに2週間ぐらい行っていて、23日で、食べる物が無くなって、つまりは口に合わなくて、それ以降、ピスタッチオで露命を繋いだ、とか言っていた~~♪

 郷里には、気候の関係でマテバシイが無かったが、知識として、シイの実が、食べられるのは知っていて、羨ましかった。別の『シイ』、その複数形の『シイルズ』は食えない奴らだけれど・・今自分が住んでいる辺りは、シイ並木も沢山有るが、これは排ガスに晒されているので遠慮して、公園やその他拾えるところは沢山有る。乾燥させてから、そのままでも炒ってでも、粉にしてビスケットにしても普通に食べられる。可なり沢山食べた。歯や顎の鍛錬にも良い。原日本人も沢山食べていたのかも知れない。殻を剥くのが難儀だが、慣れれば簡単。自由人も、沢山食べればいいのに、と思っていたが、彼らにも美学が有るのだろう、野生に暮らしているが、エテコウじゃ無いから木の実は食わない~~♪と言う事かも知れない。

 リンゴ、ナシは、他の人より少し多く食べたかも知れない、実家に小さな果樹園があったので、季節中、販売価値がやや劣る物を何時も食べていた、ジューサーという物も買って、ジュースでも かなり飲んだ。砂糖煮もかなり食べた。勿論バナナ、パイナップル、ミカンなど購入して食べる物は贅沢なものだったが、少しは食べた。あ、そうそう、和歌山の友達が、怪我で入院したとき、差し入れのミカンを、一日で50個食べたそうだ、殆ど一箱、確かに身体は大きいが、食べ過ぎだろうと思う。
 こちらに出て来たときに、お庭に、ミカンやらダイダイやら、何処にも有ったのには、全く以て驚いた。
 自分は昔、何年か年末にミカン狩りに行って、食べ放題、お持ち帰りは重さで買う、と言う同じ所に行っていたが、比較的大きかったが、いつも10個位食べた。その後、駅方面に戻って、遅い昼食を食べて帰ったのだが、今考えると、若いと言う事は、食う事だ、士気即是食う、平均すれば今の三倍は食べていた、それでデブにならなかったのだから、相当活動していたのだろう~~♪今は仙人食だけれど、油断をしていると太り気味、筋肉も知力も付かないが、脂肪が付く~~♪
 それ以外で、特に沢山食べた物は無いけれど、田舎者だったので、山菜類は都会人に比べたら、多く食べたが、田舎者の部類では、それ程多いとは、思わない。一つだけ市場にある物で、少し多く食べたのは、木の実じゃないが、カワハギ~~♪一頃、結構沖釣りに出た、これだけはちょっと高い和竿を持っている。カワハギ釣りの名人(迷人)は、道具も良いが、見てくれも良く、チ○・デ○・ハ○が多い~~♪


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